将校であり間諜であり
映画『オフィサー・アンド・スパイ』の内容に触れます。史実の通りだし。
洋画でも洋楽でも、翻訳を必要とする場合、原題と邦題の印象がガラリと違うという代物は結構ある。
“Roman Holiday”が『ローマの休日』とされたのはそのまんま。しつこいようだけど、ビートルズの“Norwegian Wood”の邦題はヘンだ。“An Officer and a Gentleman”が『愛と青春の旅立ち』となるのは、原題から恋愛ものを連想させないからなんだろうなあ、と配給側の工夫が窺える。
十九世紀のフランスで実際にあった冤罪事件を映画化した『オフィサー・アンド・スパイ』、オフィサーが将校を意味するし、スパイはスパイでそのままなのだが、何の内容かは題名からは想像しにくい。この映画はフランス・イタリアの合作で、使用言語はフランス語、原題は“J’accuse”、英題が“An Officer and a Spy”で、邦題がフランス語の原題を直訳した「私は告発する」とか、「私は弾劾する」ではなく、英題から持ってきている。“and”が並列ではなく語句を連結して表す場合もあるので、『将校でスパイ』の語意となるか。いやあ、これもちょっと内容とズレない? と思ってたら、原作小説の原題が“An Officer and a Spy”なのね、あらまあ失礼。
映画『オフィサー・アンド・スパイ』はパリの陸軍士官学校の校庭で、士官の軍籍剥奪で始まる。校庭にはずらりと陸軍関係者が並び、柵の外には野次馬が大勢いる。公衆の面前で、直立不動のアルフレッド・ドレフュス大尉は帽子や服にある軍属を示すバッジやら勲章、金モール、金ボタン、すべてを剥ぎ取られ、最後に軍刀をへし折られる。観ていて驚かされ、屈辱の強さにこちらの胸が締め付けられそうになる。
「私は無罪だ」
とドレフュスは叫ぶが、同調を示す者はいない。野次馬は裏切り者の罵声を浴びせる。ドレフュスは遠く、ギニア沖にある悪魔島に閉じ込められる。
ドレフュスの軍籍剥奪を見ていた軍人の中にピカール少佐がいた。ピカールは砲術の教員をしており、ドレフュスはその研修を受けていて、記憶に新しかった。ドレフュスはユダヤ人で、愛想が悪いが、真面目で自尊心が高い人物だった。ピカール本人はユダヤに好意を持っていないが、ドレフュスがドイツに軍事機密を流していたとは信じがたかった。ピカール少佐は情報局の防諜部長が病気で退職したので、代わりに防諜部長に任命され、中佐に昇進した。防諜部は、すぐ下に控えるアンリ少佐を始め、面従腹背な印象、また設備がボロだし、守衛係は居眠りばかりで出入りが無防備、情報屋が昼間から騒いでカードをしており、役に立ちそうに見えない。
休みの日のピクニックで、ピカールに友人の弁護士はドレフュスがカトリックだったらもっとましな裁判になったんじゃないかと言う。あれは軍法会議だし、と答えつつ、ピカールは複雑である。ピカールには長年の愛人のポーリーヌがいて、彼の女は人妻だ。人目を忍ぶ仲といっても、背徳感を楽しむとか苦しむとかいった後ろ暗さがない。
アンリ少佐がドイツの大使館の掃除婦からゴミ箱の中の文書の断片を渡してもらうように工作しているのを交代し、自分もそのメモの復元に立ち会う。ドイツ大使館で破棄された電報の内容に、フランス陸軍の将校の名前が浮かび上がる。
ドレフュスではない。陸軍の別の部隊のエステラジー少佐の名前だ。
ピカールはまたも情報漏洩かとエステラジーの調査を続ける。軍内部でエステラジーの文書を手に入れ、ドイツ大使館からの文書と照らしているうちにあることに気付く。前任の防諜部長がドレフュス事件の証拠とした文書を額装して部屋に飾っている。その証拠文書とエステラジーの筆跡が似ている、いや、同じではないか。機密漏洩の真犯人はエステラジーであって、ドレフュスは無罪だ。上司たちに掛け合うも、一度判決を下したのを覆すのかとか、君はユダヤ人の味方をするのかとか、ぐだくだの態度を示されたうえ、ピカールは地方に左遷された。
二年ほどして、やっとパリに立ち戻り、友人の弁護士ブロワの許に行き、相談する。軍人としての守秘義務やら上意下達に縛られ、監視があるピカールにはもうできることがない。しかし、ドレフュス事件に疑問を抱く人々がいて、かれらが世に訴えてくれると人権派の弁護士や政治家、出版社と作家がピカールの話に耳を傾ける。
ピカールは人妻との交際を暴露され、やがてエステラジーへ罪を着せる為に文書を偽造したと逮捕、拘禁される。護送される馬車の中から、ピカールは新聞を買う。「オーロール」新聞に大見出しで“JAccuse……!”、「私は告発する」とエミール・ゾラの署名で、ドレフュス事件は冤罪であり、ユダヤ人への差別感情から真犯人を見逃し、軍はそれを隠蔽したと弾劾する記事だった。
ゾラは名誉棄損で訴えられ、ピカールは証人として出廷するもゾラは有罪となる。しかし、ドレフュスの再審が決まった。ドレフュスはパリに召喚され、軍服姿で法廷に現れる。
結末を言えば、史実の通り、再審でもドレフュスは有罪となる。文書の偽造をしたアンリ少佐が自殺したり、担当弁護士のラボリが襲撃されたりで、被告側は万全の状況ではなかった。ただ情状酌量があって刑期を短くされ、後に恩赦でドレフュスは釈放、さらに後に軍法会議の判決が破棄され、無罪となる。
おい~! ドレフュスの人生を何だと思ってるんだ!
無罪となったドレフュスとピカールは軍に復帰できた。
陸軍大臣になったピカールの許にドレフュス少佐が面会を求めてきた。何の話をするのかと思えば、ドレフュスは現在の階級に不満があるのを伝えに来たのだ。軍籍から抜けていた年数を考慮すれば、自分は中佐に昇進していておかしくないではないか、あなたは順調に昇進している、と訴えた。
「法律の改正がないと君の希望は叶えられないし、現状では無理だ」
観客を感動させるような台詞はない。ドレフュスは敵を作りやすい性格していたのかしら、と思わせて映画は終わる。
わたしが映画に興味を持ち始めた年頃にはポランスキーは既に世界的に有名だった。『ローズマリーの赤ちゃん』や『マクベス』、『テス』が代表作と聞いていたし、その後も『戦場のピアニスト』の評価が高い。だが、わたしはポランスキー作品を観てこなかった。今回初めてポランスキー作品を観た。奇を衒う映像ではなかった。遠景と奥行、細部にこだわったセット。画面転換の早さはないが、手堅く重厚な印象だ。
ドレフュス事件はユダヤ系のロマン・ポランスキー監督がずっと映画化を望んでいた題材である。第二次大戦中、強制収容所からの逃亡があり、映画監督として成功するも妻がヒッピー集団に惨殺され、悲惨な人生を送ってきた。その一方、未成年の女性に性的暴行で有罪となり、そのほかにも被害を訴える女性たちがいる、十代の女性の敵のような男性だ。被害者が加害者となり得る負のサイクル。それはドレフュス事件をきっかけとしてシオニズム、イスラエル建国を目指す運動が始まり、中東問題へと現代も続く歴史の姿に通ずる。




