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クリスマスにぎり二重密室盗難事件 前編

「牧師さん」

 戸棚の中にソロソロと伸ばした牧師さんの腕は、突然横から現れた、白く細い手にしっかと掴まれた。

「…………」

 指先ほんの十センチのところに、大好物のチョコレートがある。牧師さんは大きなため息をついた。

「あーあ、もうちょっとだったのに……」

「牧師さん」

 白い手の持ち主の少年が、もう一度、冷ややかな口調で言った。

「甘いものは控えるようにと、主治医の先生に言われています。血糖値が……」

「はいはい。肥満に糖尿病ね。分かってるよ」

 牧師さんは名残惜しそうにチョコレートを見つめながら、渋々と手を下ろした。

「だけどなあ、俺は甘いものがないと日々の活力が……。なあ、一つくらい、大丈夫だろ?」

 牧師さんは捨てられた子犬のような目で、少年を見た。

「暴飲暴食は、罪深いことでは?」

 そう言った少年に悪気はないらしく、キョトンとした顔で牧師さんを見つめている。

「そう真正面から来られるとなあ。……仕方ない、今日は諦めるよ」

「『今日は』?」

「あらあら」

 二人の背後でおっとりした声が響いた。振り返るとそこには、二人が暮らしているここ有馬キリスト教会牧師館で、お手伝いをしてくれている美智子さんが立っていた。

「牧師さんたら。どこに隠しても必ず見つけちゃうんですから……」

 美智子さんは、まるで子供をたしなめるような口ぶりで言った。

「おっと。そろそろ花に午後の水やりをする時間だな!」

 牧師さんはむりやり話を終わらせると、勝手口から庭にそそくさと出ていってしまった。

「まったく、もう」

 美智子さんはチョコレートの箱を手に取り、今度はどこに隠そうかと思案しながら台所の中を見回した。

「――元気で長生きしてくれなきゃ、困るわよねえ、ノア君」

 美智子さんの言葉に、ノアと呼ばれた少年は黙ってうなずいた。

 まだ中学生のノアが、ここ有馬キリスト教会にやって来たのは、一月ほど前のことだ。両親を一度に亡くし、養護施設でしばらく過ごした後、遠縁にあたる牧師さんが引き取ってくれることになった。しかし、もし牧師さんに万一のことがあったら、今度はどこへ行けば良いんだろう、とノアは考えた。

「……なあんてね! まだお若いんですから、大丈夫よ」

 ノアの心中を察したのか、美智子さんは明るい声を出した。

「それに、子供の頃から丈夫なたちですからね」

 美智子さんはノアの肩を軽く叩き、そしてふと、手にした箱に目を落とした。

「そうだわ! これ、牧師さんがいないうちに二人で食べちゃいましょうよ。ちょうどお茶の時間だし」

「……はい。お腹の中に入れちゃえば、もう見つかりませんね」

 ノアも美智子さんに微笑んだ。


 食堂の大きな窓からは、庭にいる牧師さんの姿が見えた。教会の敷地を隔てる垣根越しに、隣家の愛美ちゃんのお母さんとお喋りに花を咲かせている。時々思い出したように、ホースを花壇に向けて水をまく。そんな牧師さんを眺めつつ、美智子さんはお茶をすすった。

「ああ見えてね、結構、ご自分の健康を気にしてらっしゃるのよ。最近こうしてよく庭の水まきをするのも、いい運動になるからですって」

「水まきが、ですか?」

「うーん。まあ、牧師館のお庭は広いしねえ。散歩のようなものと思えば……、やらないよりましよ」

 美智子さんは優しい顔で苦笑いした。

「それに近頃、洗面所の体重計に乗ってたり、鏡の前で体型をチェックしてるのをよく見かけるわよ。肥満は糖尿病の元ですからね」

「そうですか。後は甘いものを控えてくれれば良いんですが……」

「まあ、好物をやめるってなかなか難しいわよね。……ノア君、おかわりは?」

「いただきます」

 二杯目のお茶を飲み終える頃にふと見ると、まだ牧師さんは花に水をやりを続けている――と言うより、愛美ちゃんのお母さんとのお喋りにすっかり夢中で、水を止めたホースを持っているだけだ。

