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クリスマスにぎり二重密室盗難事件 中編

「あの、田中さん」

 美智子さんの提案で牧師館の建物に向かう途中、ノアは田中のおばちゃんにそっと声をかけた。

「ちょっと伺いたいのですが。早紀さんは、皆さんに嫌われているのですか」

「あら、やだ! そんなことないわよ!」

 しかし田中のおばちゃんは、言葉と裏腹に動揺しているように見えた。

「でも早紀さんは、一人でおにぎり係をやっていたんですよね。あれだけのおにぎりを作るのに一人では大変だと思うのですが、誰も手伝わなかったんでしょう」

「そうじゃないのよ、」

 田中のおばちゃんは声を潜めた。

「さっきも言ってたけど、本当はよっちゃん――坂口さんちの奥さんだけど――と、二人でやることになってたの。それが、よっちゃん、急に遠方の親戚でご不幸があってね。そっちに行かなきゃいけないんで、クリスマス会に参加できなくなっちゃったのよ。うちは隣なもんで、空港まで車で送ってあげたり慌ただしかったし、よっちゃん本人も急なことで焦ってて……、おにぎり係のことまで気が回らなかったのよ」

「でも早紀さんはどうして、手伝ってほしいと言わなかったんでしょう?」

「あの人ね、そういうとこあるのよ。遠慮がすぎるっていうか……。いつもああいう感じで、なんだかオドオドしてるでしょう。良い人なんだけど、そんなに気を使われるとこっちも逆に疲れちゃうっていうか、ね。おにぎり係のことだって、私たちが気づかないなら一言言ってくれれば良かったのに……」

 田中のおばちゃんは同意を求めるように、ノアにむかって首を傾げてみせた。


 牧師館の食堂に入り、それぞれが適当に座ると、ノアは一人づつの顔を改めて見回した。涼太とノアの他には、教会員の中心的存在である田中のおばちゃんがいる。そしておにぎりを作った、愛美ちゃんのお母さん――早紀さん。それから、大らかな性格でいつも陽気な鈴木のおじさん。牧師館のお手伝いをしていて、ノアのことを何かと気にかけてくれる美智子さん。

 美智子さんは、いつも開け放してある、廊下に面した食堂のドアを閉めた。そして小声で話し始めた。

 その話で、今まで気楽に構えていた皆の顔が青くなった。

 美智子さんの話はこうだった。美智子さんは教会の会計係をしているが、ここ最近、収支計算が合わないことがある。合わない金額はごくわずかで、一度にせいぜい千円程度――場合によっては数百円程度だが、あるはずのお金が消えているようなのだ。

「そ、それは……」

「つまり、横領!?」

「そ、そんな! 横領だなんて、大げさなものじゃないのよ。ほんとに、全部合わせても一万円にもいかないくらいで……」

「でも、金額の問題じゃないよ」

「そうよ。まさか、そんな。教会のお金を!」

 皆ザワザワと、意見を言い合った。

「美智子さん。支出の管理はどういう風にやっているんですか?」

「例えばクリスマス会みたいに教会のお金を使う時は、買い物を担当する人にお財布を渡すの。買い物した人は必ず領収書を貰うことになっていて、お財布に入れておくのよ。私がそのお財布を返してもらって、領収書だけ別にして事務室の箱にいったん入れておくんだけど、後でまとめて計算して記帳する時に、領収書の合計金額より多くお金がなくなってるのよ」

「つまり、領収書なしの支出がある、ってことですね……」

 皆の間に、気まずい沈黙が流れた。

「ええと、つまり……、ここまでの話をまとめると」

 重苦しい雰囲気を破ろうと、涼太が口を開いた。

「教会員の誰かがお金を横領してるって気づいた牧師さんは、クリスマス会を利用してある計画を立てた。教会員がほとんど集まる打ち合わせの場で、犯人に向けてほのめかしたんだ。『クリスマス会までに名乗り出なさい。そうすれば、クリスマスは赦しの時期だから、罪はきっと許されるだろう。もし正直に名乗り出ないなら、クリスマスプディングに隠された犯人の正体が明らかになる――』」

