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映画マエストロ、エンドクレジットで驚いた

 伝記映画『マエストロ:その音楽と愛と』の内容に触れます。

 テレビ朝日系列で放送している『題名のない音楽会』は、司会者が羽田健一郎や佐渡裕だった頃によく観ていた。佐渡裕は指揮者でレナード・バーンスタインの弟子だ。佐渡裕が司会の時期に、一般の公募でオーケストラの指揮に挑戦してもらう企画があって、真面目な人からコスプレの独特な人までいて面白かった。

 佐渡裕は指揮台で時にジャンプして、体の大きな人なのにとちょっとびっくりした。そののち、別のテレビ局で師匠のパーンスタインが腕や手を使わず、顔の表情筋で見事に指揮を行う映像なぞ観て、全身使って表現しようとする人たちなのだと感じ入った。当然、バーンスタインの映像はリアルタイムではなく過去のものだ。バーンスタインは1990年に亡くなっている。

 熱心なクラッシック音楽ファンではないわたしにとって、レナード・バーンスタインはまずミュージカル『ウエスト・サイド物語』の作曲者だ。短大の美学の講義でレナード・バーンスタインが指揮するマーラーの交響曲を聞いて、この人はクラッシックの指揮もするのだと初めて知ったくらいだ。佐渡裕をはじめとした弟子がいて、クラッシック音楽と言えばヨーロッパが本場とされる時代にアメリカ合衆国から出た作曲家で指揮者でと、没後に残された足跡を教えられ、ミュージカル音楽一つで語っちゃいけない人なんだと知った。

 前置きが長くなったけど、今回、バーンスタインの伝記映画『マエストロ:その音楽と愛と』を良人と観に行った。おほほ、NETFLIXに未加入だし、大きな画面で観られて良かったわよ。

 冒頭、自宅でピアノを弾き、取材に応えようとする老いたバーンスタインの姿が映される。カラーからモノクロ映像に変わって、暗い中電話が鳴る。どうやら寝室で、受話器を取ると、指揮者が急病で舞台に立てないから今晩代理で出てくれと告げられる会話が聞こえる。予期せぬ機会に喜ぶのは楽団の副指揮者である若き姿のバーンスタインで、カーテンを開け、打楽器のように同衾者のお尻を叩いて起こす。ちなみに同衾していたのは同性で、仲間内での雑魚寝なのかどうかはここでは解らない。バーンスタインは部屋から長い廊下を走り、通路はそのまま劇場に続いておりスーツ姿のバーンスタインはオーケストラの指揮台に立つ。

 コンサートは大成功で、聴衆も楽団関係者もバーンスタインを称える。新聞に載ったどうのの台詞にヒトラーと一緒に載りたくないないと返すあたりで時代背景が窺える。

 芸術家仲間のパーティでバーンスタインは女優でピアニストのフェリシアと知り合う。フェリシアはバーンスタインに惹かれ、かれもまた彼の女に好意を示す。バーンスタインはアメリカ初の指揮者ともてはやされ、また舞台音楽の作曲にも携わり、期待され、多忙だ。ユダヤ系で、その系譜が解るバーンスタインの姓ではなく(イギリス系っぽい)バーンズと名乗ったらと言われ、堅実な商売人の父親から音楽家は浮草稼業と認められていないなど、バーンスタインの内なる苦悩を垣間見せられる。映画『踊る大紐育』(の元になったミュージカルだと思う)の「ニューヨーク・ニューヨーク」の歌と踊りの中にバーンスタインとフェリシアは入って踊り、幸福と入り混じる不安な心境を表す。バーンスタインは楽団で親しいクラリネット奏者(男性)にフェリシアを紹介するのだが、クラリネット奏者はかなしみと覚悟を漂わせた顔を見せた。

 バーンスタインとフェリシアは結婚し、仕事はお互い順調、子どもにも恵まれる。バーンスタインは通勤途中で妻と子を連れたクラリネット奏者と行きあう。まだ言葉を解さない赤ん坊に向かってバーンスタインは言った。

