私と彼と
「なんで…」
「何だ」
「…なんであんたそんなに冷静なわけ?」
目の前の私は何の驚きも無いかのように冷静に私に言葉を紡ぐ。
…長年の付き合いで目の前にいる私が私ではなく秀であることは何となく察しがつく。
「…まあ、知ってたからな」
「なんで教えてくれなかったのよ」
「言って信じるか?こんなこと」
「…分からない」
「…だから、誰も話さないのさ。このことは」
そう起きてしまったこんなこと。
彼の姿が私になってしまったことだけではない。
今の私にも異常は起きている。
声が低いし、背はもとより多分高い。
体は明らかにごつごつしてるし、そもそも格好も浴衣ではなくなっている。
それに明らかに女としてはありえない部位が存在している気がする。
…触れば分かるけど、さすがにちょっとね。
鏡は無いけど、今の自分が元の体じゃないことは分かる。
「…あんたはなんで知ってたのよ」
「…俺の兄貴がね。酔ったときに教えてくれた。…あんまり信じてなかったけど、な」
目の前の私が苦笑いでそういう。
私が自分の意思以外で動いているというのはとてもおかしな気分になる。
鏡と違って動かなくても勝手に動いて喋るし…
「まさか、入れ替わり?なんて起きるなんて」
「だけど、実際に起きちゃってるだろ」
「困るわ。これ」
「そりゃ困るさ。俺だって知ってたとは言うけど、実際起きて驚いてるんだぜ」
驚いてるようには見えないんだけど。
まあ私も驚きとかとまどいとか、色々起きすぎて、変に冷静だから、彼も同じようなのかもしれないけど。
「…これ、どうなるの?まさか一生…?」
「まさか。そんなことになるなら、もっとこの噂は大事になってるよ」
そして一番問題なのがその部分。
…流石に元に戻れないのは困る。
目の前の私のクスッとした笑い顔で安堵する。
…私ってこんな風に笑うんだ。
「じゃあ、どうやったら戻るの?」
「簡単。今日が終わればいい」
「それで戻るの?」
「実際は、知らない。だけど兄貴はそう言ってたよ」
ま、これに関しては信じるしかないよな、と困ったような笑みで言う彼。…彼女?
「今、何時?」
「確認してくれよ」
「私時計持ってないわ」
「左腕、そっちは俺の体なんだから、ついてるよ」
「え、ああ、ほんとだ」
左手を見てみれば、私が付けた覚えのない腕時計。
そりゃそうだ。
彼が私であるように、今私は彼なんだから。
「…まだ、9時ね」
「3時間くらいあるな」
「…困るわね、どうしよう」
流石にこれは想定外だった。
突然3時間もの間、異性の体、まあ見知っているからまだいいとしてもだ。
それでもなかなかどうしていいか分からないものだなと思う。
「…お祭り、行こう」
「え?この状況で?」
「だって、ほかにすることも無いだろ?」
「そうだけど…自分の体じゃないのに」
「…知らない体ならいやだけど、まあ、お前だからいいかなって」
「ずいぶんと楽観的ね」
目の前の私は笑顔を崩さない。
全く、こんな状況なのにずいぶんと呑気だなと。
「…はあ、仕方ないわね。結局どうしようもないんだし、せっかくだから楽しんで行きましょ」
でも、そんな彼に乗せられる私も、きっとどうかしてる。
□□□□□□
「どうしたの、そんなにノロノロ歩いて」
「…浴衣、ちょっと慣れない」
「…あ」
彼の服装はとてつもなくラフな格好であったため、私は異性の体であることを除けば、大して他のことを気にかける必要は無かったのだが。
私は浴衣。
この格好よりは絶対に歩きにくい。
「…別に、浴衣そのものが歩きづらいってわけじゃないんだけど」
「あれ、違うの?」
「…あんまり大股とかで歩くとお前のイメージが崩れそうで、なんかな」
「…別に気にしなくていいわよ。今は、お互い様でしょ」
とはいえ、その辺を気にかけてくれるのはちょっと嬉しい。
「ふふ…そうだな、お互い様だな」
「何よその含みのある言い方は」
「いやー…俺の声でその喋り方されるとさ…」
「…直せばいい?」
「いいって。それこそお互い様だろ」
まあ流石に知り合いの前だけでも直してもらえると助かるけど、と言いながら笑う彼。
さっきから笑顔が多い。
彼ってこんなに笑うタイプだったっけ?
