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一芸を究める

 先月、朝井まかての『ボタニカ』(祥伝社刊)を読んだ。牧野富太郎を主人公にした小説だ。今月、四月からのNHKの朝ドラのことは全く頭になかった。歴史上の人物なのだからネタバレもああもないのだが、先を知ってしまったとちょっとヘンな感じ。牧野富太郎が造り酒屋のボンボンで、在野の研究者だった為に学会に認められるのに苦労したというのは本を読む前から知っていた。読んでまた驚いたのは、家業に全く身を入れず己の好きを貫き通す牧野富太郎の態度だった。金に糸目を付けずに資料の本を買い漁り、顕微鏡を購入しと、ボンボンゆえに金銭感覚がない。夢追い人だと妻となる女性の母親から呆れられたように評される。夢追う為に周囲がどう思おうが一切気にしないで突き進む、ある意味羨ましい人生だ。

 思い定めた一つの道に突き進む、それができるのは幸運である。人は様々な事情で好き勝手に生きられない場合が多い。経済的な理由もあれば社会情勢もあるし、性別を理由にされることもある。艱難辛苦があろうとも乗り越える気持ちがなければ本気ではなかったのだ、と評するのは残酷過ぎる。不断の努力を続けられるかは一種の才能だ。一般人は生活のあれこれ、将来の不安を理由に安定を求めて、夢を諦めてしまう。一心不乱にこれと決めたことに没頭できるのは、顧みられない寂しさを抱く家族や金策に苦労しながらも面倒を見てくれる者に気付かないのか、気付いても心が痛まないのか。

 映画『セッション』は一芸を究める為に打ち込んだ青年の話だ。以前録画していたのをこの前視聴した。映画の前のちょっとした案内で『セッション』の監督はデイミアン・チャゼルと説明していた。つまり『セッション』は『ラ・ラ・ランド』や『バビロン』以前の作品、これが出世作。『セッション』の原題は『Whiplash』、”whip”を辞書で引くと「鞭打つ」が最初に出てきて、後の方に「泡立たせる」とくる。そして”whiplash”は「鞭打つ」、「鞭打ち症」の意味がある。そしてジャズの曲名でもある。セッション、会合や合奏の意味の邦題は原題そのままじゃなかったのかと、オープニングタイトルでふと思った。

 主人公のアンドリュー・ニーマンはアメリカ合衆国で最高峰と言われる音楽学校に通い、ジャズドラマーを目指す青年。父親と一緒に映画館でポップコーンを分け合いながら映画鑑賞するほど仲は良好。音楽学校で初級クラスのジャズバンドでの演奏をしている所に学校でも最高の指導者とされるフレッチャー先生が顔を出す。初級クラスの演奏は素人の耳にも上手とは響かない。フレッチャー先生は一人一人演奏させてみて、アンドリューにフレッチャーの指導する上級クラスに来るよう言う。

「練習は朝六時からだ。遅れるなよ」

 アンドリューは素晴らしい先生に認められたと喜ぶのだが、ここからド根性ものの様相となってくる。

 アンドリューは、寝坊だ! と寮だかアパートを飛び出して学校の練習室に飛び込むがまだ誰もいないし、練習室入り口の予定表に練習は九時からと書かれている。アンドリューは大人しくその場で待つ。九時に近付くと学生たちが集まり、準備を始める。で、時計が九時を指すと学生たちは直立不動、フレッチャーが姿を現す。

 このクラスのバンドには正ドラマーが既にいるので、アンドリューはチューニングと譜めくりをやらされる。

 フレッチャー先生、軍隊式というか、非常に厳しい。テンポがずれている、音が外れている、とすぐに演奏を止め、ガンガン文句を言い出す。学生側も一流の指導者だからとかなり緊張の表情で従っている。先生はもう罵詈雑言の嵐である。ドラム交替でアンドリューも演奏してみるが、テンポがずれているとほとんど言いがかりじゃないかという感じで罵り、頬をはたく。アンドリューは悔し涙を流し、猛練習を開始する。スティックを握る手はマメが潰れ血が滲み、親指と人差し指の間の皮膚は破れと、血と汗にまみれながら、激しいリズムを刻んでいく。手だけのアップではなくて、全身映っていて、音はともかく演奏シーンは俳優本人で吹き替えなしである。

 元々の正ドラマーを押しのけてその位置に着き、自信を掴み、またフレッチャーから認められ続けるにはひたすら練習と、音楽のことしか考えられなくなったアンドリューは恋人に一方的に別れを告げる。親戚の集まりで、多分イトコだと思うのだが、いかにもアメフトのエース然とした同年代の男の子たちから、「音楽に勝ち負けはないんだろう」、「音楽の良し悪しなんて所詮好みじゃないか」とこれまた芸術に理解のない、いかにもなことを言われて、「そっちこそ所詮地方リーグで勝ったってそれで終わりだろう? 俺は尊敬する偉大なドラマーみたいになってみせる」と傲岸不遜に言い放つ。

 そこまでしてもままならないのが人生であり、ドラマである。大きな挫折を味わって、学校を去ることになり、アンドリューは抜け殻のようになる。その後フレッチャーと再会し、またアンドリューはドラムスティックを手にすることになるが……。

 音を楽しむどころではなく、観ていて痛々しくなってくるのだが、やはり最大の山場の演奏には心は引き付けられる。

 フレッチャーは言う。

「上を目指す者に言ってはいけない一番の言葉は『上出来(good job)だ』。かつてのミュージシャンも侮辱されて猛練習し、一流となった。その屈辱がなかったら一流になれなかった」

 満足したらそれ以上は上達しないぞ、という意味なのは解るのだが、フレッチャーのやり方は苛酷だ。アカハラ、パワハラと非難されるべきものだし、実際作中ではフレッチャーが原因でうつ病になり自殺した教え子がいると説明されている。

 主人公アンドリューは屈辱にも苦難にも打ち勝った、かも知れない。一流のジャズドラマーになる理想を追いかける若さゆえに迷いなく一心に打ち込める。小説家になれず高校で教師をやっているアンドリューの父は果たして負け犬なのかどうか、それは主人公にもフレッチャーにも決め付けられない。


 勉学にせよ、スポーツにせよ、芸術にせよ、職業につなげてそれで食っていくとなると、たゆまぬ努力は不可欠だ。基本を身に着け、技術を磨き、応用できるよう経験を積み、感性を磨く。才能がないとランクを下げたり、怪我や故障で泣かされたり、よんどころない事情が出てきて続けられなくなったりする人も出てくる。霞を食って人は生きていけないと説教されることもある。歳月と鍛錬を重ねて、一流と称される人もいれば三流に留まる人、別の道に進む人がいる。

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