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小説『ハンチバック』

 小説『ハンチバック』を地元の図書館に予約登録したのは去年、でも割り当てが回ってきたのは今年の七月になってから。やはり話題作は人気が高く、図書館で購入したと気付いて検索してみても予約者が多くて、順番が来るまで時間が掛かる。

 去年の九月に『ロスト・キング 500年越しの運命』を観に行った。映画はリチャード3世の遺骨を見付けようとする内容で、リチャード3世の身体の特徴を言い表すのに、”hunchback”の単語が何回かでる。その単語が出るたび、図書館に予約した本はまだだよなあ、などと思い浮かべた。

 やっと市川沙央の小説『ハンチバック』(文藝春秋)を借りることができて、表紙を開いた。いきなりハプニングバーの体験記事から始まり、何事か思えば、どうやら語り手のコタツ記事だと判明する。語り手は井沢釈華、ミオチュブラー・ミオパチーという全身性の筋緊張低下のある先天性の筋疾患を患う。両親の遺した財産があり、その遺産の一つのグループホームで暮らす。喉に気管切開を施してカニューレを通しての人工呼吸器を使い、移動には電動車椅子を使う。常に痰の吸入器は手放せない。

 今作が芥川賞を受賞した時に、作品の当事者性とか、障害者の人生と性に見ない振りするなとか話題になった。そういうことは抜きにしても、小説の内容は重く、衝撃的だ。

 主人公は姿勢を保つにも苦労する描写が度々出てくる。座ってパソコンを使用しているだけでも、文字通り息が苦しくなる。


「硬いプラスチックの矯正コルセットに胴体を閉じ込めて重力に抵抗している身体の中で、湾曲した背骨とコルセットの間に挟まれた心臓と肺は常に窮屈な思いをパルスオキシメーターの数値に吐露した。息苦しい世の中になった、というヤフコメ民や文化人の嘆きを目にするたび私は「本当の息苦しさも知らない癖に」と思う。」


 主人公は紙の本を読むのに苦労し、紙の本を憎む。主人公の身体では厚みと重さのある本を押さえ、ページを捲り、読書姿勢を保ち、書店で自由に買い物をするなんて、当たり前ではない。電子書籍の扱い方にいつまでも慣れない(慣れたくない)わたしは、ああ、うう、とうめくしかできない。

 主人公は、


「〈普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です〉」


 と、パソコンに打ち込む。思うがままにならない身体をどこまで思う通りにできるかの挑戦なのか、諦観なのか。

 肉体と精神(思考というべきか)は分かちがたい。でも心は勝手な想像をし、無分別、無思慮、不道徳なことを考える。百メートルを九秒で走れなくても、瞬間移動や飛翔を夢見、重たい剣を振るうなんてできもしないのに、英雄の戦いぶりを我が身のように語ることができる。井沢釈華は知識と想像力で、風俗店に関するコタツ記事を書き、官能的な小説を綴る。

 グループホームに田中順という三十代半ばのヘルパーがて、主人公に絡んでくる。自らを弱者男性と自認しているようだが、障害のある女性主人公への話し掛け方が不穏である。田中のねじくれた自尊心の危うさを読み取りつつ、主人公は遣り取りを続けた。

 終わりは急に「紗花」という源氏名の風俗嬢の視点になる。心の中で悪態を吐きつつ、愛想よく「グループホームの世話人をやってたお兄ちゃんが利用者を殺して刑務所にいる」と客に身の上話をする。

 読者は戸惑う。

「釈華」と「紗花」、どちらが虚構か?

 どちらも虚構か?

 読者はただこの作品の著者が先天性のミオパチーを患い、人工呼吸器と電動車椅子を使っているのを知るのみだ。

 引用は『ハンチバック』(市川沙央 文藝春秋)より。

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― 新着の感想 ―
[一言] 候補になった時点で読んだのですが、これは絶対とるだろうなと思える衝撃作でした。 老眼、近眼、ドライアイでデジタルは目がしょぼしょぼするので紙の本派なのですが、そうか本の重みが障壁になる方も…
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