人生やり直すのなら異世界が楽なのか?
図書館で垣谷美雨の『マンダラチャート』(中央公論社)を借りた。話題になっているらしいとしか予備知識なしで読んで、驚いたし、主人公にうなずく人は多いだろうと思った。
まずわたしは「マンダラチャート」自体知らなかった。マンダラと聞けば、曼陀羅で、仏教の儀式に用いる絵を連想するし、華が付けばやはり蓮の花かと思うし、チョウセンアサガオの別名ともいえる。
碁盤の目のようになった用紙、用紙でなくてもいいけれど、目標決め真ん中に据え、目標を達成する為に必要な事柄を考え、その道筋、優先順位などを書き込んでいく。人生計画通りに進まなくても、勇気付けられるし、再起の手助けにもなる。
希望が大きければ大きいほど、絶望に変わった時の奈落へ落ちる感覚も大きくなるが。
六十三歳の主婦の雅美が主人公で、日中パートで働く。夫は仕事を言い訳にして一切家庭を顧みてこなかった。定年再雇用で働いているのももの、今後完全に隠居状態に入られたらどうなるのかと雅美は暗澹たる気分だ。子どもたちは独立し、夫婦の語り合いは無きに等しい。夫は妻を言い負かし、下に見ようとする物言いしかしない。大谷翔平選手のニュースでマンダラチャートが取り上げられて、雅美は自分の人生をもう一度やり直せるなら、と考える。マンダラチャートを作っているうち、ぐるぐると目の前の文字が回り始め、目の前の紙面に吸い込まれていく。気付くと、雅美は中学生に戻っていた。
中学生、成長期だし、進路はまだ定まっていない。やり直そうと思えばなんだってできると信じられる年齢だ! だが時代は1973年、昭和でいうと48年には男女雇用均等法もなく、憲法上男女平等でも社会通念上はそうではない。
雅美と同じく令和から昭和へと中学生に戻った同級生の天ヶ瀬良一と連絡を取り合いながら、今度こそ誰にも邪魔されない思う通りの人生を生きようと奮闘する。まず手始めに家庭内の意識改革で、母を手伝いながら父や兄にも家事に参加させる。前の人生で兄は母から家事を教えられないままに進学して就職、結婚したものの、その後の人生は豊かに彩られたとは言えなかった。兄の性格にガリ勉やモーレツサラリーマンは向かないのに、強いられた。そう思うからだし、自分も女の子だから、お兄ちゃんがいるんだからと言われるままでいたくないから。天ヶ瀬良一もまた前の人生とは違った進路を選び、進んでいる。
順風満帆かと言われればそうではない。やはり生き直せるといっても世界そのものがかつての昭和のままなので、雅美は今回四年制大学の建築学科に入学して学んでいけたが、今度は就職が決まらない。女子は自宅通勤者しか採用しない(雅美は東京に出て一人暮らしをしていた)、女性は結婚して辞めるだろうから資格の必要な重要な職に採用しない。時代の壁にぶつかってしまう。おまけに同期の実家の工務店でアルバイトをしていたら、こちらの気持ちを全く考えず、勝手に同期の嫁候補にされていた。やっとの思いで住宅設備メーカーに就職を決めたら、新人指導の社員が雅美を自分の女扱いするような男性だった。折角の就職を簡単に放り出す訳にはいかない。途方に暮れていたら……、何時の間にやら令和に逆戻り。結局何の変化もない状況であり、時代を飛び越えた疲労感でクタクタだ。令和に戻って天ヶ瀬良一と連絡が取れるだろうかと、雅美は手を動かした。
悩みも障害もない安楽な人生は存在しないと誰しも知っている。優等生だった天ヶ瀬良一は、仕事先のノルウェーでジェンダーに関して学び、ミスキャンパスに選ばれるような美貌を持つが浪費ばかりの妻に絶望していた。離職や転職、離婚は安直に実行できない。生き直しで医学の道に進むも、羨望されるような職業こそ気楽に務まるはずがない。
知っている世界で生き直すよりも想像の中の異世界の方がいいのだろうか? 平鳥コウの『JKハルは異世界で娼婦になった』の例もあるから、それこそガチャというべきか?
生き直しもうまくいかず、元に戻って溜息を吐くだけの終わりかというとそうではない。老年なりの希望を抱かせて物語は終わる。
ある程度の年齢になれば体力がなくなってきて健康に自信がなくなり、いい意味で欲望が枯れてくる。だからといってすべてを諦めるにはまだ早い。人生そういうやり直し方もあるかもね。