「…ほら」
「え?」
「歩幅が合わなくなるなら、こうすれば大丈夫でしょ」
手を彼に向けて突き出す。
…さっきの彼の気持ちが少しわかる。
予想以上に、恥ずかしいぞ、これ。
顔が赤くなってるのが分かる。
「ぷっ…」
「何笑ってんのよ」
「いや…さっきやったなこれ、と思って」
「…実際はぐれなかったでしょ」
目の端に映る、クスクス笑う彼がなんだかちょっと可愛らしい。
心のどこかで私なんだけどなという突っ込みを入れながら。
「…じゃあ、お手をお借りします」
「なーんでそんなかしこまってるのよ」
つないだ手は、いつもよりちっちゃくて、折れそうなほど細く感じて、私の手ってこんなに小さいんだと思わずにはいられなかった。
□□□□□□
「ねえ」
「なあに」
「なんで若干ご機嫌なのよ」
「いやなんか思いのほか楽しくて」
片手に綿あめ持ってそう返してくる彼。
最初こそ手をつないで歩いていたが、今彼の両手は埋まっている。
お祭りの会場を歩いていたら、何故か綿あめを欲しそうにしていたので買ってあげることにした。
そのほかにもリンゴ飴だの、チョコバナナだの、何やらいっぱい買ってご満悦のご様子。
「ちょっとそれ一応私の体なんだからちょっとは自制しなさいよ」
「んー…なんか甘いものがおいしくてね」
「お金に関してはあなた持ちだから別にいいけどね…」
「あー…そうだった。それ俺のお金だった」
買ってあげたなんて言っているがそれはあくまでも表面上のお話。
今の彼に何かを買ってあげている私のお金の出所は、体が彼である関係で彼の財布であるのだ。
「仕方ない。ちょっと抑えよう」
「…そんなすっごい残念そうな顔しなくても」
「いや、俺もともと甘いもの苦手だから、こんなにおいしく食べれることに感動してるんだよ」
「…まあ私の味覚だからね、それ」
実際、彼の体では甘いものは受け付けてくれなかった。
試しにちょっと綿あめの端をもらったが、なんだか胃がむかむかしたので、それ以上はやめた。
「たまには違う人の体ってのも面白いな」
「…ノリノリね。あなた」
「だって、こんなこと、やれたもんじゃないでしょ」
「まあそうだけどさ…」
他の人から見ると、ノリノリでお祭りに来た女の子と、仕方なく付き合ってる男の子みたいな風に映っているのだろうか。
そう思うとちょっと私が彼を引っ張ってるみたいでちょっと恥ずかしい。
実際は逆なんだけど。
「ねえねえ」
「え、何」
「コーヒー味だって」
「…自制するって今言わなかった?」
「これで最後これで最後」
「…はあ」
私になった彼を見てるとこいつ誰だになるのは気のせいか。
いや、彼を知る人なら皆そういう気がする。
少なくとも彼ってお祭りではしゃぐタイプじゃなかったと思うんだけどなあ…
「はい。ほら」
「ありがと」
「まあさっきも言ったけどあんたのお金だから別に…」
「はい」
「え?」
何故か今買ったものをこっちに突き出してくる彼。
「俺、甘いの駄目だけど、たぶんこれなら食べれるから」
「…私に買ってくれたの?」
「はい口開けてー」
「い、いやいや自分で食べれるから」
こっちにあーんとやってくる彼の手からそれをもぎ取って、自分で口に放り込む。
…うん、確かにこれなら彼の舌でも受け付けてくれる。
…なぜかちょっと彼が膨れてたのは見なかったことにしておく。
「…ねえ、秀」
「何」
「なんかやっぱあんたテンションおかしくない?」
「…そう?」
「いやあんた少なくとも今みたいなことやるタイプじゃないでしょ」
「…うーんまあ、普段は」
「急にどうしたの」
「…いや、なんか女の子がやりそうなこと、やってみたくて」
「なんだそれは」
「ちょっと楽しかった」
「遊んでる?」
「遊んでる」
「もう…」
ちょっと照れ笑いする彼。
やっぱり今日の彼はよく笑うな、と思う。
