花殺し月の殺人
映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の上映時間が三時間半と聞いて、観に行くかどうか迷った。映画評は、時間の長さが気にならなかった、というコメントのほか、終盤トイレに行きたくなった、お尻が痛くなった、というのもあった。今回は見送ろうと決めたのは、わたしが会員登録している映画館で上映がない、また上映している映画館にしても尺の長さがネックになっているのか、一日一回きり上映であり、無職者にしても家族の衣服の洗濯やら炊事やらしているわたしにとっては家を空けづらい時間帯の上映だからだ。
図書館に映画の元ネタとなった本があったので借りて読んだ。読了するのに三時間半以上の時間が掛かったが、好きな時間に、寝っ転がろうが、椅子に座ろうが好きな姿勢で鑑賞できた。結構殺伐とした内容でもあるので、映像で観るより、文章で読み込んだ方が心理的にも楽だった。
『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』(デイヴィッド・グラン著 倉田真木訳 早川書房)は最近の著書だ。2017年にアメリカ合衆国で刊行され、日本で2018年に早川書房で出版された。舞台は1920年代のアメリカ中西部のオクラホマ州のオセージ郡、ネイティヴ・アメリカンのオセージ族の保留地。
アメリカ大陸にヨーロッパ人がやって来てきてから、先住民は住んでいた場所から立ち退きを強制され、保留地に移動させられた。オセージ族の支配する地域は今のルイジアナの一角にあったが、カンザスに追いやられ、またそこからも移動しなければならなくなった。住み着いた場所の名はオセージ郡となり、その土地に石油があると判明した。
二十世紀初頭、時代も進み、もう先住民の土地を取り上げられなかった。白人が土地に入って石油開発をするのを許す代わり、土地の持ち主であるオセージ族の人たちにきちんと石油で出た利益を払うと決められた。石油利権で急に豊かになったネイティヴ・アメリカンのオセージ族とそこで働く白人たちという村が出来上がっていった。まだ人種差別の意識があって、オセージ族にお門違いの感情を抱き、権利を取り上げようと企む白人がいてもおかしくはない。他殺、不審な点の見受けられる病死など、オセージ族の人たちが次々と命を落としていき、調査の依頼を受けた探偵や弁護士も同様に不審な死を遂げる。
アメリカ合衆国が拡張していく中で、辺境地で自警団や保安官が治安を取り締まってきた歴史がある。ゆえにいまだ銃を持って武装するをよしとする人たちがいるし、ご存知の通り、合衆国は州ごとに法律が違う。州を越えての犯罪や政府が介入すべき事案となると、その州ごとの法律、組織が捜査を阻む。(誰だって縄張りを荒らされたくないし、仲間を疑われたくない)ワシントンでジョン・エドガー・フーヴァーが連邦捜査局(FBI)の前身である司法省捜査局の新しい局長となった。フーヴァーは元テキサス・レンジャーのトム・ホワイトにオセージ族連続怪死事件の捜査を命じた。トム・ホワイトは複数の部下を現地に潜入させ、捜査に着手した。
事件は一応解決する。だが解決されたのは氷山の一角。この本はノンフィクションであってエンターテインメントのミステリ小説ではないので、謎の取りこぼし、未解決の部分があると読者が気付いても、それを責められない。取りこぼしはアメリカ合衆国の闇というものであり、タイムマシンでもない限り解明されないからだ。オセージ族の文化研究をしている人類学者が言っている。
「〇〇(事件の犯人。伏字にしておく)が知っていることすべてを話していたら、この郡の指導的市民の白人の大半が刑務所送りだったでしょう」
オセージ族は五月を「花殺しの月」の頃と呼ぶ。四月、生い茂る草に咲く無数の小花が、五月になると丈の高い草に遮られて花を散らしてしまうから。