 皆が、ごくりと生唾を飲む音が聞こえるような静けさだった。

「実際にはプディングが用意できなかったから、牧師さんは代わりにおにぎりで計画を実行したんだ。自分でおにぎりを一つ作って、その中に犯人の名前を書いた紙を入れた。それから早紀おばさんの周りをうろうろして、隙をみてその『裏切り者のおにぎり』をこっそり混ぜたんだ」

「シュウちゃんが……」

 早紀さんが呟いた。

「だけど犯人は、自分の罪を隠そうとした。どれが『裏切り者のおにぎり』か分からなかったから、おにぎりを丸ごとニセモノにすり替えたんだ。そして犯人は永遠に闇の中……」

「えー! それじゃダメじゃない!」

 田中のおばちゃんが声を上げた。

「よう、どうした名探偵!」

 鈴木のおじさんも、ふざけて涼太の背中を叩いた。

「え、えっと」

 涼太はしどろもどろになってしまった。

「おにぎりを、ニセモノにすり替えた理由は何でしょうか」

 急にそう言ったノアに、皆の注目が集まった。

「え?」

「自分の罪が暴かれないようにするためには、おにぎりを盗めばすむ話です。わざわざニセモノを用意してまで、すり替える理由があったでしょうか」

「あっ」

「確かにそうよね」

「そもそも、ニセモノのおにぎりを用意するのは不可能です。さっきのおにぎりは、作った早紀さんでも見分けがつかないくらい、本物そっくりでした。でも早紀さんがどんなおにぎりを作るか、今日まで分からなかったでしょう。そっくりのニセモノを作るには、完成してからそれを見て、同じものを作らなきゃいけません。ですが、おにぎりが出来上がってからクリスマス会が始まるまでの間には、クリスマス礼拝がありました。ここの教会員さんたちは皆良く知った仲ですから、礼拝にいなければ気づかれてしまいます。仮に気づかれずに礼拝を抜け出したとしても、時間はそれほどありません。材料も用意しなければいけませんし、中身を入れるのを省略して大急ぎで作ったとしても、それだけの時間ではとても無理です」

「そっかあ。言われてみりゃ、そうだ」

「ノア君の言う通りだわ」

「うーん」

「あ、あの……。お話中ごめんなさい、ノア君」

 早紀さんが、おずおずとノアに尋ねた。

「さっきから思っていたんだけど、どうしておにぎりがニセモノだって分かったのかしら? あんなにそっくりなのに」

「ああ、それは……」

 涼太が、さっきその場にいなかった早紀さんのために、おにぎりの中身が入っていないと子供たちが騒いだことを説明した。

「まあ……、」

 早紀さんはよほど驚いたのか、目を丸くしている。

「なあなあ、俺、今考えたんだけど!」

 涼太が勢いよく手を上げた。

「一人じゃ無理だけど、大勢で作ったんならどう? ほら、複数犯かもしれないじゃん!」

 涼太は、複数犯、という言葉を得意げに発音した。しかしノアは冷静に答えた。

「横領された金額から考えても、単独犯だと思います。たったあれだけの額を横領して、何人かで分けていたとは考えにくいのでは」

「そうよ。だいたい私たちの誰も、あんな小洒落たおにぎりなんて作れないわよ」

 田中のおばちゃんが笑った。

「じゃあ、どういうことなんだ? あれは本物のおにぎりだってこと?」

 鈴木のおじさんがそう言うと、

「そ、そうです! あれは私の作った本物だと思います……!」

 と、早紀さんは勢いよく身を乗り出した。

「早紀さんの言う通りです」

 ノアは、きっぱりと言った。

「あれは、牧師さんの混ぜた『裏切り者のおにぎり』以外、早紀さんの作った本物なんです。ということは……。犯人はまるで魔法か手品のようなやり方で、おにぎりの中身だけを丸ごと盗んでいったんです!」