「牧師さんと愛美さんのお母さんは、お親しいんですか?」

「え? ああ、早紀さんね。そう、幼馴染なのよ。歳は少し離れてるけど、産まれた時からお隣さんですからね。もっともこの辺りはここで生まれ育った人が多いから、皆、幼馴染みたいなものだけど」

「へえ……」

 その時、元気のいい声が廊下に響き渡った。

「美智子さーん! こんにちはー!」

「あら。愛美ちゃん、こっちよ、食堂の方」

 美智子さんが呼ぶと、隣家の愛美が食堂に駆けこんできた。両腕に大きな紙袋をいくつも抱えている。

「お待たせ~! やっとできたよ。――あ、ノア君!」

「こんにちは、愛美さん」

 愛美は軽く小首を傾げてノアに挨拶すると、抱えてきた紙袋を美智子さんに差し出した。

「美智子さん、これぐらいで足りるかなあ?」

 美智子さんは紙袋をのぞきこみ、色紙で作った輪っかの鎖を引っ張り出した。

「まあ、こんなに。これだけあれば充分よ」

「こんなのもあるよ。ほら!」

 そう言って愛美は別の紙袋から、やはり色紙で作った様々なオーナメントを取りだした。星や天使を形どったもの、キャンドル、ケーキ、トナカイまである。

「あらあら、ずいぶんたくさん作ってくれたのね。ありがとう、愛美ちゃん。これで明日のクリスマス会、飾りつけは完璧だわ」

「えへへ」

 愛美は美智子さんに褒められて、嬉しそうに笑った。

 明日はクリスマス。有馬キリスト教会では午前中に礼拝が行われ、午後は教会員たちがささやかなクリスマス会を催すのが、毎年の恒例となっていた。

「明日のクリスマス会で、皆にノアくんのこと紹介するんでしょ?」

「ええ。ノア君は教会員てわけじゃないけど、クリスマス会で紹介すれば、皆と知りあう良いきっかけになるだろうって、牧師さんが」

「ふうん」

 ノアは愛美に微笑んだ。

「愛美さん、クリスマス会には、ご家族全員いらっしゃいますよね。ぼく、まだお母さんにしかお会いしてないので、他の方にもご挨拶をしないと。お隣なんですし」

「うちの家族はね、あとはおばあちゃんだけだよ。あ、それからリンゴもいるけど!」

「リンゴ!?」

「愛美ちゃんちの犬よ」

 目を丸くしているノアに、美智子さんはくすくす笑った。

「それからハムちゃんもいたんだけど……、あ、ハムスターね。この前いなくなっちゃったの。美智子さんに見せようと思ってここに連れてきたんだけど、目を離してた隙に逃げちゃったんだ」

「そうですか。じゃあ牧師館のどこかにいるかもしれませんね。気をつけておきます」

「ありがとう!」

 こうしてノアと同じ十四歳の愛美が来ると、年相応の愛美に比べ、ノアの年齢に似つかわしくない言葉使いや、妙に落ちついて世間離れした態度が目立つ。少し変わっているノアが、この田舎町で同年代の子供たちになじめると良いのだけれど、と美智子さんは少し心配していた。

「じゃ、あたしそろそろ行くね!」

 愛美は立ち上がり、クリスマスの飾りを紙袋にしまった。

「愛美ちゃん、お手伝いありがとうね。いつも助かるわ」

「どういたしまして。美智子さん、ノア君、また明日ね!」

 愛美は慌ただしく部屋から飛びだしていった。

「元気な子ねえ」

 美智子さんは笑った。

 

「あっ、ヒエッ……」

 牧師さんはおかしな声を上げたかと思うと、中腰の体勢のまま、まるでスイッチを切ったように動かなくなってしまった。

「あら、牧師さん、どうしたんです!?」

 巨大な寸胴鍋の豚汁をかき混ぜていた田中さんちのおばちゃんが、慌てて駆けよった。

「い、痛たたた……腰が……」

 牧師さんは腰を抑え、苦しそうに呻いた。田中のおばちゃんは牧師さんの身体を支えてやりながら、

「あらら、やだわあ。ギックリ腰かしら!? ちょっと涼太君、お父さん呼んできてちょうだい」

 と、お皿を運ぶのを手伝っていた中学生、涼太にテキパキと指示した。涼太は急いで台所から駆けだしていった。

 午前の礼拝を終えた後で、有馬キリスト教会の教会員たちが牧師館に集まり、クリスマス会の準備をしている最中のことだった。礼拝前の朝早いうちに作ってあった料理を温め直したり、会場となる牧師館の庭を飾りつけたり、椅子やテーブルを出したり、食器を運んだり、皆、忙しく働いていた。

