身近なのに遠い
ジュリア・フィリップスはアメリカ人で彼の女の小説『消失の惑星』(井上里訳 早川書房刊)はロシア東部のカムチャツカ半島が舞台だ。
カムチャツカ半島の海沿いの街、ペトロパヴロフスク・カムチャッツキー市に住む幼い姉妹アリョーナとソフィヤが行方不明になった。アリョーナは十一歳、ソフィヤは八歳、
母マリーナ・ゴロソフスカヤは統一ロシア党のジャーナリストで、父とは離婚している。姉妹は所謂鍵っ子で、学校が終わってから、母が帰宅するまでの時間、二人で時間を潰していた。アリョーナは携帯電話を持っており、姉妹が海辺近くで大きな車に乗り込むのを目撃されているが、捜査は進展しない。既に姉妹たちは生きていないのではないかと囁かれつつ、捜査は続く。
十三の章に分かれ、それぞれ違う十二人の女性たちの視点となっている。最終章を除き三人称で、最終章のみ一人称だ。一見カムチャツカ半島に暮らしていることだけが共通点の女性たち生活が、ゴロソフスカヤ姉妹の行方不明事件が影を落として大きな流れを生み、終幕へと向かっていく。
ペトロパヴロフスク・カムチャッツキー市の街と北部の村エッソが登場人物たちの暮らす場所だ。
カムチャツカ半島の街には様々な人たちがいる。まず、スラブ系の白人が多くを占めるが、先住民、中央アジアからの労働者たちがいる。旧ソ連の体制のお陰で女性の社会進出が進んでいるので、ゴロソフスカヤ姉妹の母だけでなく、登場する大半の女性たちは銀行や病院、火山研究所などで働いている。それでも旧弊な考えを持つ女性もおり、偏見丸出しに母子家庭の子どもだからあんな目に遭うとか、先住民は自分の村から出てこなかったものだわなんて口にする。
ゴロソフスカヤ姉妹の行方不明事件より三、四年前に、先住民の少女が失踪する事件が起きている。少女は十八歳のリリヤで、大した捜査も行われなかった。おまけにリリヤは身持ちが悪かったように噂され、家族は辛い思いをしなければならなかった。
ゴロソフスカヤ姉妹の母マリーナに、リリヤの母アーラは問わずにいられない。
「警察に幾ら渡したんですか? 賄賂ですよ。どうして警察は娘さんの捜査を熱心に続けてくれるのですか? わたしは警察に何度も電話をしたし、署に足を運んだ。でも話を聞いてくれなかった」
「警察は義務を果たしているだけです」
マリーナはそう答えるしかない。
マリーナとその夫が白人だから、マリーナが統一ロシア党に入っているから、スラブ系白人の中に先住民に対する意識があるから、なんてマリーナは考えない。アーラはマリーナを信用できない。
各章の視点となる女性たちはそれぞれ痛みを抱えている。
ゴロソフスカヤ姉妹と同じくシングルマザーと暮らす少女オーリャは事件をきっかけにして、学校の友だちと遊べなくなる。だが少女は一人きりで過す季節の移ろいの輝きを知る。
母子家庭にも先住民にも忌避感を持っているワレンチナは小学校の事務方の仕事をしている。家庭が何よりも優先すべきなのに、親がああだから娘もあんな目に遭うのよと、ワレンチナはゴロソフスカヤ姉妹の事件について平気で口にする。そんなワレンチナは胸にできものができて放っていても良くならず、紹介されて総合病院に行けば何の説明もなしに「すぐに手術します」と言われて茫然とする。
可愛いを通り越して、間が抜けているんじゃないかと言われるようなドジな男性と交際しているカーチャ、キャンプに行ったらマックスがテントを車に積み忘れていて、すっかり気分だだ下がりで車中泊になるが、夜中ヒグマが出てきて、マックスがクラクションを鳴らして追い払う。
犬の散歩途中にゴロソフスカヤ姉妹が車に連れ込まれるのを目撃したオクサナは、同僚のマックスが家の鍵を閉め忘れた所為で、愛犬が家から飛び出していなくなり、悲嘆にくれる。
先住民のクシューシャはペトロパヴロフスクの大学生で、学生寮に入っている。北部のエッソに実家があり、恋人のルースランはエッソで働いている。ルースランは兄のチェガの昔からの友人で、白人だ。ルースランは都会に出た恋人に束縛と言っていい干渉してくる。大学の舞踏団に入り、別の先住民族の男性と出会い、クシューシャは来し方行く末を思う。
クシューシャの兄チェガはエッソでカメラマンをしており、銀行勤めのシングルマザーの恋人ナージャがいる。金銭感覚や生活への意識の違いから諍い、ナージャは幼い娘を連れて実家に帰る。しかし両親にも元カレにも苛立ちを抱えてしまう。
チェガとルースラン、クシューシャは失踪したリリヤとは同郷で顔見知りだった。
リリヤの姉は潜水艦の乗組員の夫を持ち、不在がちの夫を待ちながら子どもたちと暮らしている。実家に戻れば、UFOヲタクの弟と母がいる。リリヤは窮屈な村から自ら出て行ったのか? 事件に巻き込まれたのか? 何も判らない。母は末娘が家出をしたと考えたくない、弟はUFOの話しかしない。
警察官の妻ゾーヤは忙しい夫と赤ん坊を抱え、生活に倦んでいる。近くの工事現場の出稼ぎ労働者たちの姿が気になって仕方がない。
突然愛する対象を失った女性、同性愛に理解のない社会でもがく女性……。
近くにいるはずの恋人や配偶者、家族、友人たちに腹を割って話しても伝わらない、或いはその近しさゆえに語れない事柄が積み重なり、側にいるはずなのに距離ができる。
それぞれが心の空洞や痛みを訴え、何かしら読者の共感と反発を抱かせるようになっている。個々の女性のかなしみは解決しないが、事件は解決を予想させる形で終わる。
作者の故国アメリカ合衆国と異なるロシアの一地方、大多数を占める白人、先住民、外国人労働者のいる社会を、作者は一時期滞在し、体験した。上級国民と呼ばれるような人たちがいて、それ以外がいて、差別の目で見られる人たちがいるのはどこの国も変わらないのかも知れない。その国独自の事情が絡み、人に共通する日常の営み、喜怒哀楽がある。スラブの人たちも、悩み、傷付き、希望を抱く。