人間誰しも傲慢なんだろうね
辻村深月の『傲慢と善良』を読んだ。辻村作品は初めて、そしてわたしはこの題名や内容の参考としたジェーン・オースティンの『高慢と偏見』は未読である。
物語が不穏な幕開けとなっている。男性側に交際中である女性から電話を掛かってくるのだが、女性の暮らすアパートに灯と人影がある、あいつがいる、と訴え、男性は女性を守ろうとし、起居を共にして、結婚を決意する。登場人物の年齢が三十半ばから後半に設定されている。もう勢いだけで突っ走る青い若さはないはずだ。
結婚式の打ち合わせなど、慌ただしくも充実した日々の中、突然女性――坂庭真実が姿を消し、婚約者の西澤架は真実の行方を必死に探す。ストーカーがいるのかいないのか、情報が曖昧で事件性がないと判断されて警察は捜査をしてくれない。架は必死だ。群馬県にある真実の実家の両親、かつて真実が婚活に利用していた地元の結婚相談所を経営する女性、真実の姉の希実、群馬県庁で臨時職員をしていた時の同僚女性、婚活で会った男性たち――。
真実と深い交際をした男性は見当たらない、結婚相談所で会った男性たちはさしたる交流もなく終わり、真実に執着を見せるような性格でもなかった。
恐らくは地方在住者あるあるなのだろうが、真実本人が言わないであろう真実と彼の女の周辺の情報を、架は聞かされる。地元の大学の名前を有難がり、役所で勤めるのが堅実、といった感じの東京生まれの東京育ちの架には首を捻りたくなる言葉。
真実の母親がご自慢の真実の最終学歴の女子大の評判など架は知らないし、実の姉の希実は妹の学部を知らない。自営業の架を前にして、真実のかつてのお見合い相手が歯科医の二男で自営業は大変だろうと反対したと言っちゃって、世間知が狭いのを暴露する。真実もまた自身の世間が狭いのを自覚したらしく、親元を離れて東京で自活しながら結婚相手を探していた、そして出会えたのが架だった。
架にしても四十が近くなるまで女っ気がなかった訳ではなく、恋愛の経験はあった。三十二歳の頃、恋人が結婚を希望しても、丁度父の会社を継いで日が浅く結婚は考えられず、女性の側から別れを告げられた。架はまだ自分たちは若いじゃないかと、仕事が軌道に乗るまで待ってと恋人の心情を汲み取ろうとしなかったのを傲慢だったとしている。やり直そうと申し出てみたら、別の男性と結婚すると答えられ、架はその痛手を引きずってきた。真実と出会うものの、なかなか結婚に踏み出せなかった。真実のいない仲間内の飲み会で、真実と結婚する気はあるのか、あるとしたら何パーセントくらいと尋ねられて、馬鹿正直にも七十パーセントと答えてしまう。
その直後、飲み会の最中に真実から、あいつがいる、と電話が来る。
飲み会にいた架の女友だちから、本当はストーカーなんかいないんでしょと真実に言った話が飛び出す。都会育ちの女友だちたちには真実の不器用さが気に入らないのだ。自分の人生自分の判断で進んできた、今だって自由に過していると自信のある人間は、狭い世界で古い常識に従って控えめに生きる人間を侮ってしまう。女友だちは七十パーセントの女とわざわざ教えもしたという。架は真実が失踪した理由の一旦を知った。
第二部となって、真実の視点に話は変わる。真実の一人称で綴られる部分で、真実は三十過ぎていて、作中確か三十五のはずなのになんだか語りが幼いな、と感じた。石川達三の『稚くて愛を知らず』(角川文庫)のヒロイン友紀子を連想した。友紀子はかなり極端な人物造形だし、真実は現状のままではよくないと気付いて自主的に行動しているので、展開は全く違うが。
第二部を詳しく書くとネタバレになってしまうのでほんの少しで。
親の言うままに進学先決め、就職も親のお膳立てに乗って決め、働きはじめ、いい歳になってもいい話がないじゃないと地元の名士夫人の営む結婚紹介所に登録させられる。ここら辺は『稚くて愛を知らず』の友紀子と同じく支配的な母親に囲われた娘の姿である。コネを使用したのに正職員で働いておらず、ずっと真実は実家暮らし。三十一歳になって職場の飲み会で夜中の十二時を過ぎて帰宅すれば母親は起きて待っており、二度と遅くならないように家の鍵を持つな、渡せと言ってくる。
心配してくれるのは解るし、有難いけど、違うよね。親の望むように生きてきて、このまま親の望む娘でいることが果たして親にも真実にも最善であるのか?
この作品の中で自覚のあるなしに関わらず、登場人物たちの相手を慮らない傲慢さが描かれる。また自分らしさを貫こうとするのは傲慢なのかといった問いも伝わってくる。
第一部は架の視点で失踪した真実を探すサスペンスであり、第二部は真実の人生とその行方が綴られる。
傲慢と対にされる善良は? それは作品の中に。




