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疑り深いトマス

 塩野七生の『イタリアだより 君知るや南の国』(文藝春秋)の「世にも不思議な法王庁」で、高校の世界史の授業で先生から「法王選出のための枢機卿会議はコンクラーベというのだが、キミたちは根比(コンクラ)べと覚えなさい」と教わったとある。映画『教皇選挙』で原題が”CONCLAVE”で映画の紹介や解説でオヤジギャグと言われてもいたが、暗記しなくちゃいけない項目の語呂合わせで昔からあったんじゃない? という話。『イタリアだより』は半世紀くらい前の著作なので、政治情勢などは古い説明になってしまうが、ヴァチカン市国の歴史については面白く紹介されている。


「 法王を選出する会議を外界から遮断した中で進めるのは、一千年も前から慣習だが、枢機卿たちを会議の建物の一画に閉じこめ、鍵で(、、)閉めてしまうところから、「(クラーベ)」と「(コン)」でコンクラーベという名が生れた(ママ)のである。」


 枢機卿の総数の三分の二以上の得票を得なければならないので、一人の人間に票が集まるのに時間が掛かる。1268年の根比べでは選出まで二年と九ケ月と二日かかったとある。純粋な信仰心と組織としてまとまる上で出てくる齟齬、巨大になるがゆえの政治的な立場、存続のための強かさを塩野は説く。(初代ローマ教皇とされる)ペテロが三度イエスを知らないといった話を外交術と言っていいかは知らないけど。

 月刊誌の文藝春秋を読んでいないので、最近の塩野七生が現在のフランシスコ教皇の病状や映画『教皇選挙』に言及したかどうか知らない。塩野七生自身もフランシスコ教皇と一歳しか違わないからお元気なのかな? 『神の代理人』や『女法王ジョヴァンナ』を書いた塩野七生ならこの映画を面白がるのではないかしら。

 久々に映画館に赴いて観たのが『教皇選挙』で、なかなか面白かった。ローマ教皇が心臓発作で急死して、そこから死の儀式化と教皇選出の会議が始まる。教皇の死を悲しむのも束の間、教皇の遺体が運び出されて教皇の部屋は封印される。次の教皇は枢機卿たちから選ばれるので、世界中、カトリック教徒のいる場所に散らばる枢機卿をヴァチカンに招集しなければならない。

 主役はヴァチカンの首席枢機卿のトマス・ローレンスで、英語が母国語で、わたしにはよく解らなかったが、どうやらイギリスの出身のよう。ローレンスの親友で言葉と名前からしてイタリア系アメリカ人のアルド・ベリーニ枢機卿は改革派。イギリスとアメリカ合衆国ならカトリック教徒は主流派ではないが、そちらの出身であればリベラルとかダイバーシティで物事を進めていきそうだし、前教皇の路線を引き継ぐことにもなる。

 集まる枢機卿たちは世界各地から来るので当然様々な人種の顔立ちがいる。いかにも元気のよさそうなイタリア人といった感のテデスコ枢機卿は保守派で、ローレンスに「ヴァチカンではラテン語で話すものだったのに、今では色んな言葉で話している。英語は英語、フランス語はフランス語で人が集まって固まっている」と、皮肉交じりに言う。フランス語圏からの有力候補はトランブレ枢機卿で、こちらも保守だが、テデスコよりは穏健派。そしてまた別の最有力候補はナイジェリア教区のアデイエミ枢機卿。

 ローレンスは主席枢機卿として選出会議を取り仕切らなくてはならない。実際に作業するのではないが、指示出しと確認作業に追われ、前教皇の路線を進める為にもベリーニに教皇になってもらわなければと、同意見の枢機卿たちと票を集めるにはとこそこそ話し合う。

 有力候補の一人が欠格なのでは? と情報が飛び込んでくるが、確認する時間も(すべ)もない。

 隔離の直前に前教皇がひそかに枢機卿に任命していたベニテスが到着する。メキシコ出身で、カブールにいたという。

「アフガニスタンで?」

 誰もが驚いてしまう。ベニテス枢機卿は数々の紛争地で活動してきた履歴があり、イスラム勢力が強い場所での赴くのに前教皇が内密に任命したのだろうと判断し、ローレンスは会議に加える。

 選出会議の場所を整え、枢機卿たちの宿泊部屋の清掃をし、食事を作るのは修道女たちで、(かしら)はシスター・アグネス。ちょっとやそっとでは動じない肝の太さが垣間見える。

 ベリーニは最初教皇になる気はないみたいなことを言っていたが、保守派の様子を見ていて伝統主義に返されたら今までが無駄になると思ったよう。

 ローレンスは前々から枢機卿を辞めたいと申し出ていたが教皇から却下されていた。

「聖職者には羊飼いと農場経営者の二種がいて、私は農場経営者の方だと聖下から言われた」

 投票が始まり、一回目では票が分かれ、決まらない。だが大量に票を集めているのはアデイエミ枢機卿。

「アデイエミが教皇に決まったらどうする?」

 の問いに、ベリーニは、

「初のアフリカ系の教皇にお祝いを言う」

 と冷静に答える。それでも不安はあるようで、

「アデイエミのやり方を批判したら人種差別と言われないだろうか」

 とか言いもする。

 アデイエミに票が流れるんじゃないかと思われたところ、食堂でトラブルが起こる。配膳をする修道女の一人が皿を落とし、食堂を走り去る。アデイエミは立ち上がっている。配膳で失敗した程度でこんな騒ぎになるだろうか? それともアデイエミ枢機卿とあの修道女の間に何かあったのだろうか? 