「ええっ!?」

 早紀さんが珍しく大きな声を上げた。

「おにぎりの中身だけを!?」

「そ、そんな……」

「一体どうやって?」

 皆も口々に驚きの声を上げる。

「おにぎりを一つひとつ、いったん崩して中身を取り出してから、握り直したのかしら?」

 美智子さんが首を傾げた。

「いいえ。そのやり方ではどうしても、形が崩れてしまったはずです。でもあのおにぎりには、そんな形跡はありませんでした。それに時間がない中で、わざわざそうする理由もありません。それこそ全部盗んで処分してしまえば良かったはずです」

「じゃあどうやったのかしら。おにぎりの中身だけを盗むなんて……」

「それはぼくにも分かりません」

 ノアは言った。しかし、誰にも分かるはずがなかった。皆、互いの顔を見て困惑するばかりだ。

「ええと、じゃあさ」

 涼太は、探偵役としてその場をとり仕切ろうと試みた。

「どうやってやったのか、それはひとまず置いておこうよ。いつ誰がやったか、考えてみよう。――早紀おばさん、食堂でおにぎりを作っていた間は、牧師さん以外誰もおにぎりに近寄らなかったんですよね。その後はどうでしたか? クリスマス会が始まるまでの間は」

「ええと……。おにぎりが出来上がったのは、礼拝が始まる少し前――三十分くらい前かしら。私は出来上がったおにぎりを、牧師館の事務室に運んだの。事務室は牧師館の北側にあって、いつも部屋の温度が低いから、おにぎりが傷まないだろうと思って……。冷蔵庫に入れると、ご飯が固くなっちゃうから」

「なるほど。じゃあその後は、誰でもおにぎりに近づけたんだ」

 涼太の言葉に、美智子さんが答えた。

「いいえ。事務室には金庫があるので、いつも鍵をかけてるのよ。私は早紀さんに鍵を借して、そのまま持ってていいって言ったわ。どうせ後でまたおにぎりを出すから」

「えっ!?」

「そ、それって……」

「つまり……?」

「密室だ!!」

 涼太の顔が生き生きと輝いた。

「まーた、お前は……」

 鈴木のおじさんが呆れ顔をした。

「だってさ、これって密室だろ? 鍵のかかった部屋で、その鍵はずっと早紀おばさんが持っていた……」

「ただの密室じゃありません、涼太さん」

「え?」

「おにぎりに隠された裏切り者の秘密はご飯で包まれていて、その周りには海苔が巻かれている。この形を崩さずに中身だけを取り出すのは不可能――、つまりおにぎり自体も、いわば密室なんです」

「おにぎりが『密室』!?」

「そう。そしてもし本当におにぎりが、鍵のかかった密室に置かれていたなら、これは二重の密室と言えるでしょう」

「二重密室……!!」

 涼太の瞳が、さらにきらきらと輝く。

「じゃ、じゃあさ、この事件は……。題して、『クリスマスにぎり二重密室盗難事件』ってわけだよな!?」

「まあ、そうですね。ですが、おにぎりの方はともかく、事務室は本当に密室だったのでしょうか? ――早紀さん、鍵を誰かに渡したり、しばらくの間どこかに置いておいたりしませんでしたか?」

「いいえ……」

「ほらほら! やっぱり密室だよ!」

 涼太はどうしても、二重密室盗難事件にしたいらしい。

「まあ落ち着いて、涼太さん。密室でなかった可能性はいくつかあります。まずは可能性を一つずつ検討してみましょう。まず最初の可能性は……、『鍵を開けた』です」

「え? だって鍵は……」

「そう。早紀さんが持っていた。つまり、早紀さんなら鍵を開けられます」

「ええ~~っ!?」

「そんなあ」

「そりゃそうだけど……」

「牧師さんがクリスマスプディングの代わりにおにぎりを使うことを思いつき、早紀さんの作った山ほどのおにぎりの中に、『裏切り者のおにぎり』をこっそり混ぜた。早紀さんはその場では気づかないふりをし、後でおにぎりを人目につかない事務室に運んだ後、こっそりおにぎりの中身を盗んだ……」

