前編
あたしの街には聖獣がいる。
教会にも認定された蜘蛛の姫さまだ。蜘蛛の姫さまがいるというのがこの街の人たちの自慢。
あたしはと言うと、蜘蛛の姫さまの背中に乗ったことがあるのが自慢。すごいでしょ、ふふん。
すごいんだよ蜘蛛の姫さまは。長い黒い髪はツヤツヤで、日焼けし過ぎたみたいな褐色の肌は、むぎゅってしたらなんかいい匂いがして、いつも楽しそうにニコニコしてる。その笑顔を見るとなんだか幸せな気分になるの。
蜘蛛の姫さまは腰から上は元気な明るいお姉さん、だけど腰から下は真っ黒なおっきな蜘蛛。だから蜘蛛の姫さま。
あたしがその蜘蛛の背中に乗ったとき、黒い毛がふわふわで、蜘蛛の姫さまがえいってジャンプしたら二階の屋根より高く跳んで、きゃあってなって、街壁の外の緑の森が見えたの。なんだかこのまま何処までも行けそうな気がしてワクワクした。また蜘蛛の姫さまと遊びたいな。
だけど蜘蛛の姫さまは聖獣に認定されてからは、前ほど気軽に街に来れないみたい。前は屋台で貰ったものを食べ歩きしてたり、家の屋根から屋根へとピョンピョンしてたのに。
遠くの村や町から聖獣を一目見たいっていう巡礼者? 旅行者? がこの街にいっぱい来て増えちゃった。今、蜘蛛の姫さまが街に出てきたら、たくさんの人に囲まれて身動きできなくなって、ちょっとした騒ぎになっちゃうんだって。
あたしも近所の子たちも、また蜘蛛の姫さまと遊びたいなー、お喋りしたいねー、って話してる。ちょっと寂しい。
そいで他所から来た人が増えて、街の大人たちも戸惑っているの。この街は魔獣の森に近くて、他所から旅行者が来ることも珍しい街。なのに今じゃ宿屋がいつも満員で部屋が足りなくて困るくらい。
この前はうちも、街の守備隊の隊長さんから注意するようにって言われた。
他所から来た人が増えたから、いつもみたいに扉も窓も開けっぱなしで留守にしないようにって。変な人には気をつけてって。
なので母さんが買い物に出ている間は、あたしが店番をしてる。あたしのうちは金物屋。父さんが作った鍋とかフライパンとか売ってるお店。ご近所の台所用品はだいたい父さんが直してる。
今も奥では父さんが包丁を研いでいて、あたしは近所のおばちゃんとお話しながら店番してる。
噂好きのおばちゃんはあたしが一人で店番してると父さんに包丁の研ぎを頼んで、終わるまでお店にいてくれるって。おばちゃんのご近所の噂、最新版を聴きながら店番してた。
そしたらお店にお客さんが来た。日除けの鍔広の帽子を被った女の人が二人。初めて見る顔だ。大きな帽子で、今日ってそんなに陽射しがつよかったっけ?
一人が帽子を取って顔を見せる。こんにちわ、と挨拶したのはキリッとした感じのお姉さんだ。
「レーン様のお屋敷で住み込みで働くことになりました、フィスノと申します。ご近所にご挨拶に参りました」
と言ってペコリと。わあ、下町でこんな丁寧に話す人って珍しいなあ、と考えてるとさっきまで話してた近所のおばちゃんが、
「あぁ、レーンさんって守備隊のスラッとした人。あの人、副隊長になってもまだ独り身でいい人いないのかしら?って心配してたけど、へえ、こんな美人さんが住み込みで家政婦に? 結婚しないの?」
いきなり食いついた。おばちゃん、近所の噂話は大好きだから。お姉さんの方は笑みを崩さずに穏やかに、
「いえ、私と妹は、レーン様とはそんな仲ではありませんので。ほら、ハイアディも挨拶して」
と、隣のもう一人に言う。動じて無い。なかなかできる。で、妹っていうもう一人が慌てて帽子を脱いで、わたわたしながら、
「は、は、ハイアディと申します。よよよろしくお願いします!」
とペコリ。こちらこそよろしく、と言おうとしたあたしの口が、ポカンと開いて何も言えなくなった。
え? どこのお嬢さま? お姫さま?
すごい可愛い。
帽子で隠れた顔が出たらキラキラしてて、なんだか魂を持ってかれたような気がしたよ。
二人とも髪はこの辺りではわりと見かける茶色。妹さんの方がちょっと色が薄いかな。お姉さんはちょっとつり目気味で、妹さんはちょっとたれ目。あんまり似てない姉妹?
