映画『国宝』の所感
先月、映画『国宝』を観に行った。映画の始まる前に上映予定の映画の予告も流れる。活動報告にも似たような話を書いたが、今回も『ババンババンバンバンパイア』の予告が流れた。『国宝』も『バババ』も主演は吉沢亮。何故歌舞伎役者のシリアスな内容の映画の前に同じ主演俳優のBLコメディの予告映像が流れる? どちらもイケメン俳優ばかり出演で眼福と言えるけど。
吉田修一の原作小説は新聞連載時に読んだ。まるきり原作通りとはいかないだろうけど、どんな出来になっているのか楽しみだった。映画解説のYouTubeで田中泯の役が中村歌右衛門、吉沢亮の役が坂東玉三郎がモデルなのだろうと言っていた。小説を読んでいた時は全く思い当たらなかったが、聞いて成程と感じた。
わたしは歌舞伎の舞台を観たことがない。NHKあたりの舞台録画を観たくらいだ。わたしが十代くらいの頃には中村歌右衛門は女形の老大家であり、坂東玉三郎が人気で、片岡孝夫(現・仁左衛門)とのコンビの舞台が話題となっていた。歌右衛門が踊っている映像は観たことがないし、歌舞伎がどうのこうのの話題を聞いてもピンと来ないのだが、おじいちゃんであっても舞台に立てばだんだん絶世の美女に見えてくると評を読み、『ガラスの仮面』あたりを連想しながら、お芝居って奥が深いなどと思った。坂東玉三郎は元々梨園の出身ではないが、歌舞伎役者の家系の人の養子になったくらいはどこかで読んだ。
歌舞伎だけじゃなく、土方巽や田中泯の舞台も観たことないけど、映画で田中泯か鷺娘を舞う姿を観て、「暗黒舞踏」と、一瞬思ってしまった。(ごめんなさい)
テレビでの鑑賞に過ぎなくても、記憶の中の玉三郎の踊りを思い浮かべたら、映画の中の歌舞伎の踊りと比べようがない。そもそも吉沢亮も横浜流星も本職でない人たちだし、銀幕の中で充分に見応えがあった。見事だった。
映画の内容を語ろうとすると薄っぺらくなりそうだ。任侠の父を持つ喜久雄が抗争で父を亡くし、歌舞伎役者の家に引き取られ、そこの御曹司俊介と共に芸の道を歩み始める。抜きんでた才か世襲か、これは芸事でなくても世にあること。喜久雄の芸が認められ、上昇していくかと思えば転落が待っている。
己が身がなければ表現しようのない芸術を大成しようと、修羅の道を行く人生が三時間の中に籠められている。女性に関してのパートが駆け足の感があるが、ラストの瀧内公美の姿と台詞に唸らされた。観客にとって舞台に立つ役者の姿こそすべて。いいも悪いも知らないまま。夢を見させてくれる存在。虚構に虚構を重ね、うき世の儚さを垣間見せる、鮮やかで素晴らしい映画だった。