「なるほど」

「そんな! わ、私はそんなこと……」

「はい。この説には矛盾があります。早紀さんには、どれが『裏切り者のおにぎり』か分かったはずです。牧師さんがおにぎりを混ぜたことに気づいたのですから。それなら、全てのおにぎりから中身を盗む必要はありません。裏切り者のおにぎりだけを盗めば良かったのです」

「そうよ! その通りだわ。早紀さんがそんなこと……、横領なんてするはずないわ! この人は子供の頃から生真面目なたちなのよ!」

 いつも物腰の柔らかな美智子さんにしては珍しく、少し怒っているようだ。

「すみません。ただ可能性を一つ一つ検証しているだけなので、早紀さんに対して何か思うところがあるわけじゃありません」

 ノアはあっさりと頭を下げた。

「そ、そうよね……」

「ここで一つ重要なことがあります。犯人はなぜ事務室を密室にしたのか、という点です。どうやって部屋に入ったかまだ分かりませんが、出る時にはドアを開け、鍵をかけずにそのまま出ていっても良かったはずです」

「言われてみりゃそうだなあ」

「それなのに、犯人はわざわざ事務室を密室に仕立て上げた。これはつまり、早紀さんに罪をきせようとしたのです。それ以外に、密室の必要性がありません」

「あ……!」

「このことから、早紀さんが本当は誰かに鍵を貸したけれど嘘をついている、という可能性も排除できます。それから美智子さんも容疑者から外して構わないと思います。たった今、咄嗟に早紀さんを庇いました」

「あら」

「横領の件を話してくれたのも美智子さんですし。それから田中さんも容疑者から外せるでしょう。美智子さんと同様、クリスマスプディングの話――もし自分が犯人であれば不利になる話を、わざわざ持ち出したのですから。それに田中さんは、教会員さんの中心的存在です。礼拝の時には、新しい方の案内や備品の調達、進行の補佐など、お仕事がたくさんありました。短時間でも抜け出せば必ず気づかれたしょう」

「そりゃ、いっつも大声で喋ってるしずちゃんがいなくなればすぐ分かるよ。『静』って名前は大失敗だって、いつも言われてるもんな。あはは」

「うるさいわよ、じろちゃん!」

 田中のおばちゃんは、鈴木のおじさんを睨みつけた。

「……では、他の可能性を検討してみましょうか。犯人は何らかの方法で鍵を手に入れた、というのはどうでしょう。早紀さんのポケットから鍵を盗み、用が済んだ後、気づかれないように戻しておくとか」

「それはないわ」

 美智子さんが、強い口調で即座に否定した。

「なぜです?」

「鍵には、キーホルダーがついてるの。十字架の。仮にも十字架のついたものを『盗む』だなんて……。例え横領の罪に手を染めた人でも、そんなことは出来ないんじゃないかしら」

「なるほど……」

 うんうん、と皆無言のままに頷く。

「スペアキーはないのですか?」

「それが、ないのよ。不便だから作った方がいいと思ってたんだけど、つい先延ばしにしていて」

「以前こっそり鍵を持ち出して、スペアキーを作ってあった……、というのはどうでしょう」

「この辺りでスペアキーを作ってくれるのは、商店街の雑貨屋さんだけよ。最近誰かがスペアキーを頼んだなら、覚えているはずだわ。聞けばすぐに分かっちゃうわよ」

 田中のおばちゃんが言った。

「ですが、雑貨屋さんには毎日大勢の人が来るでしょう? お客さん一人ひとりのことまで覚えているものでしょうか?」

「覚えてるさ。この辺じゃ誰も家に鍵をかけないから、スペアキーなんて頼む人は稀だろうし。それに雑貨屋のジュンさんは町内会長だから、お客さんのほとんどは知り合いだ。誰が頼んだかすぐ思い出せると思うよ」

