年末の振る舞い
私の生まれ故郷は、海の近い小ぢんまりとした古い町だ。
高層ビルなどはどこにもなく、少し歩けば山や田んぼが容易に見つかる、しかし住宅やチェーン店などはそれなりに駅前に揃っているような、田舎寄りの中規模都市である。
発展は緩やかで、とびぬけた産業や特産品のない町ではあるが歴史は古く、いわゆる神事が盛んな土地だった。
神社での舞の奉納、神楽、季節の祭りに、年末のお焚き上げ…いろんな行事がそこそこあって、子供の時分には積極的に顔を出していた。
私は、どの地域でも、土地の神様とのふれあいというのは存在するものだと思っていた。
社会人になって育った土地から離れてみると、自分の生まれ育った土地の方がいくぶん珍しいという事を知り、わりと驚いた。
神事の参加要請や寄付金の集金、お菓子のおすそ分けなどがないのが少し信じられないというか…土地との結びつきが薄い事に寂しさのようなものを感じた。
とりわけ私をがっかりさせたのは、年末の振る舞いがない事だった。
子供の頃、大みそかの晩は近所の小さな神社に出向いて、そこで年越しそばを食べるのが常だった。
神社では振る舞いと言われるものがあって、そこでそばかうどんが無料で配られていたのだ。タダで思い切り飲み食いができるとあって…ここぞとばかりにうどんもそばも食べた覚えがある。
また、甘酒やしるこ、子供用のお菓子、お神酒の配布もあった。お神酒は干支がデザインされた陶器のゆのみごと配布されていて、二十歳を越えてからは毎年楽しみにしてもらいに行ったものだ。
独立した私が住むことになった土地は比較的新興都市で、古い神社の類があまりなかった。
伝統の行事や祭りごと、シンボル的なものが無く、年末年始の神社は人出こそあるものの催しや出店、振る舞いなどは行われていなかった。町に住む人たちの多くは、地元の神社で初詣をした後、少し遠出をして大きな神社に向かう事が多いようだった。
私の中で年末年始の常識が変わり、こういうものなのだという認識が当たり前になった頃、町の神社と少しつながりができた。町内会長をやった年の地区会長が、神社の神主さんだったのだ。
年末年始の人出が少なくなったというぼやきを聞いて、私は故郷の振る舞いについて少しだけ話をした。すると、ずいぶん神主さんは乗り気になって、振る舞いをしてみようという話になってしまった。
大鍋三つ分の白玉しるこを配布する事になり、大みそかの夜に半袖で5時間給仕する事になったのだが…わりと心地が良かったことを覚えている。子供たちの笑顔、ありがとうという言葉、お疲れさまという労いに、自分のおしるこを待っている人がいるという期待に応えなければという使命感は、疲労感を吹き飛ばしたのだ。
はじめは面倒な事を引き受けてしまったという気持ちが多かったのだが、終わってみればやって良かったなあという満足感の方が大きかった。
また来年もやろう、次はそばもやろうという話になったが、そのあとコロナ騒ぎが発生してしまい、その計画は実行されていない。
おそらく、私が子供の頃楽しんでいた振る舞いも、今はきっと自粛されているのだろう。
もしかしたら、食べ物などではない、別の振る舞いをしているのかもしれない。
故郷を遠く離れてしまった今となっては、どうなっているのかを知ることは難しい。
しかし気になるのは、あの豪勢な振る舞いを、いかにして運営していたかという事だ。
子供の頃は全く気にしていなかったが、大人になるとあの振る舞いの異常さが気になってしまう。
神社の白玉しるこの振る舞いでさえ予算ギリギリだったというのに、あの資金源は一体何なのだと不信感の方が募る。
自治会費が高かったのか、地元の企業の寄付金が潤沢だったのか、真相はわからない。
あの土地を離れてしまった私には、真相を知る必要は…あるまいて。
鍋いっぱいに拵えた白玉ぜんざいをちびちびとすくいながら、私の大みそかの夜は更けていく…それだけで充分だ。
これからかまぼこをつまみながら、金箔入りの日本酒を頂いてほんわかしたのち、そばをすすりながらマッタリ年を越す…ただそれだけで、大満足なのだ。
今年もいろいろあったけれど、無事に新年を迎えられる。ありがたい、ありがたい。
皆さま、どうぞ良いお年を。