ABBAのメロディに乗って
YouTubeの『積読チャンネル』を視聴する話は前にも書いた。そこでの書籍の紹介は面白くて、実際どんな本かな? と興味そそられる。『積読チャンネル』はオンライン書店が主催しており(古書の買い取りもしているそうだ)、そこに会員登録して本を購入するのがスジなのかも知れないが、如何せん、こちらにも予算や本棚のスペースの問題がある。地元の図書館に蔵書があるなら借りて読もう、となって、「三島海雲」の本を借りてしまう。ほかに、あっ、これ絶対読みたい、と思った本が紹介された。地元の図書館にはなく、ああ、これは件のオンライン書店に注文しなくてはならないか、と在庫を確認してみたら(その時は)品切れだった。YouTubeでAm〇zonではなくウチに注文してくださいと、毎回のように呼び掛けられているが、Amaz〇nを覗いてみた。丁度二週間後くらいに別の出版社から文庫で、増補版で出ると表示された。こればっかりはタイミングでしかない、ゴメンナサイネエ、とA〇azonでポチった。
こうして九月の半ばに『ヤクザときどきピアノ 増補版』(鈴木智彦著 ちくま文庫)が我が手に届いた。
鈴木智彦というライターさんは知らなかったが、これまで出してらっしゃるのが、『サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館)、『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)という本。のらくら暮らしの無職主婦はひゃ~と声を漏らすしかない。
暴力団に密着取材するのも厭わぬノンフィクションライターがなにゆえにピアノのお稽古の実録本を出す流れとなったのか。それがこの本の面白さであり、人の心が乾いた真っ白な布のように水を吸い、様々な色に染まる不思議さでもある。
五年間の取材期間を経てなかなか原稿をまとめない著者に、編集者がいついつまでに仕上げてくれと切れ散らかし、ようようやっと『サカナとヤクザ』の校了まで終えた。なんだかんだ言って一仕事終えたハイな気分の中、映画館に行って『マンマ・ミーア! ヒア・ウィ・ゴー』を観ていて、こんな話では感動しないぜ、なんて毒づいていたのに、ABBAの『ダンシング・クイーン』が流れ出すと、自然と涙が溢れ出て止まらなくなった。
そして著者は思ったのだ。
この曲をピアノで弾けるようになりたい。
元々小学生時分から楽器の演奏、ことにピアノの演奏に漠然とした憧れがあった。なかなか縁がなくて、と過してきたものの、ここに来てピアノを弾けるようになりたい、それも『ダンシング・クイーン』を、と著者は切望するに至った。
著者はすぐにピアノ教室を調べ、連絡を取ってみるがうまくいかない。著者は電話で開口一番、「『ダンシング・クイーン』が弾きたいんです」と正直に伝えて、相手はどう対応したらいいか戸惑うばかりのよう。著者は主体はこちらにあると考えていて、それは正しい、でも未経験者なら基礎を積んでから、と誰しもか返答するものだろう。中年の男性の初心者を受け入れてくれる教室がどれくらいあるかどうかも未知数で、丸二日掛かってやっと教室の見学を取り付けた。挨拶を交わし、著者は早速問い掛けた。
「「『ダンシング・クイーン』を弾けますか?」
「練習すれば、弾けない曲などありません」」
堂々と答えてくれたレイコ先生に、著者はピアノの教えを乞うと決断した。
ピアノを習い始めて、知り合いから実は自分もピアノを習っていると声を掛けられたり、顔見知りの暴力団のエライさんからヘンなクスリでもやっているんじゃないかと疑われたりがあった。そして編集さんからピアノ学習の体験記を書かないかと依頼が来た。発表会をエンディングに持ってきて、と言われ、習い事を続けるモチベーションになるかと引き受けた。編集さんから釘を刺された。
「ピアノメーカーに取材に行くのや、調律師やピアニストへのインタビューは不可」
取材に時間を掛ける著者に対して当然の注文であろう。
鈴木智彦の文章には初めて触れる。だから『ヤクザとサカナ』とか『ヤクザと原発』がどんな本で、どんな文章で綴られているかは知らない。山口百恵の歌の歌詞やロック、ゲームの話が時々文章に現れるのは著者の年齢的なもので、ユーモアの一つだろう。レイコ先生が、「毎日練習すれば難しい曲でも弾けるようになれる」と、リストの『ラ・カンパネラ』を著者の目の前で弾いてみせる。その時の衝撃と感動を著者は事細かに描写するのだか、何故だかロサンゼルスで防弾チョッキの性能を試すのに、至近距離から三十八口径の銃でみぞおちに弾を食らった体験を思い出す。
確かにグランドピアノの音の響きを間近で体感するのは揺れの強さと言って差し支えないものであろうし、生の演奏の音はスピーカーから再生される音とは別の物だ。それくらい著者にとって衝撃的な体験であったのだと表現したいのだと解る。解るのだが、例えがすごい。としか言葉が出ない。その後もヤクザ関係の隠語(解説付き)や体験での例えが文章のそこかしこに顔を出す。
著者がクールを装いつつ、その実ひたむきにピアノに向かう姿勢は心動かされる。違う観点からのピアノの表現、そして初心に帰ってピアノを学び直すような気持ちにさせてくれる。
果たして著者は発表会でABBAの『ダンシング・クイーン』が弾けるのか? その後もピアノ演奏は続けていく気はあるのか? 読んでいてこちらもわくわくする貴重な体験をさせてもらった。
引用は、『ヤクザときどきピアノ 増補版』(鈴木智彦著 ちくま文庫)より。