「なるほど……」

「あまり長時間鍵を持ち出したら、私が気づいたはずよ。だから遠出してスペアキーを作りに行くのもダメだわ」

「確かにスペアキー説は無理がありますね。牧師さんがクリスマスプディングの代わりにおにぎりを使ったのも、早紀さんが事務室におにぎりを置いたのも、咄嗟の思いつきですし。偶然スペアキーを作ってあった、というのは出来すぎていますね」

「じゃ、じゃあさ!」

 それまでノアの堅苦しい検証を我慢して聞いていた涼太は、ここぞとばかりに声を上げた。

「鍵を開けずに別の方法で部屋に入った、ってのはどう!?」

「別の方法?」

「そう。例えば……、秘密の抜け道とかさあ!」

 皆、一斉に吹き出した。

「涼太君、あんたはそういう派手な方が好みなのね」

「だってその方が面白いじゃん」

「……あながち、的外れでないかもしれません」

「ええっ!?」

 ノアの言葉に、皆は冗談を言っているのかと思った。が、ノアの表情は真剣そのものだ。

「古来、宗教施設には、いざという時のためにそういう備えがある……、場合もあります」

「へえ~」

 言い出しっぺの涼太が、一番感心している。

「それに抜け穴でなくとも、窓から出入り出来たかもしれません。皆さん、これから事務室に行って調べてみませんか?」

「やろうやろう」

「ええ、いいわよ」

 皆、一斉に立ち上がった。


 涼太は三十センチ位づつ位置をずらしながら、真剣な顔で壁を叩いている。鈴木のおじさんは家具を動かし、裏側を確認している。田中のおばちゃんと早紀さんは室内の小物を調べ、秘密の抜け道に続く隠し扉を開く仕掛けがないか、探す役目だ。美智子さんは床をくまなく調べている。部屋の一部に敷かれているカーペットを捲ってみたり、足でトントンと叩いてみたり……。

 一方ノアは、外側から事務室を調べに行った。隣の部屋との壁の厚さを測ったり、一度庭に出て、二階の窓に登った形跡があるか探している。

「おっ、こりゃちょっと一人じゃ無理だ。相当重いぞ」

 鈴木のおじさんが呟いた。壁際の、大きな木製の本棚に手をかけている。

「まあ、こんな重たい本棚の後ろが抜け道のわけないか」

 そう言っておじさんは、本棚を動かすのを省略して次に行こうとした。

 その時だ。

――カツッ

 何か、固い物音――。小さな物音が、本棚の後ろから響いた。

「まあ、何かしら、今の音?」

「みっちゃん聞こえた? あたしも聞いたわ」

 田中のおばちゃんと美智子さんは耳をすました。その時再び、今度はもっとはっきり音が聞こえた。

――コツコツコツ カツカツカツカツ……

 音は確かに、本棚の裏から聞こえてくる。その壁の向こうは、廊下のはずだ。

 鈴木のおじさんと涼太は顔を見合わせて合図したかと思うと、それぞれ本棚の左右に飛びついた。しかし本棚はがっしりした作りで、とても重い。二人がかりでも、なかなか持ち上げることができない。

「うーん……」

「が、がんばって、おじさん! きっとこの裏に隠し扉が……、そこに犯人が……!」

 涼太は顔を真赤にしている。

「涼太、持ちあげるのは無理だよ。ずらして動かそう」

 田中のおじさんは涼太と同じ側に移動すると、二人がかりで本棚の片側だけを少し持ち上げ、半ば引きずるようにして壁から離した。田中のおばちゃんと美智子さんが駆けより、顔を寄せあって本棚の裏側をのぞきこむ。

