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熊の話の本

 子どもの頃、町に野良犬がいた。犬が苦手な所為もあって、野良犬と遭遇するのは怖かった。騒いだり、逃げ出したりすると攻撃したり、追い掛けてきたりするから、知らない振りしてやり過ごせ、と教えられて、その通りにしてきた。ある冬、習い事の帰り、とっぷりと日が暮れて、真っ暗だった。雪が薄っすらと積もる中、ああ、寒いなあ、とごみ集積所の側で立ち止まったら、突然雪を被ったごみ集積所から犬が飛び出し、走り去っていった。わたしは悲鳴を上げて家に逃げ帰った。まあ、一応、犬も一目散に去って行ったのだから追い掛けられる心配はないと判断はできていた。

 その後、野良犬は数を減らし、もうわたしの生活圏では野良犬を見掛けない。だが、今でも野良犬のいる地域はあると聞く。

 室内飼いの犬が自身よりも体躯の小さい子どもを噛んだというニュースは聞くので、野生に戻った犬は人にとって警戒すべき恐ろしい存在といって差し支えない。熊はもっとおっかないに決まっている。

 わたしの本棚に『羆嵐(くまあらし)』(吉村昭 新潮文庫)と『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』(木村盛武 文春文庫)のがある。二冊目のタイトルからお察しの方もおられるかと思うが、どちらも大正年間に起きた北海道三毛別で起こった熊害事件の顛末が描かれている。一方がフィクションで、もう一方がノンフィクションなわけだが、どちらも自然の猛威にさらされる人の無力さが実感させられる。

 十二月、冬眠しなかった羆が北海道の開拓地の集落を襲った。

 亭主が家に帰ると血だまりができており、我が子が引き裂かれて息絶えており、妻は外に引きずられて、貪られ、無残肉塊になっていた……。遺体を取り返して通夜をしようとすれば、獲物を奪われたと羆は集落に現れた。人が集まり、火を使っていてもお構いなしに、女子どもを中心に爪と牙を振るって、次々と犠牲を増やしていった。羆退治の為には犠牲になった人たちの遺体を囮にしようとそのままにされ、官民合わせての銃撃隊が編成された。寒さと恐怖の中、羆を追い詰め、遂に仕留めることができた。

 月の輪熊を柔道技で投げ飛ばした武勇伝は聞いたことがあるが、一般的な防災とはいえない。熊と遭遇したら背中を見せない、慌てて逃げない、と言われている。なるべく、いや絶対に実際に遭遇したくない。

 吉村昭の『羆嵐』の巻末に脚本家の倉本聰が「解説にかえて——」と、『羆嵐』をラジオドラマにして欲しいと依頼を受けて、取材で元羆撃ちの大川春義氏と現地に赴いた体験談が綴られている。

 十二月初冬の昼、倉本聰は大川氏とジープを降りて、雪の上を歩いた。家の区画の跡を示す溝など見ながら当時の地図と照合などしていると、取材に訪れているこの日が、事件のあった日付と偶然一致していることに気付く。以下本から引用する。



 ふと目を移すと大川翁がいなかった。あわてて藪をこぎ林道へ出ると翁がジープにチョコンと坐っていた。僕も隣にのり、煙草を咥えた。

「大川さんは――」

 翁に訊ねた。

「こんなとこ一人で羆撃ちに歩いて、よく(こわ)くないもンですね」

「銃を持ってれば恐くないもンだ」

 大川翁がポツンと答えた。

「ただね、銃を持ちつけちまうと、こうやって銃なしで山に入ったとき――」

「――――」

「わしもう銃を捨てちまったンでね」



 じんわりと恐怖を呼ぶ話である。

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