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ナチス関連の映画で

 実在の人物を演じるのに俳優はその人物に似ている必要はない。それは解っている。解っているのだが、あんまりにも似ていなくて驚いた。

 ヒトラーを演ずる俳優は、顔立ちが似てようが似てまいが黒髪を撫でつけて髭を付ければそれらしく見える。(『アフリカン・カンフー・ナチス』あたりがそんな感じだった)しかし、今回観に行った映画はヒトラーではなく、ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスが主人公だ。映像記録で残っているヨーゼフ・ゲッベルスは小柄で痩せていて、昏い目つきをした男性。映画、『ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男』でゲッベルスを演じたロベルト・シュタットローバーは小柄ではない。立派な体格、押し出しも充分で、野心的な目つきに見える。現実のゲッベルスは幼い頃患った小児麻痺の所為で右足の成長に影響が出て、歩行時に右足を引きずった。映画のゲッベルスも右足に補助装具を着けて右足を引きずるようにしているが、すたすたと足早に歩き、走ることもできそうなくらいで兵役検査に落ちたように見えない。鏡の前で演説の練習をする場面、俳優の体格が見栄えする所為か滑稽味が薄い。ただ得体の知れない不気味さは漂った。わたしはゲッベルスについて詳しく知らない。歴史ドキュメンタリーでナチスの宣伝相、プロバガンダの天才で、ヒトラーの自殺の後に、我が子らや妻とともに後追って命を絶ったとしか知らない。

 映画を観ても解らないことが多い。当時の記録フィルムも交えながら淡々と歴史が描かれる。妻マグダとはヒトラーを支持する同志的な感情があり、ナチス幹部たちとはヒトラーの寵を争っている。(かに見える)果たしてゲッベルスは本気でヒトラーに心酔していたのか? 正義を行い、誤りはないと信じていたのか?

 映画のゲッベルスに揺らぎや迷いがなかったとは言えない。しかしやることなすこと徹底している。

 多分、ゲッペルスやマクダ、ほかのナチス関係の登場人物に一切の共感や同情を呼ばないように演出している。映画で描かれる人種差別や戦争、情報の操作に観客は真っ黒な気分になる。戦況は悪化し、敗北が避けようかないと覚ると、赤ちゃん期を脱したばかりの末娘を含めた六人の子どもたちを道連れにしての死を選ぶとゲッベルスは妻と決める。自らの忠誠であるだけでなく、ヒトラーがどんな偉大な人物だったのか後世に示すために、死さえも演出しようとする。

 映画の終わりにホロコーストの生存者の女性が映り、語る。なぜ差別や虐殺が起こったのか、納得させられる答えを示すことのできる人間はいないだろう。歴史を知り、尊重されるべき人権は皆に備わっていると知るのなら、繰り返されぬよう戒めなければならない。

 配信サービスで『ヒトラーのための虐殺会議』も観た。『関心領域』を観たならこの作品も、と言われるもの。1942年にドイツのベルリン、ヴァンゼ―湖畔の邸宅で行われた約九十分の会議を、残された議事録を基に映像化した。

 湖畔の邸宅には軍部や政府の高官が続々と集まってくる。会議の主催者はナチス親衛隊で国家保安部代表のラインハルト・ハイドリヒ。わたしが知るのはあとアドルフ・アイヒマン程度で、当時の第三帝国の軍部や政府の高官の名前や経歴は解らない。会議の参加者は男性十五名と、記録係の女性が一人。机に資料と席次の名札を置くものの、席順が気に入らないと名札を動かす軍人がいる。ハイドリヒの仕切りかと不満を漏らしたり、第一次大戦の経験から戦闘の残虐さのもたらす若者への心理的負担を案じたり、様々な人たち。会議の議題は「ユダヤ人問題の最終的解決」について。1942年の舞台設定でお気付きだと思うが、これはホロコーストの計画、実行に向けての会議なのだ。参加者全員ユダヤ人は排除すべきと考えており、財産没収と徹底した隔離に疑問はない。しかし移動手段や移動先の土地の担当者が経費が掛かるとか、もう満杯だとか言うし、経済面の方ではユダヤ人の熟練工がいなくなると軍需品の生産に影響が出ると言い出すし、法律面でのユダヤ人の扱いを無視するなと主張する者がいたり、残酷な行為は執行者にも負担になると言う者がいたりと、ハイドリヒ主導とはいえ何もかも即決とはならない。

 ポーランドのアウシュビッツに新しく広大な収容所を建設中で、責任者はルドルフ・ヘス(『関心領域』の主人公)だと説明が入る。鉄道や収容先でどうするのか、事細かに、そしてどうして人間に対してそんなことができるのかと感じるような扱いようが語られる。一見ホロコーストに異議を唱えるようだった参加者も、実は……、となる。参加者たちは善を行っていると信じていると観ている側は知らされ、暗澹たる気分になる。

 この映画も観ていると真っ黒な気持ちになる。でもなんというのか、目を逸らさず直視しようとする態度は共有するべきなのだろう。歴史は繰り返しに過ぎないと絶望しない為に、人間の言動に進歩はあると信じる為に。

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