「あらっ!」

「まあ!」

 二人の口から驚きの声が漏れた。注意して本棚を下ろすと、涼太も急いで二人の間に割って入った。

「あった!? 隠し扉!」

 しかし期待もむなしく、そこにあったのは隠し扉ではなかった。

「どっから来たのかしら。カワイイわねえ」

 田中のおばちゃんが呟いた。

 そこには、一匹のジャンガリアンハムスターが巣を作っていたのだった。

「なんだあ……、ネズミかよぉ……」

 涼太はがっかりして、その場にへたりこんでしまった。

「ネズミじゃないわ、逃げちゃったハムスターよ」

「ええ、うちの愛美のです。こんな所にいたのね……」

「何かありましたか? 皆さん」

 その声に皆が振り返ると、庭を調べて戻ってきたノアが部屋の入口に立っていた。

「あったと思ったら、これだったのよ」

 近寄ってきたノアに、美智子さんはハムスターを指差した。

「あ、愛美さんの……」

「そっちは何かあった?」

「いえ」

 ノアは首を振った。

「窓の外は足をかけて登れるような部分が全くありませんし、誰かが登った形跡もありませんでした。隣の部屋との間も、何もないようです」

「うーん。やっぱり密室なのかしらねえ……」

 田中のおばちゃんが呟いた。

「秘密の隠し扉がなくて残念だったな、涼太」

 田中のおじさんは笑って、涼太の肩に手を置いた。だが涼太は口をぽかんと開け、ノアを見つめている。

「どうしたんですか? 涼太さん」

「…………」

「涼太さん?」

 涼太はノアを指差した。

「な、なあ、ノア! 今お前、普通に部屋に入ってきたよな?」

「はい。普通に入ってきました」

「わ、分かった! 俺、分かっちゃった!」

 涼太は突然駆け出すと、入り口のドアに飛びついた。内開のドアは目一杯開かれ、廊下側の面が部屋の中に向いている。取っ手には、さっき美智子さんが開けた時のまま、鍵がさしてある。

「ほら! これだよ! 早紀おばさんがおにぎりを置きに来た時も、ドアはこうなってたんじゃない!? だっておにぎりを置いてくだけなんだから、部屋に入った時いちいちドアを閉めて鍵をかけたりしないでしょ?」

「えーと。つまりどういうことだ?」

「ほら、犯人はこうやって……」

 涼太は、開いたドアと壁の間に入った。するとこちら側からは、ドアに隠れて涼太の姿が見えなくなる。

「犯人は、おにぎりを運ぶ早紀おばさんの後をついてきたんだ。早紀おばさんが部屋に入ると、自分も続けて素早く部屋に入った。それで、こうやってドアの後ろに隠れたんだ。早紀おばさんが部屋を出る時はドアの反対側しか見えないから、ちょうど死角になるんだ」

「なるほど。それなら密室のはずの部屋に入れるな! 涼太、すごいじゃないか」

「でも、入ったのはそれでいいとして、出た時はどうしたの?」

「同じことだよ。早紀おばさんが後でまたおにぎりを取りに来るのは分かってたから、犯人はずっとこの部屋で待ってた。廊下に早紀おばさんの足音が聞こえたら、またドアの影に隠れる。おばさんが部屋に入っておにぎりの方を向いてる一瞬の隙に、廊下に出たんだ」

「へえー! 涼太くん、名推理だわ。やるじゃない」

「まあ。すごいわ」

「よっ! 名探偵!」

 涼太は得意げに胸を張った。

「でもこの方法だと、犯人は礼拝に全く顔を出せないわね。つまり……」

「犯人は、礼拝に参加しなかった人物だ!」

「だけど教会員は全員、礼拝に集まってたと思うわ。少し抜け出すくらいならともかく、最初から最後までずっといなかったら気づいたわよ」

「ええ。私も、そんな人はいなかったと思います……」

「じゃあ教会員じゃなくて礼拝にも参加しなかったけど、普段からこの教会に出入りしてて、お金を横領できる奴ってこと?」

「そんな人、」

 いないと言いかけた美智子さんは、思わず口をつぐんでしまった。

「あ……」

 皆の視線が一斉に、ノアに注がれた。

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