舞踏会に行こう
「舞踏会」の言葉は、小さい頃聞かされた『シンデレラ』の物語から。綺麗なドレスを着てダンスを踊って王子様に見初められる場所。幼稚園のお遊戯で『シンデレラ』があり、組が違っていたのでわたしは加われなくて、カッコいいなあと羨ましかった。仏文学者の鹿島茂の『明日は舞踏会』(わたしの手持ちは中公文庫)のプロローグで、著者が勤めていた女子大の「フランス文化史」の講義のレポートとして、「タイム・マシンで十九世紀のパリに旅をして、一年間生活してきた報告書を書きなさい。」と課題を出したとある。予算は三千フラン。豪勢に遊び、玉の輿に乗ったと書く学生もいれば、堅実に地味に暮らしたと書く学生もいたが、共通するのが舞踏会に赴いて楽しかったと感想が書かれていたこと。これがヒントになって著者はうら若い女性の舞踏会デビューとその周辺に関して、文学書や歴史書から調べて、この一冊を仕上げた。
「舞踏会」は女性にとっての憧れであり、一度は夢見る異世界でもある。
話は変わるが、三十年以上昔、映画館の山形フォーラムの企画で、映画評論家の淀川長治とおすぎを招いての講演と対談があった。淀川長治のまるで目の前で画面が展開されているかのような語りにうっとりし、おすぎとの映画談議を楽しんだ。
数々の映画を目にし、生身の女性に興味がなさそうなお二人だったが、やはり好みや評価の仕方は違っている。淀川長治は『舞踏会の手帖』を高く評価していたが、おすぎはそうではなかった。
「ババアがわたしだけは仕合せでよかったって確認する」
みたいなことを言っていた記憶がある。
妙にそのことだけは覚えていた。
で、その『舞踏会の手帖』なのだが、フランス映画で、本国公開が1937年と古い。イタリアのコモ湖のほとりに暮らすクリスティーネは夫を亡くしたばかり。二十年ばかり夫と連れ添ったが、子どもはなく、年が離れていた所為か喪失感が薄いようだ。邸内を整理し、要らない物を暖炉にくべて燃やしていて、自分が取っておいた舞踏会の手帖を見付けた。十六歳の頃、会場のきらめきに胸躍らせた気持ちがよみがえる。弁護士だか管財人だか秘書だかの男性から気晴らしを勧められても何もする気にならなかったのに、この手帖を見て、手帖に記した男性たちの許を訪れてみようとクリスティーネは思い立った。舞踏会でダンスに誘い、愛を囁いてくれた男性たちが二十年経って、どのように自分を出迎えてくれるか。まだ三十六歳の未亡人、お気楽かも知れないが、人生を見直す旅である。
二十年も経っていれば亡くなっている男性もいる。訪ねてみたら、息子の死が認められずおかしくなった母がいて、出されないままの死亡通知の束が現れるなんて一幕があった。法律家を目指していたのに闇社会に足を突っ込み、クリスティーネの目の前で官憲にしょっ引かれる男性がいる。音楽家の男性は今は出家して、教会の聖歌隊の指導をしている。登山ガイドをしている男性は、突然やってきたクリスティーネと過すよりも遭難者の救助の方が大切で、思い切りよく山へ去る。政治家を志していた男性は現在町長で、クリスティーネが訪れた日、丁度メイドとの結婚式を挙げる日だった。医者の一人は堕胎の闇医者(この頃のヨーロッパじゃ不法行為)で、すっかり精神的に荒廃し、同棲する女性と憎しみ合いながら別れられず、遂に手に掛けてしまう。
生まれ故郷に戻ると、手帖の一人が美容院を経営している。美容師は娘の一人にクリスティーネと名付けている。この日、昔の会場でまた舞踏会があると誘われ、クリスティーネは美容師と共に赴いた。思い出の中の舞踏会会場と、現実の会場は違った。まったく華やかさが感じられない。しかし会場にいた若い女性は、舞踏会は初めてだと言い、実に楽しそう。初めて臨む舞踏会に、新たな出会いに心弾む気持ちこそが彩りとなり、夢を増幅させていた。クリスティーネは、そう知るのだった。
行方の知れなかった一人、そしてクリスティーネの心に一番残っていた一人の在所がようやく解った。コモ湖の反対側に暮らしていたのだ。クリスティーネが赴くと、在りし日のまま姿の男性がいて、思わず名前を呼ぶ。
「父なら亡くなりました」
両親を喪い、家財も失うこととなった青年をクリスティーネは引き取り、後見することにした。青年は正装し、緊張した面持ちで初めての舞踏会に向かう。そこへクリスティーネは朗らかに言う。
「初めての煙草のようなもの」
自分の有り得たかも知れない人生、転生とか生き直しとか、ヒントにならないかと観てみたけど、ちょっとこの作品は違うわね。過去を美化したり、追憶にとらわれ過ぎてはいけないと言っているのだから。若い世代への期待と援助を忘れず、孤独に陥らないのもまた一つの結末。
舞踏会そのものよりも「舞踏会」の幻影の力を再確認させられる。
『舞踏会の手帖』が名画とされる理由も、おすぎが貶した理由も両方解るけど……。




