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人が黙っても石が叫び出す

 李龍徳(イ・ヨンドク)の『石を黙らせて』(講談社)の内容に触れます。

 別のエッセイで辻原登の『寂しい丘で狩りをする』(講談社刊)の話を書いた。これは強姦された女性が犯人を訴え、その犯人の男性が裁判で有罪となり、服役し、出所後、被害女性を殺害した実際の事件をモデルにした小説だ。

 実際の事件では女性は犯人の出所を知らなかったが、小説では被害女性が逆恨みした犯人がお礼参りに行くつもりだと刑務所で言っていたと、ある人物から聞き、なんとか自衛しようとする。犯人の出所やその後の動向を探るように依頼された探偵社の女性の話も絡み、身勝手な発想をする加害側と身を守ろうとする側がせめぎ合う。

 女性側とその味方をする人たちの心情はヒリヒリするほど共感できた。怖いし、恐怖の根源を絶つには思い切った決断しなければならない潔さも伝わった。

 一方、加害者側の考えることは解りやすく描かれているが、賛成しかねる。欲しいから取る、快さを追求したい、その為には暴力だって行使してもいい、との単純さは、弱肉強食で世の中できているのかと絶望しそうになる。

『寂しい丘で狩りをする』は、問題が解決される形で終わる。

 同じ講談社で出ている、『石を黙らせて』(李龍徳(イ・ヨンドク)著)は、過去に性犯罪、集団での強姦を行った男性「私」の語りの小説だ。

 性犯罪の加害者視点の物語、と興味を持ち、図書館で見掛けて手に取った。

 これは……、正面切って書くのって難しいんだろうなあ、と正直思った。

「私」は結婚を申し込んだ相手と同衾中に過去の罪を告白する。結婚という大事を前にすべてを告白しなければならない、忘れ去り、何もなかったことにしておけない、「私」にとって耐えられないほど重いと、打ち明けずにはいられなかったのだ。十七歳、高校生の時に、別の高校に進学した幼馴染の親友と、その親友と同じ高校の知り合いたちと「私」を入れて四人、夜に独り歩きの女性を無理矢理バイクに乗せて、人気のない所で集団で強姦をした。自分は主犯ではなかった、といったって、詳細を伝えられて失望しない女性がいるだろうか。一緒に乗り越えよう、なんて言ってくれると期待する方がどうかしている。恋人の真由は寝床から出て、私物を片付け、合鍵を置き、夜中にも関わらず、「私」の許から出て行った。職場恋愛で、結婚の予定は職場に知られていた為、「私」は退職し、マンションも引き払う。

 親友は結婚して子どもがいる。親友に「私」は問わずにいられない。

 ――あんなことをしてどうして結婚できた? 奥さんは何も知らないのか?

 親友は妻に言ってない、どうして言う必要があると、答え、高校での交友関係から逃れられなかった所為だと、伝え、去る。

「私」は実家の両親、結婚を控えた姉にも自らの行状を伝え、どこの誰とも知らない被害者を探し出し、謝罪したいと告げた。

 両親と姉から「私」の罪は嘆きと怒りを呼び、決意は否定される。「私」の行為によって家族がどれほど迷惑をこうむるのか解っているのかと問われ、絶縁される。

「私」はかつての職場の同僚の女性芳賀(よしが)と偶然出会い、(真由から事情は全て聞かされたと)彼の女は語る。

 ――いくら悔い改めようと許されない罪を犯したんだから、身を持ち崩して落ちぶれてしまえばいい。

 自ら性犯罪の被害者と告白する芳賀(「私」の事件とは別)の面罵はすさまじい。だが、何らかの形で性的対象と見られることでの不快さや恐怖を感じた経験のある者なら、それくらい受けて当然、むしろその程度で済んだのが惜しいくらいに思うだろう。

「私」は無職のまま、飲んだくれる日々を送り、ようやく輪姦事件の主犯であった溝口に会いに行く。溝口は地元名士の息子で、現在は地方議員の身だ。溝口は「私」から何を言われても悪びれる様子がなく、糾弾に余裕の態度である。もう一人の共犯者の居所を追及してもはぐらかす。

 溝口の紹介で「私」のアパートに禅宗の若い僧侶が訪ねてきて、問答を重ねていくが、「私」の気持ちは救われないし、問題は何も進まない。

「人が黙ったとしても、石が叫びだすだろう」

 新約聖書からの言葉をアレンジしている。聖書で記されている意味とは違っているのだろうが、「私」は想像する。

 ――被害女性の声を石が代わりに語り掛ける。罪を、そして被害後の人生を、永遠に許されない。

「私」はそれを永遠に受け続けなければならない。

 読了して、これで終わり? 何も解決していないじゃないか、と叫びたくなった。確かにこれはエンタテイメント性を追求する小説ではない。犯罪が犯罪だけに、被害者を探し出して謝罪すればいいハナシでもない。罪の重さに悩んで、人生をなげうつ一大決心をしたものの、自堕落な日々を送る、観念的な結末だ。

 わたしは真由や芳賀、実家の家族の視点に寄ってしまう。だから「私」が過去を反省し、罪を償いたいと思い立つのは立派だが、何故今頃なんだと疑問を抱く。既に事件は時効であり、被害者について何の手掛かりもない。罪の告白をブログで行えば炎上して個人の生活は破壊され、関係者も大いに誹謗中傷にさらされるだろう。しかし刑事罰は科されないし、被害者が名乗り出てくる可能性は薄い。

 何故なのか。罪の重さの自覚を問うものなのか?

 李龍徳作品はこれが初めてだ。もしかしたら構想だけで筆を走らせたか?

 物足りない本だった。溝口との対決や禅問答、もしかしたら改訂版があるかしら? 消化不良でドストエフスキー作品を読み返してみようか、などと想像しつつ、この章を終える。

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