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料理は化学

 我が家ではアップルTVに加入していないので伝聞でしか知らないのだが、『レッスン・イン・ケミストリー』という番組があるそうだ。1950年代から60年代にかけてのアメリカ合衆国が舞台で、主人公は女性科学者なんだけど、何故かテレビで料理番組を担当する物語。図書館に行ったら原作小説が新刊コーナーにあったので借りた。『化学の授業をはじめます。』(原題”Lesson In Chemistry”、ボニー・ガルマス著、鈴木美朋訳、文藝春秋)は白衣を着た女性がお玉を右手に左手を腰に当てて立つ姿が描かれている。

 一般の人たちが理系頭の人たちに抱くイメージそのままでもある、ちょっと癖のあるというか、こだわりが強くて、興味のあることにしか目が向かない人が出てくる。主人公のエリザベス・ゾットは男性の目を引く容姿をしているものの、その価値を活かして世の中を上手く渡っていこうなどと一切思いつきもしない性格の持ち主だ。ほぼ独学で科学を学び、研究を追求したいと努力するものの、アメリカは自由の国と標榜しつつマッチョで保守的だし、舞台は今から半世紀以上昔だ。助手や秘書であれと、有言無言で押し付けられる。ヘイスティング研究所に勤めるも、エリザベスは実験に必要な備品の申請を何回もして、三か月も待っても揃わないので、研究所内で沢山備品を抱えていそうな場所から一部もらってきた。備品がふんだんにあるのは研究所のエース、キャルヴィン・エヴァンスの研究室だ。エリザベスとキャルヴィンは印象が悪いとしか言いようのない出会い方をして、これまた最悪としか言いようのない再会を果たすのだが、化学反応は二人を恋に落とす。二人の取り合わせには、いつまで持つだろうとか、キャルヴィンを味方に付ける為の打算だとか、研究所内の目は優しくない。

 理系頭の人、であるだけでなく、キャルヴィンとエリザベスは天涯孤独な身の上でもある。キャルヴィンは孤児院で育ち、その背景にも複雑な事情が控えている模様。エリザベスの父は怪しげな宗教伝道師で、火事で信者を死なせて刑務所におり、母は税金逃れでメキシコに逃げたきりで、勝手気ままに暮らしているらしい。唯一人エリザベスを導いてくれたのは年齢の離れた兄だった。しかしその兄も同性愛であることを親から責められて若くして自殺している。

 家庭に関して夢見るところがないし、「ミセス・キャルヴィン・エヴァンスと呼ばれたくない」と考えるエリザベスは同棲するが、結婚はしなかった。子どもも儲けようとはしなかった。(女性の科学者をキュリー夫人以外に言える? と彼の女が口にする悔しさよ)

 多少いざこざはあるが、二人は上手く生活していけるのじゃないかと思っていたが、物語の展開は残酷だ。キャルヴィンが不慮の事故で亡くなってしまう。研究所内でのエースの存在は大き過ぎた。こうなるとエリザベスに不利になってくるうえ、妊娠していることが発覚した。通常おめでたいことなのだが、時代が時代で、彼の女の立場にすべて悪い方に向かい、失職してしまう。

 泣き濡れて打ちひしがれて、でもヒロインは立ち上がる。妊娠中にも関わらず、自宅を大改造して、台所兼実験室を作り上げ、元々得意な料理をするし、科学の追及も続ける。背に腹代えられず、成果を上げられない研究所の同僚がお願いしてくるので、対価を得て研究を渡す。

 ヤマザキマリのエッセイ漫画やら、イギリス王室のキャサリン妃の出産の際のニュースやらでも印象深いのだが、分娩直後でも白人女性は消耗が少ないのだろうか? 我らがエリザベスもさっさと産院から自宅に戻っている。

 しかし育児の苦労は世界中どこでも同じなようで、エリザベスは睡眠不足でふらふらになる。心配して声を掛けにきた近所のハリエット・スローンにこう告白した。


「恥ずかしいことに少なくとも二度はこの子を捨ててしまいと思いました」

(中略)

「たった二度だけ? ほんとに? 二十回でもまだまだアマチュアよ」


 娘のマッド(マデリン)の養育に味方を得られて、ようやく余裕が出た。ヘイスティング研究所から戻ってこないかとオファーを受けるが、研究職で求められたのではないと知って失望する。

 娘のマッドは幼稚園に通うが、マッドも一種ギフテッドというか、自然に英才教育を施されたのか、字を読めるどころではない才能を見せる。幼稚園の先生から(未婚の母であることも含めて)ヘンな母娘だと色眼鏡で見られている。それでもエリザベスが娘に持たせるお弁当は完璧だ。同級生のアマンダ・パインがマッドのお弁当を羨ましがって、盗って食べてしまうほどに。

 エリザベスはアマンダの親に抗議する。アマンダの母親は離婚して出ていき、父親のウォルター・パインに育てられている。ウォルターが娘に持たせるお弁当について説明しなくてもいいだろう。

 何が縁になるのか解らない。ウォルターはテレビ局に勤め、午後の時間帯の新番組の制作を命じられていたところだった。ウォルターはエリザベスを見込んで、午後六時から三十分の料理番組を担当してくれと頼んできた。エリザベスは生活の為、受けた。ウォルターの上司はああしろここしろと口を出し、ウォルターもそれを伝えるものの、エリザベスはものともしない。体の曲線を強調するような細身の服はいらない、愛想もなし、終わりにカクテルを一杯仕上げるのもなし、オシャレな小物を並べるのも不必要、と実用一点張りに〈午後六時に夕食を〉の番組が始まった。食酢を化学式のCH3COOHで表現し、食材の特徴や栄養素、どのように扱えば効率的に熱を通せるか、理詰めの説明をしていくのだが、ウォルターの心配をよそに番組は人気となった。

 幼稚園で出された課題にマッドはルーツを探ろうとする。またここから新たな出会いが生まれていく。

 人は一人で生きているようでそうではない。誰かに勇気づけられ、手を取り合い、そしていつかはそれを誰かの為に行っていく。辛いことも多いけれど、人生いつかは報われるのだと信じさせてくれる物語。

 悪役がいい味付けで、改心せずにきちんと成敗される。男性に迎合して生きていると思われた女性は最終的に主人公に味方してくれた。

 引用は『化学の授業をはじめます。』(ボニー・ガルマス著、鈴木美朋訳、文藝春秋)から。

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