映画『響 -HIBIKI』
これは映画『響 -HIBIKI』を観ての感想です。
良人が配信サービスで映画をチェックしていて、これ面白そうじゃないかと声をかけられて、映画『響 -HIBIKI-』を観た。配信サービスの作品紹介の画面で女子高生が小説を書いてその作品が芥川賞と直木賞の候補になるとあった。芥川賞と直木賞で同時候補になるのは柴田錬三郎の『デスマスク』があり、その後も同様の作家が出たことがあるとは聞いた。随分デカい設定の映画だと思った。まあ、どんなものか観てみましょう、と肯いた。
北川景子演じる文芸雑誌の編集者のふみの印象のみ残った。わたしには文芸雑誌の編集室の内幕ものの映画に見えた。天才的な小説の才能のある女子高生鮎喰響がそれだけ特異な個性の持ち主でもあるのだが、まあ、手が早い。攻撃や悪意に敏感なのは感受性ゆえとしよう。しかしいきなりの暴力には驚かされる。ちょっとでも突っかかれば倍返しどころではない暴力をお見舞いする。見終わったわたしは良人に言わずにいられなかった。
「小説家なら言葉でやり返さなきゃ」
「小説家なら、そうだね」
と良人も同意した。
ラストクレジットまで見て、この映画には原作があるのを知った。『響 小説家になる方法』、著者は柳本光晴で、小学館で発行されている。知らない漫画家さんだし、クレジットで初めて知ったように漫画の評判も評価も知らない。だが納得もした。道理で主人公が言葉でなく動きでやり返す。映画もそうだが、漫画にも絵になる構図、動きは必要だから、響はすぐに手も足も出す。
主人公響の書いた小説『お伽の庭』は編集者のふみをはじめ、応募小説の下読みをする編集者や評論家、次いで小説家たちも高い評価をするが、どんな文章が綴られているか、一言も読み上げてくれない。原作漫画で文章をどう扱っているか知らない。口々に素晴らしい作品と言いながら、どんな内容かどんな文章で表されているのか、観客には示されない。上手いやり方だ。
響の高校の文芸部の先輩で親友となる祖父江凛夏は、現実世界の村上春樹を想起させる小説家祖父江秋人の娘。彼の女も小説を書き、そこそこ受けているのだが響に及ばない。
映画の中で、若年で芥川賞を取ったものの、その後の作品がパッとしない小説家もいれば、デビューしても筆一本で食べていけない者もいる。
出版不況なんて今更かも知れない。新人賞を取ったからって今の仕事を辞めないで下さいと出版社から言われるそうだし、原稿料と印税で食べていける小説家ってどれくらいいる? なんて言われる。
フィクション、エンターテインメントと割り切って面白がる。それが映画の一番の評価となるだろう。




