サツマイモの色は一種類ではない
同居する姑は近隣の農家の休耕地を借りて野菜を作っている。「趣味みたいなものだから」と言い、「何もすることないと衰えるから」とも言う。
昨年作ったサツマイモの出来が、姑をいたく失望させた。収穫したサツマイモが、皮が紫色で中が黄色のお馴染みのものではなかった。掘り出したのが薄いオレンジ色の皮で、中身も薄いオレンジ色のサツマイモだった。見せられて、サツマイモは紅芋だけでなく、ほかの色もあるんだなあと、わたしは思った。しかし姑は茄子の蔓にピーマンが生ったかの嘆きようだった。
「ホームセンターで苗を買って植えた。普通のだとばっかり思ってたのに、なんでこんなの、美味しくなさそうな色」
と姑は言い続け、茹でてみたのを一緒に試しに食べてみようと言われて、食べてみた。姑は口にしてみて美味しくないと言い切るが、わたしはサツマイモの味がするとしか言えなかった。ほくほくした味わいはないけれど、がっかりするほどマズい訳ではない。
マズいけど勿体ないと、わたしと姑で食べ切る気は全くない。ただ良人と成人した息子二人の我が家の男性陣は蒸かし芋や天婦羅を好んで手を伸ばさない。女二人で頑張って食べても仕方ないだろうと、わたしは蒸かしたり、茹でたりしてそのオレンジ色のサツマイモを潰して、牛乳、ホットケーキミックスと混ぜ、グラタン皿に入れて、電子レンジで加熱しておやつを一品作った。
夕食後の団欒で食後の甘い物としてサツマイモ入りケーキを出して、食べてもらった。そのおやつが二回目に至った時、盛り付けた皿を見ながら良人が無茶な注文をつけ始めた。
「バニラアイスクリームとか乗っけてたべたい」
「ない」
「じゃあカスタードクリームとか」
「まあ、卵と牛乳があればなんとか」
「作ってみてよ」
「ああ、そう」
分量的にどうか、白身を余さないように全卵使うレシピがあるかとか、検索して、手早く作ってみた。小麦粉がダマになろうが、混ぜ方が雑で滑らかでなかろうが、急な注文主に応える為だから我慢してもらう。卵一個を割りほぐし、砂糖を入れて滑らかになるように混ぜ、牛乳二百ccを入れる。小麦粉を適当に入れて、バニラエッセンスを少々、木べらでかき回しつつ、小鍋で熱する。なんとかカスタードクリームと呼べそうなものができて、食卓に持っていく。量があると思ったが、家族五人、それも甘い物を好む男性三人がいればあっという間、わたしは味見程度にしかクリームを口にできなかった。
「多いと思ったのに」
食べ物の恨みはどこから始まるか解らない。
姑はわたしが工夫してサツマイモを消費してくれると安心したのか、連日サツマイモに恨みがましい言葉を並べるのを止めた。でもサツマイモは新年が明けても残っている。
「おせちで好きなのは栗きんとん」
と二男に言われ、今回おせち料理で栗きんとんを作らなかったのは失敗だったと激しく後悔した。