その妹さんが、スッゴイ美人。なんだろう? ただ美人というより、ちょっと下がった眉尻と目尻が困ったような、今にも泣きそうな顔にも見えて。なんだか気になって引き寄せられるような、不思議な感じの美人さんだ。
あたしが見とれているとお姉さんが、
「こちらは金物屋さんですか?」
と聞いてきてあたしは我に帰った。あたし店番してたんだ。お仕事しないと。
「ハイ、金物屋です! この辺りで台所用品のご注文にお直しは、ケイジュン金物店にお任せで!」
新しいお客さんで常連になってくれるかもなので、しっかり宣伝しないと。
お姉さんはフォークとスプーンをいくつか欲しいとのことで、お店にあるものを並べて見せる。まな板や陶器のお皿は? と聞いてきたので、この近くの他のお店の場所を教えてあげる。銀の食器とか高級品は大通りのおっきなお店、青髪商会長のところに行くといいよ。
だけどお姉さんは高級品を買うつもりは無いそうで、しばらく見たら他のお店にも挨拶してくるって。妹さんの方は壁にかけてあるお鍋をまじまじと見てた。珍しいものを見るような目で。
「ハイアディ、行きますよ」
とお姉さんが言うと、お嬢さまのような妹さんはわたわたと帽子を被ってお姉さんについていく。
あたしが、また来てねー、と言うと二人ともペコリとお辞儀をしてお店を出て行った。礼儀正しいな、神官さんか巡礼者みたい。
◇◇◇◇◇
その日の夕食、あたしは父さんと母さんに今日来たお客さんのことを話す。
「でね、でね、その妹さんがスゴイ可愛いの、お嬢さまな感じなの。紙芝居に出てくる庶民のふりして街に来たお姫さまかお嬢さまみたいで」
あたしが言うと父さんは、なんで呼んでくれなかった? その美人見てみたかったぞ、と口にして母さんにじとっと睨まれた。
父さんは誤魔化すように、
「レーンって守備隊の副隊長か。確かハイラスマート領の出じゃなかったか? となるとその姉妹も同郷かもな」
と、言う。あたしは昼間の二人を思い出しながら、
「他所から来た人って、なんだかよそよそしいよね。なんで?」
と、聞いてみたら母さんがクスクスと笑いながら教えてくれた。
「他所から来た人は、この街の人は馴れ馴れしくて戸惑うって言ってたわよ」
そうなんだ? あたし、知らなかった。向こうがよそよそしいんじゃ無くて、こっちが馴れ馴れしかったんだ。母さんはニコニコしながら言う。
「でもレーンさんのところに年頃の女の子が二人って、もしかして同郷の幼馴染みとか? この街で守備隊の隊員で落ち着いたから、幼い頃に結婚の約束をした人を呼び寄せたとか?」
母さんも噂好きのおばちゃんと似たようなことを言い出した。つり目のおねえさんはそんなんじゃ無いって言ってたよ、と教えてあげる。
レーンさんと言えば他所から来てこの街で魔獣狩りのハンターで頑張った人。腕の立つハンターになって守備隊にスカウトされたって。他所から来て魔獣の森に近いこの街に住もうって人は、ワケアリが多いって父さんが言ってた。
レーンさんはうちのお店に来たこともある。あたしみたいな子供相手にも丁寧な言葉使いする人。スッとしてて、なんだかワケアリらしい。
◇◇◇◇◇
つり目のおねえさんとたれ目のおねえさんは、ときどきうちのお店に来るようになった。たれ目のおねえさんはつり目のおねえさんの背中に隠れるようにして、だけど。
「すみません、妹は人見知りで恥ずかしがりなんです」
と、つり目のおねえさんは謝ったけど、それは謝るところなの?
レーンさんのとこで住む人が増えたということで、うちの店で鍋にフライパンなど買っていったりする。
母さんがつり目のおねえさんの買い物を見て話してるときに、あたしはたれ目のおねえさんにツツツと近づいてみる。たれ目のおねえさんは壁にかけてある鍋をすごく真剣な目で見てる。
「何か探してる?」
と尋ねてみると、ひゃ? とびっくりわたわた。あたしが近づいてきたのを気づかなかったみたい。こっちを向くと、
「えぇと、あの、ちょっと聞いてもいい?」
と、ちょっとおどおどしながら言う。なんでもどうぞとあたしが言うと、
「美味しいシチューを作るのは、どんなお鍋がいいの?」
と、可愛く小首を傾げて言う。うーん、初めて聞いた質問。シチューを作る材料と作る人の腕で味は変わりそうで、お鍋を変えても味はあまり変わらないような気がするんだけど。魔法のお鍋なんてうちには無いし。このたれ目のおねえさんが、ますますお料理なんてしたことも無いお嬢さまに見えてくる。あたしはちょっと考えて棚のお鍋をひとつ手に取る。
「この銅のお鍋だと熱の通りは速いよ。だけどちょっと高くて凹みやすいかな。こっちの鉄のお鍋の方が丈夫で長持ちするよ。で、美味しいシチューを作るなら焦げを綺麗に落とすとか、鍋の種類よりもお手入れの方が大事だと思う」
たれ目のおねえさんは、あたしの話を、なるほどー、と呟きながら聞いてた。あたしは心配になって、
「あの、ちゃんとお料理できる?」
と聞いてみると、きゅ、と握りこぶしを作って、
「練習中なの、いろいろ教えてもらいながら頑張ってるの」
とのこと。うん、家事手伝いをしたことも無い本物のお嬢さまだと確信してきた。このたれ目のおねえさん、ちゃんと家政婦できてるの?
こんな感じでお店に来るたびに少しずつお話をするようになってきた。つり目のおねえさん、フィスノがなんでもお任せなお仕事できる人で、その妹のハイアディはフィスノおねえさんからいろいろ教わってる最中だとか。
あたしは、ハイアディがお忍びで街に来たお姫さまで、フィスノおねえさんがお姫さまの面倒を見るメイドさんだと思う。
ハイアディがうちの店の中を珍しそうにキョロキョロする様子って、蜘蛛の姫さまが初めてうちの店の中を覗いたときと似てたんだもの。