漆黒の泥沼
雨が強く降りしきる夜、俺は傘もささずに都心を歩いていた。パーカーのフードを深く被っている俺の暗い表情は通行人には殆ど見えていないだろう。
これから向かう先は良い気分で行けるような場所では無い。気を抜けば、俺の口からは何度もため息が出てしまうだろう。そうしないために、さっきからずっとポケットに突っ込んだ手を握りしめ続けている。
そんな俺の気持ちに比例するかのように雨はいっそう強くなる。傘をさしていても濡れるであろうぐらいの雨なのに、運送ドローンは空を行き交っている。最近は護身用に自らにドローンを同行させている人もよく見かける。おそらく、この頃物騒な事件が多く起こっているからだろう。
しかし、俺が自らにドローンを付けることは100%有り得ない。なんてったって、俺はその事件に関わっているからだ。関わっている、と言ってもほんの少しだけだが。
この世界、自らの命より大切な物なんてある筈がない。だから、俺自身の命が守られるのなら俺はなんだってするだろう。例えそれが人殺しであろうとも……。
都心から少し離れた路地裏に、その場所はひっそりと存在している。俺は周りに誰もいない事を確認してから建物に入る。入口はホログラム加工された見た目はタダの壁だ。
中に入るとザワザワと騒がしく、色んな酒の匂いが漂う空間広がっている。俺は仮面を着けて、近くの壁に寄りかかる。
周りの人は一見、何ら変わらない様子をしている様に見えるだろう。一般人には。でも、俺らが見る景色は違う。ここらに集まっているヤツらは、全員オーラを纏っている。それも、人によって様々な色のものだ。
俺が来た場所。それは、『秘密結社レグメリア』の定例集会の会場だ。秘密結社レグメリア。勿論、聞いたことがある人間はほぼ居ないだろう。
秘密結社、なんて大層な名だが、実際は世に存在する異能力者を集めて作っている組織だ。聞いた話に拠れば、階級制度が有るんだとかで、集会に集まる者は皆下っ端だけらしい。聞いた人も、俺自身も上層部の人間に会った事がなく、リーダーが誰で何を目的としているのかも不明だ。
ただ、月に1度こうして集められ、各々に指令が出されて、それをやるだけ。それだけで月に22万も貰える。一体、その金が何処から来ているのかは分からないが、俺からしたらどうでも良い事なのであまり気にしたことがない。
ボーッとしていると、酒を載せたトレーを持って歩き回るウエイターに酒を勧められたが、断った。
俺の異能力の1つはサイコメトリー(物に触れることによって、その物の残留思念の読み取る力)だ。グラスに触ってまで、酔っ払いの戯言など聞きたくない。何もしないで立ち尽くすこと10数分弱、突然部屋が暗転した。酒を飲んで馬鹿みたいに騒いでいた輩もピタッと静かになった。
(やっとか……)
そうして始まった今回の集会。そこで俺に与えられた指令は、巷で噂されている『サインズモールの女の霊』の情報収集。周囲の様子を伺う限りでは、俺のみならず、複数名与えられている指令のようだ。
俺は指令の内容が入った封筒を受け取った後、すぐに会場を離れた。正直、さっさと家に帰りたかった。まだ大学のレポートの課題に手をつけていない。近いうちに提出しなければならない物だし、早く片付けたかった。しかし、俺がそそくさと路地を出ようとした所で呼び止められた。
「浅見、浅見優一。(あさみ ゆういち)」
サッと振り返ると、見知らぬ男がいた。しかし、組織内で使われている俺の名前を知っているという事は、恐らくコイツも組織の一員だろう。その証拠に、この男からもオーラが出ている。
「何ですか。迂闊に名前を呼ばないで頂けます?」
「すまん、すまん。俺は松江 一。よろしく。」
やけに馴れ馴れしく差し出されたその手を俺は睨みつける。
「他人の手は触りたくないです。」
「……潔癖か。まぁ、いいや。君の指令もサインズモールの情報収集なんだろう?何かあったら情報を共有しようぜ。」
「……。馴れ合いは嫌いなんで……。」
俺がまた歩き出そうとすると、また後ろで声をあげる。
「ちょ…ちょっと待てよ!!」
「……何ですか、執拗いな…。貴方気持ち悪いですよ。それから、迂闊に外で名前を呼んだり指令の話をしてはいけない事、知ってますよね?やめて下さい。それじゃ。」
それだけ言うと、俺はそそくさとその場を離れた。