 ローレンスは修道女を追い、詳しい話を聞き、アデイエミにも確かめる。アデイエミと彼の女の間に若い頃子を儲けるほどの関係があった。三十年も前だし、二人の間柄は一応解決の形はとっている。ローレンスは口外しないが、周囲は醜聞を感じ取り、アデイエミは候補から落ちる。

 ローレンスはシスター・アグネスに彼の修道女がどうしてヴァチカンで奉仕するようになったかと事情を聞こうとするが、選出会議中に外の事情を知ろうとするのですか? と頑なな態度を見せる。それでもパソコンの画面をちょいちょいと操作して席を外し、その間にローレンスは彼の修道女の人事異動の決定者を知る。

 確固たる証拠を得ようとローレンスは封印されている前教皇の部屋に忍び込む。

 ローレンスはトランブレは教皇の候補として不適格である、前教皇から金銭の流れから警戒され、枢機卿から解任されたが、公表の前に教皇が亡くなったと、枢機卿たちの前で述べるが、トランブレは、誰から聞いたんだ、あいつは酔いどれで信用ならないよ、一体君は何をしているんだとのらりくらり。

 ローレンスが不利かと思われたところにシスター・アグネスが現れた。

「ないもののように扱われる私たち修道女ですが、神は私たちにも目と耳を与えてくださいました。

 アデイエミ枢機卿に恥をかかせるために、あの可哀そうな修道女を異動させたのはトランブレ枢機卿です。ローレンス枢機卿はその証拠を掴もうと前教皇のお部屋へ入ったのです」

 決定打の一言。

 有力のアデイエミもトランブレも脱落したが、ベリーニが有利になった訳ではない。不正を暴いたローレンスが浮上した。ベリーニはローレンスに君が教皇になれと言う。

「枢機卿になれば誰でも教皇名を考えるものだ。君だって考えただろう」

 含羞の表情で、ローレンスは答えた。

ヨハネ(ジョン)だ」

 トマスは十二使徒の一人の名に由来するけど、イエスの脇腹の傷に触れてやっと復活を信じた「疑り深いトマス」は使う気がないらしい。(洗礼名を使っちゃいけないのかどうかは知らない)選出会議冒頭で主席枢機卿としての演説では自己懐疑が謙虚さと寛容を生むと述べて、ここは「疑り深いトマス」の真面目(しんめんぼく)だと感じたんだけと。

 次の投票でローレンスは自分の名前を書いて投票用の壺に入れようとするが、そこに爆音とともに天井の一画が崩れ落ちてきた。

 ローレンス本人も観客も、なんだ? 神の怒りか? と慄いてしまう。

 イスラム系の自爆テロであると判明し、テデスコ枢機卿はそれ見たことかと主張する。

「何が多様性か。多様性を認めてしまったからこんなことになる。これは戦争だ!」

 ベニテス枢機卿が口を開き、皆の注目を集めた。

「戦争と仰言いますが、あなたは戦争を知っているのですか? 私はコンゴをはじめ戦地で奉仕をしてきました」

 戦場の惨事と、信仰の場であるのに人を貶める者たちばかりで失望したと訴えるベニテスに、テデスコも沈黙せざるを得ない。

 さて、この後の投票の結果はいかに? というのが映画の流れ。あっと驚く展開に、驚きをなだめる間もなく映画は終わる。

 教皇選出会議が主題の映画であるが、小難しくなく、サスペンスとして実に面白かった。

 信仰は守らなくちゃいけないし、かといって科学技術や価値観が日々変化するのだからこだわり過ぎては救われない人たちが出てくるし、時代遅れの遺物と隔離された修道院になってもいけないしで、羊飼いのリーダーシップも農場を経営する細やかな視点も欠かせない。ただローレンスは政治家には向かない。教皇名と考えた「ヨハネ」は「洗礼者」と「イエスの弟子」と、どちらを意識して決めたのだろうかは興味がある。

 枢機卿たちが煙草を吸い、石畳の地面が吸い殻だらけになる場面があった。喫煙マナーにうるさい今の世の中、これでいいのか? と感じてしまった。喫煙を人間の営為や呼吸、散らばる吸い殻を踏みにじられてきた人々と深読みすることも可能だが、ここは外聞を気にしないで煙草を吸う枢機卿(男性)と、唾液と有毒のニコチンを含んだ吸い殻を黙って片付けなくてはならない修道女と、何事にも表に出る人間と裏方の人間がいるとの対比と見よう。

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