私になってから、なんだか彼が幼くなったような気がする。
普段のどちらかというと無表情が多い彼はどこにいったのやら。
「普段から、そうしてた方がいいのに」
「え?」
「…いや、なんでもない」
どうせなら、普段から、笑い顔、見せてくれてもいいのに。
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「…そろそろ帰ろうか」
「え?まだ戻ってないけど」
「いや、さすがに12時には家にいないとまずいと思わない?」
「…まあ確かにここで元に戻ると、12時過ぎるわね」
「だから、さ、そろそろ帰ろう」
「…そうね」
ちょっと寂しく感じなくもない。
いつもだったらお祭りなんて、そんなに気にならないんだけど、もう少し続いてほしい気もする。
私になった彼は、なんだかほっておけない気がして、そんな彼を気に掛けるこの時間が、もうちょっと続いてほしい、そんな気がする。
「ねえ」
「何?」
「…手、繋いで、帰りましょ」
「…いいよ」
スッと差し出した手を彼がキュッと握る。
自分が自然にそんなこと言ったことにちょっと驚いて、それに対して自然に接してきた彼にちょっと驚く。
先ほどのような気恥ずかしさは、もう無かった。
「…なんか、下から見上げるのが新鮮」
「私も、見下ろすのが、変な感じ」
「今女の子なんだなあってさ、思う」
「…私も、思うわ」
帰り道に歩みを進めながら、そんなことを言い合う。
隣を見れば、いつもよりもはるかに低い位置に頭が見える。
「…鏡花が頼もしく見える」
「…あんたの体でしょ」
「そうだけど、さ」
彼がそんなことを言ってくる。
…それは知っている。
絶対に私から彼に言うことは無いけども。
一緒にいてくれる時の彼はどこか、大きく、頼もしく見える。
…今は、私よりちっちゃいけど。
「…あんたがちょっと今は可愛く見える」
「…鏡花の体だろ」
「…そうだけどね」
…彼も普段は同じことを考えているのだろうか。
そう思うと、ちょっと嬉しい気もする。
分かんないけどね。
「…着いた」
「私の家ね」
「…あとどれくらい?」
「…2分くらい」
「この妙な状態もこれで終わりか」
「…巻き込んで悪かったわね」
「気にしないで。…割と楽しかった」
「…確かに、楽しんでたわね」
「鏡花、君は?」
「え?」
「楽しかった?」
「…まあ、あんたと一緒で、楽しかったわ」
「そう、なら、よかった」
…沈黙。
時間にしてあと2分も無いくらいでこの状況は終わる。
だからもう手を離していいんだけど。
なんか、嫌だ。
「君の家に帰るよ。数分したらもう君は自分の家だ」
「…待って」
「何をっ…」
…
…なぜか、思わず彼を引き寄せて抱きしめた。
柔らかい浴衣の感触、私の体の感触を全身で受け止める。
顔が熱い。
私は何してるのだろう。
「…鏡花?」
「…あんた、でかいから、元に戻ったら、こうやってできないから」
「…鏡花がちっちゃいだけだろ」
「うっさい」
憎まれ口すらどこか心地よく。
思わずやった行為のまま、時間がただ過ぎてゆく。
押しのければいいのに、彼も何もせずにそのままそれを受け止める。
いっそ笑って押しのけてくれれば、こんな状況で固まることもなかったのに。
「…」
「…」
ふっと体が浮いたような気がして、次の瞬間には誰かに抱き着かれていた。
「…ねえ」
「何」
「離して」
「嫌だ」
「離してよ」
「鏡花がやったのに、俺がダメってのは無いだろ」
「…」
彼の手の中は温かかった。
そのまま数分、たっぷりそれを味合わされることになった。
□□□□□□
「…じゃあ、私帰るから」
「うん…それじゃあね」
「…またね。…あ、あとさ」
「どうした?」
「…また、今度、どこか行かない?」
「…いいよ。また、行こう」