間話 ロスヒハトの過去
3-4でミルクを取りにステラと別れたカイルの話です
カイルはグルーの声のする方に向かい、建物に入った。
「ありがとうございましたー」
入り口でポニーテールの少女とすれ違った。
何かある気がして、カイルは彼女を呼び止めようとした。
しかしグルーが「カイルさん」と声をかけた。
グルーはコップに注いだミルクをカイルの前に置いた。
「採れたてだよ」
「ありがとうございます」
カイルはそれを飲み干した。
「ぷはあーっ...美味しいです!」
「それは良かった」
そう言ってグルーはカイルが飲み干したグラスにもう一杯ミルクを注いだ。
「?」
「ちょっと世間話というか、相談したくて...いいかい?」
「...はい!」
「どこから話せばいいかな...うちにはひとり娘がいて、ベルって言うんだけど。
君はベルを見てここに来た...違うかい?」
「...」
「ちょっと前に昔から懇意にしていただいてる取引先と連絡が取れなくなってね。
売れ残ったミルクの処分をどうするか考えていたら、ベルがそれを売ってくると言い出して。
私はしなくていい言ったんだが、有無も言わせず飛び出していってしまった。
それで帰ってきたら、本当に在庫をすべて売ってきたんだ。
どうやってやったのか、教えてもらえないかい?」
カイルは少し迷ったが、正直に話すことにした。
「歌を歌っていました。歌で人を集めて、商品を売っていました。」
「...やっぱりそうかい。」
「やっぱり...ですか?」
「ベルは本当に歌が大好きで、幼い頃からずっと歌を歌っていた。
私に直接言ったわけではないんだが、ベルはアイドルになりたいんじゃないかって」
「アイドル...?」
「いやあすまない、それじゃわからないよな。
ベルは幼い頃からずっと、アイドルってよくわからない呼び方をするんだけど。
要は...吟遊詩人になりたいんじゃないかって。」
「心配ですか?」
「...ああ。
もし吟遊詩人になったとして、ベルが外の世界に出て傷つけられるんじゃないかと思うと私は耐えられない。」
「彼女の歌を聞いて、とても美しいと思いました。
歌のことなんかわからない俺が言っても説得力はないのかもしれませんが、十分にやっていけると思います。」
「いやいや、私にもわからないよ。私はベルのことを何一つわかっていない。
知らないどころか、近づくと逃げられる時だってある。きっと私のことが嫌いなんだろう。
だって私はベルの本当の父親じゃないんだから。」
グルーは悲しそうな笑顔を見せた。
「私には妻と息子がいた。
だけどある時喧嘩して、私は1日口を聞かず、謝らなかった。
そのままふて寝して、朝になってみたら、妻と息子はどこにもいなかった。」
「...」
「その日は単なる悪戯だと思っていたけれど、
一週間経った時、もう2人は戻ってこないんだとわかって一晩中泣き腫らしたよ。
だけど一ヶ月経ったある日、牧場の裏の山から大きな泣き声が聞こえてきた。
その場所に行くと、赤ん坊が捨てられていた。
それがベルだった。
ベルは箱の中に、ボロボロの本と共に入れられていた。
私はその時なぜだか『この子は捨てられたんじゃない、迷子なんだ』と思い込んで、
麓に降りて家を一軒一軒尋ねて回った。
だけど誰もがこの子に心当たりがないと言った。
私はベルと出会ったことを、神が私に与えた最後のチャンスなのだと、そう思うことにした。
今度こそと私はこの子を大事に育てよう。その時そう決めた。
私の両親がうちに溜め込んでいた書物を引っ張り出して、
ベルが気になったものから見せていった。
牧場の仕事にも興味を示したベルに、少し迷ったが動物の世話や経営に関しても教えることにした。
だが、ベルは私なんかより何十倍もかしこかった。
私が何を教えなくとも、自分で考え、すくすくと育っていった。
むしろベルが先に気が付いて、私がそれを教えてもらうことすらあった。
私なんかがいなくても、きっとベルは1人でも生きていけた...」
グルーはそう言った後、少ししてからふと俯いた。
「ああ、そうか。そうだったのか。」
彼は合点がいったかのようなふうに言った。
「グルーさん?」
「私は彼女が傷つくのが心配だと言ったが、それは嘘だった。
私が傷つくのが怖かったんだ。
ベルがここを去って、また孤独になるのを恐れてたんだ。
私はベルをこの牧場に縛り付けてた、最低だ。何も変わってなかった。
こんなの、父親なんて呼べない。」
「...それは、わからないんじゃないですか?」
「いや、わかりきってるさ。すまないね、こんな話を聞いてもらった上に、気を使わせてしまって...」
「いえ、グルーさんの父親は...グルーさんじゃないんですよね?」
「...は?」
カイルの訳のわからない発言に、グルーの口からはついそんな言葉が溢れた。
カイルはミルクを一気に飲み干した。
「グルーさんにはグルーさんが父親と呼べるかどうかはわからないと思うんです。
グルーさんのことを父親だと思ってるか思ってないのかそれを選択できるのは、娘であるベルさんだけです。」
「理屈ではそうかもしれないけれど、実際は—」
「じゃあ、実際を確かめに行きましょう。ベルさんに直接、グルーさんのことをどう思ってるのか、聞きに行きましょう!」
カイルは、グルーが彼自身が思っているほどひどい人間ではないと、確信していた。
カイルは椅子を立ってグルーの側に来ていた。
そしてグルーに向かって、これを取れと言わんばかりに手を差し出していた。
「何を言ってるのか...」
グルーは俯いて長い考えていた。迷った。怖がった。
ふと、目の前を見ると、少年は真剣な眼差しでこちらを見ていた。
彼の目は、純白の雲を湛えて広がる青空のように見えた。
「...仕方ない、お言葉に甘えさせてもらうよ」
グルーは渋々、伸ばされた手のひらに自身の手をのせた。
するとカイルはグルーの手を引っ張って、走って行った。
...
—が、いきなり立ち止まった。
「うおっと、どうしたんだい?」
「...娘さん、どこにいらっしゃいますか...?」
カイルはポリポリと頬を人差し指でかきながら、申し訳なさそうに言った。
「...倉庫かな、ベルが昔から気に入ってて、今でも休憩中はいつもそこに行ってるようなのでね」
苦笑いで、でもほんの少しだけ嬉しそうにグルーは言った。