全く…。面倒くさい奴もいるものだ。何故こうも人は群れたがるのか、俺には理解出来ない。群れたって良いことなんかない。
そもそも、あんな組織に入る事自体間違ってたんだ。少しだけ過去の自分が恨めしかったが、あの時はこうするしか無かった。と、主張するあの頃の自分が今も自分の中に存在している。
そういえば、俺が組織に入ったのは丁度10年前のこんな日だったな…と、滝のような雨が降る空を見上げ、思い出した。
自分で言うのも変な感じだが、当時の俺は良いとこのお坊っちゃんだった。でも、次男坊だった。
兄は、幼い頃に事故に巻き込まれて下半身不随だったが、優秀だった。性格が良く、容姿端麗で賢い兄は、俺とは真反対でみんなの人気者だった。その頃から、俺はサイコメトリーの力が発現し始めていたが、誰に言っても信じては貰えなかった。兄を除いては。
しかし、俺はある日兄の本心を知ってしまった。兄の部屋に何かしらの用事があって、たまたま机に置いてあった日記に触れてしまった時、聞こえてきたのは俺を馬鹿にする兄の言葉だった。
兄の真の思いを聞いた時、俺は錯乱状態に陥ってしまい、勢いで家を飛び出してしまった。多分、あの時の俺の中で渦巻いていた感情は、疑問、怒り、嫉妬、悲しみ、寂しさ……色んなものが混じりあっていたと思う。
しかし、幼い俺は行く宛てもなく都心を彷徨っていた。日が落ちても、今更どんな顔して兄や家族に会えば良いのか、そもそもあの家に自分の居場所はあるのか、考えても答えが出ない事を只管考えながら路地裏を彷徨いていた。
そうして3日程過ぎた日の夜。俺が路地裏のゴミ捨て場で寝ていると、誰かに蹴り起こされた。
「おい。おい、ガキ。…起きろって。」
「…何…。何ですか、貴方。」
俺は蹴ってきた相手の顔を見上げた。ソイツの顔は不気味なキツネのお面で覆われていた。
「うわぁっ!!」
思わず叫び声をあげると、ソイツは俺の口に手を当てて、頭をひっぱたいてきた。
「デカい声を出すなよ、ガキ。サツに見つかんだろ……。ところでお前、家はあんのかい。」
くぐもった声で性別が分からないソイツが俺に問うた。勿論返事はNOだ。
俺が首を横に降ると、ソイツはスっと立ち上がって、「付いてきな、少年。良いところに連れてってやる。」と、さっさと歩いていってしまった。俺も慌ててソイツを追いかけた。
今考えればそんな怪しい誘いに乗るなんて、馬鹿だと思う。でも、そんな誘いに乗ってしまうほど、当時の俺は追い詰められていたのかもしれない。
そこからは早かった。今の集会の場所に連れていかれて、暫くキツネの面の人が別の男と何やら話をしていた。話が終わった後、キツネ面の人に今日から俺の住まいとなる場所の事や、組織の基礎情報を教えて貰った。
組織に入ったばかりの時は、キツネ面の人と一緒に行動する事も多かったが、歳を重ねるに連れてその機会も減ってしまった。ここのところは数年ほど見掛けていない。今頃何処で何をしているのやら……。
それから俺は、今でも少し後悔していることがある。あの時、キツネ面の人にお礼を言っていなかった。だから、今でもこうして都心を歩く時、すれ違いざまにあのキツネ面を着けた人がいないかなと、無意識に探してしまっている…。
それはそうと、ここ1ヶ月ぐらい外出時に俺の後を付けてくる1機のドローンがある。晴れの日も、曇りの日も、今日みたいな雨の日も、毎日毎日、俺の5・6m後ろを付いてくる。
最初は組織の監視かと思ったが、それは有り得ない。何故なら、俺の体内にはGPSが埋め込まれているからだ。わざわざ監視用のドローンなんか付けるわけない。
……という事は、組織以外の誰かの仕業だろう。そいつが俺の事を嗅ぎ回っているに違いない。本来であれば、組織の上層部に報告すべき事だろうが、俺はこのドローンにとある期待をしていた。
それは、このドローンの持ち主が組織の実態に気付いて、俺が組織から逃げるのに手を貸してくれるかもしれない……。と言うものだ。
そんな都合のいい話ある訳ない。って俺もそう思う。でも、試す価値はある。
「どんな時でも希望を捨てるな。」キツネ面の人が教えてくれた事だ。俺は今でもその言葉通りに生きたいと思っている。
だから俺は今の今でも背後を飛んでいるドローンに淡い期待を寄せている。誰かがこの泥沼から救い出してくれる事を願って……。