「君のお父さんともお母さんとも寝たことがあるんだよ」

 そしてバーンスタインの妹はフェリシアと仲が良く、こんなことを言う。

「兄と一緒に暮らすには代償が必要よ」

 フェリシアはバーンスタインがバイセクシャルなのは承知していたし、才能あるかれを理解し、支えられるのは自分だと自負している。バーンスタインがフェリシアを愛しているのは間違いないし、二人の間の三人の子どもたちも可愛がっている。けれども、バーンスタインはほかの男性と近しくなってしまうのだ。

 人間、惚れっぽいというか、気が多いというか、精力的というか、倫理観・価値観が違う世界というか、配偶者がいても愛人を持つ例はある。その愛人が同性か異性かも場合による。バーンスタインの場合女性ではなく男性を愛人にした、とこの映画では描かれる。出張が多く、時間が不規則になりやすい仕事だから幾らでも誤魔化しようはあるのに、家族の出席するパーティや休暇先の別荘に愛人の男性を連れてくるのはあまりにも能天気が過ぎる。バーンスタインはそれをやっちゃうのだ。長女は父の志向に気付き始めて疑問をぶつけてくる。フェリシアから子どもたちに話すんじゃないと釘を刺されているし、バーンスタインも多感な年頃の娘を傷付けたくないと、世間の嫉妬からくる悪口だと話を逸らす。

 対等な関係だと信じて夫婦関係を続けてきたがフェリシアは疲労し、夫に不満をぶつける。バーンスタインは妻も子どもたちも愛し、疎かにしていないと、自分では思っているが、どうしても齟齬は生まれ、溝ができる。

 夫は妻をないがしろにしていない、と感じ、信じられる瞬間があって、フェリシアは夫を許す。しかし、フェリシアは癌を患う。診察室のベッドに二人並んで座り、医師からの説明を受ける姿に胸が痛んだ。いよいよ深刻な病状になるとバーンスタインは仕事を休み、フェリシアに付き添い、子どもたちと家で明るく過そうと努める。それでも別れの日は来た。悲しみに暮れ、住居を移し、バーンスタインは作曲、指揮、後進の指導と音楽家の仕事を続けた。まるきり空虚というわけではなく、若い男の子とのお付き合いも匂わされる。

 取材相手に「ほかに質問はあるかい?」とバーンスタインが問うて映画は終わる。「その音楽と愛と」と邦題に付け加えられているが、音楽活動よりも家族、主に妻との関係が重視されて描かれた。天衣無縫なバーンスタインと、同じく芸術家で、夫の創造と生命力の泉が湧きだすのを制御できない、夫がどう振る舞おうと愛されているのには変わりがないと見つめ続けるフェリシアの物語。長く連れ添ってこそ生まれる喜びとかなしみがある。

 劇中、バーンスタインがこんな曲を作りました、指揮しました、音楽番組の監修をしました、といった紹介は少なく、断片的だ。詳しい人が聞けば、ここはあの曲だと解るのだと思う。バーンスタイン役のブラッドリー・クーパー渾身の演技のクライマックスはマーラーの交響曲を大聖堂で指揮した場面。バーンスタインも指揮台でジャンプするし、声は出てないだろうけど、口元は歌を歌っていて、全身で表現する喜びに満ちている。そんな姿が再現されていた。年齢も活躍時期も、亡くなった時も近いヘルベルト・フォン・カラヤンは話題にも出なかったなあ。目を瞑って指揮をするカラヤンと、バーンスタインのスタイルは正反対の印象を受けるのに。

 映画が終わってエンドクレジット、眺めていたら「Kazu Hiro」と出てきた。アカデミー賞を受賞したメーキャップアーティストがこの映画の特殊メイクの担当してたのね。スティーヴン・スピルバーグが制作と聞いてたけど、マーティン・スコセッシもプロデューサーだったんだ、と大物の名前が続いて、驚いた。

 時代が時代だから、喫煙が大人の嗜みで、バーンスタインはヘビースモーカーで有名だった。だからやたらと劇中でも煙草を吸い、話し相手にも煙草のケムがもろにかかるのが映る。わたしも良人も煙草と無縁の生活をしているので、これだけは勘弁と感じた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] バーンスタインの映画があるのですね。 しかも音楽よりも夫婦の愛とその他の愛がメインなのですね。 まー、とにかく精力的だということは聞いたことありますが、奥さんすごいですね。すごいっていう…
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