蔦屋
昔、三十年くらい前、『写楽』という映画があった。主役の写楽を演じるのは真田広之で、蔦屋重三郎はフランキー堺だった。監督は篠田正弘で、確か妻の岩下志麻も出演していた。当時は子どもが乳幼児期で忙しく、映画の宣伝に大いに興味惹かれたが観に行く暇がなかった。雑誌にコミカライズ版が掲載されたのを読んで、それで終わった。
映画の方は真田広之と共演の女優との不倫で大騒ぎになり、肝心の評価や興行成績がどうなったかまでは知らない。
今年のNHK大河ドラマの主役は蔦屋重三郎。『写楽』のコミカライズ版から蔦屋重三郎は出版プロデューサーらしい、というのは知っていた。どんな人物か知らないので、ドラマは面白く観ている。
ドラマの第一回目で亡くなった吉原の遊女が寺に投げ込まれたのがネットで話題になった。基本的人権の尊重や平等主義のなかった時代だ。江戸の遊女は病気になったり、客がつかなかったりで稼ぎが悪ければ妓楼での待遇がどんどんと悪くなり、ろくにご飯ももらえなくなり、弱ったら弱ったで放って置かれて、命が絶えれば寺に投げ込まれる。その知識はあったから赤裸に剥かれる以外は驚かなかった。それよりもお腹を空かせた女郎が舌を伸ばして行燈の油をべろ~んと舐める場面は流石に撮らないのかなあ? と思った。(当時の行燈の油は菜種油などの植物油か魚の油で石油ではない)トップの花魁は華やかに持て囃されるが、いつ転落するか解らない。疑似恋愛を理解しない客、心中を迫る客がいつ現れるか知れないし、年季明けの時期になっても借金が残っていれば店を変えて女郎を続けざるを得ないし、いつ健康を損ねるか不安は付きまとう。
吉原はお金さえ払えば客は下にも置かないおもてなしをしてもらえる。金を持っていようと不粋は野暮と嫌われ、払いが滞れば取り立てが行われ、女郎に手荒な真似をしたり見境なくあちこちの女郎に手を出したりすればそれなりの制裁が加えられる。
容赦ない場所だ。
ドラマの中で蔦屋重三郎は、本屋のあるじたちから吉原者と呼ばれ、線を引かれているように見える。それがどうやって江戸で評判の本屋となり、喜多川歌麿や東洲斎写楽を売り出していくのか、寛政の改革にどう対処するのか、ある程度歴史の流れを知っているので見所だ。
多分明石散人の文章だったと思うのだが、蔦屋重三郎をセルモーターにたとえていた。セルモーターはエンジンが動き出すまでのもの、エンジンが動けばセルモーターの役割は終わる、と。
蔦屋重三郎は企画と演出、売り出しはするが、創作は絵師と戯作者がする。売り出す側はどうしたって裏方で、創作側を搾取しているんじゃないかと批判的に見られることもあろう。版木を彫って摺って、製品にするのだってそれぞれ携わる職人たちがいる。ドラマは時間を掛けてそれらの人々、それぞれの感情を描き出していくに違いない。果たして蔦屋はセルモーター止まりなのか、ドラマの演出上名伯楽となるのか。楽しみでもある。




