『若き血』雑感
わたしが在籍していた頃の小学校の運動会では、替え歌で応援歌を作り、それで応援することになっていて、ある年慶応大学の応援歌が使われた。そんな経験から慶応とは縁もゆかりもないのに、慶応大学の応援歌の『若き血』を鼻歌程度だけど、今でも歌える。
小説家柴田錬三郎が慶應義塾大学卒で、デビューが『三田文学』、芥川賞と直木賞、同時候補になった『デスマスク』、直木賞受賞作となった『イエスの裔』の初出も『三田文学』と聞いており、慶応は東京都港区の三田に存在すると刷り込まれた。柴田錬三郎の『赤い鼻緒の下駄』だったか、大学の後輩から受け取った手紙を読むといった体の短篇で、「日吉の校舎で学兄をお見掛けしていた」とかあって、慶応は戦前から三田以外にもキャンパスがあったらしい、というくらいしか知らなかった。
今年、令和五年の夏の高校野球の全国大会、現在の住まいの宮城県からは仙台育英高校、故郷の山形県からは日大山形高校が出場した。
毎度の通り、わたしはほとんど興味がない。だが、宮城県のローカルな話題として、仙台育英が連覇できるかどうかで盛り上がってはいた。仙台育英は開会初日の第三試合というので、日曜日の夕方、良人はテレビに貼り付いていた。
「育英が大量に点を入れている」
と尋ねもしないのに経過を教えてくれた。
「はあ、東海大山形とPLが試合した時の記録を塗り替えてくれるくらい点を入れてくれないかなあ」(昭和六十年、桑田真澄や清原和博がPL学園にいた時のこと)
対戦相手の埼玉県の高校には申し訳ない。当時高校生だったわたしが受けた印象は、スポーツに興味がなかった人間にも後々後を引くほど、充分ショッキングだったのだ。初戦を突破し、仙台育英はその後も勝ち進んだ。そのほかの高校で慶応高校が出ていると、ニュースを観ながら良人が教えてくれた。
「慶応って東京の代表?」
とアホ丸出しで尋ねた。
「いや、神奈川」
日吉キャンパスも神奈川だから、高校も神奈川にあるのか、試合風景がちらとテレビに映って、高校も「陸の王者」と応援するんだと知った。
「坊主頭でない高校だ」
「あらホントだ。まあ、ヘルメットの座りが悪くないなら別にいいんじゃないの」
丸刈りにする出場校は校則が元からそうなのか、運動部に入れば一律そうなのか、知らんけど、激しい運動するのに邪魔じゃなければ生徒の選択にしていいとは思う。プロの選手に丸刈りがいないなら、伸ばしても運動に差し支えがないのだろう。
女子高出で、現実世界の高校球児を身近に知らないわたしにしたら、そもそも漫画の世界で高校球児はだいたい髪を伸ばしているじゃないか、くらいにしか思わない。
「慶応に清原の息子が出ている」
「それはまた……、(王貞治みたいに)早稲田実業じゃなかったんだ」
ボケてみたが見事に滑った。
甲子園の決勝戦は周知の如く、仙台育英と慶応の対戦となった。結果さえ知ればいいと考えていたのだが、それでも連覇できるかどうか気になっていたようだ。四時ころ、ついテレビを点けた。丁度慶応が連続して点数を入れていた場面だった。五回、六回と進んで、これから逆転するのは難しいだろうなあと思わざるを得なかった。試合経過だけを観られればいいとテレビのボリュームを下げていたから気付かなかったが、球場は慶応の応援で充たされていたそうだ。これまでの甲子園の歴史で地元の近畿勢有利はあったが、OBたちも加わっての応援で圧倒は初ではなかろうか。
GMARCHどころか東京六大学もどこのことを指すか知らない、地方で生まれて地方で暮らしている人間には、またトンデモナイ学校と対戦してしまったものだ! と驚いた。