 牧師さんは身体を動かすのもままならないらしく、ひどく辛そうだ。そこで涼太のお父さんが、近くの接骨院に連れていくことになった。数人がかりで、どうにか牧師さんを車に乗せた。

「すまんな。俺のことは気にしなくていいから、皆でクリスマス会を楽しんでいてくれよ」

 牧師さんの言葉を残し、涼太のお父さんのバンは、接骨院に向かってすごい速さでぶっ飛んでいった。

「ああ、父ちゃんまたあんなに飛ばして……」

 涼太がバンの後ろ姿を眺めて呟いた時、

「涼太君!」

 愛美が駆けよってきた。とたんに涼太の心臓が跳ねる。いつもの見慣れた制服姿とは違う今日の愛美に、なんだかドギマギしてしまうのだった。

「え、ちょっと! お父さん、もう行っちゃったの!?」

「え? う、うん。今行ったけど……」

「もう! 保険証取ってくるから、待っててって言ったのに」

 そう言いながら愛美は、片手で保険証をひらひらさせた。

「あー。父ちゃん、慌ててたから……」

「ねえ、ノア君、接骨院まで届けてあげれば? そんなに遠くないし、自転車で行けばすぐだよ」

 愛美に一足遅れて駆けつけたノアは、困った顔をした。そしてもじもじしながら、気まずそうに答えた。

「あの、ぼく、自転車に乗れません」

「ええっ!?」

「……そ、そうなの?」

「はい。それに牧師館には自転車がないと思います」

 涼太と愛美は、顔を見合わせた。

 涼太は一月前から、牧師館に引き取られたというノアの噂は聞いていた。しかし実際に会ったのは今日が初めてだ。なんだか痩せっぽちで色白のナヨナヨした奴だな、というのが、今朝初めて涼太がノアを見た時の第一印象だった。そして今、なんか変わった奴、という感想が加わった。

「あ、じゃ、じゃあ……。あたしが自分の自転車で届けるよ!」

「すみません、愛美さん。お世話になります」

 ノアは、愛美に向かってぺこりと頭を下げた。

「いいよ、これぐらい」

 心なしか愛美の頬が赤く染まっているのは、大げさに礼を言われて照れているのだろうか。それとも――。

 涼太はカチンときた。

「ま、待てよ。愛美ちゃんは残ってなよ。俺が行く!」

「だって涼太君、今日お父さんの車で来たでしょ? 家まで自転車取りに帰るの?」

 愛美が訝しげに涼太を見た。涼太の家は、接骨院とは真逆の方向だ。

「う……」

「大丈夫だよ、そんなに遠くないし。すぐ戻るから!」

「ありがとうございます」

 ノアがもう一度頭を下げると、愛美は笑顔で手を振って駆けていった。

「はあ……(カワイイし、いい子だよなぁ……)」

 涼太は心の中で呟き、その背中が見えなくなるまで見送った。しかしふと視線を感じて振り返ると、ノアが涼太をじっと見つめていた。

「な、なんだよ!?」

「……あの。涼太さんと仰るんでしたね。その、ありがとうございます」

「へ? 俺、別に何にもしてないじゃん」

「でも、手助けを申し出て下さったので……」

「い、いちいちそれくらいで礼言うなよ!」

「はあ」

「…………」

「…………」

「あのさあ」

「はい」

「……お前さ、愛美ちゃんと仲いいの?」

 その質問に、ノアはしばらく考えてみた。

「……さあ? どうなんでしょうか」

「俺に聞くなよ!」

「確かに、愛美さんはだいたい毎日牧師館に来られますが……」

「ま、毎日!?」

 涼太は思わずよろめいた。

「そ、それって……」

「でも、別にぼくと仲が良い訳ではないと思います」

「え!?」

「積極的に教会のお手伝いをして下さるので、大変助かると美智子さんが言っていました」

「あ、な、なんだ……、そっかぁ」

「それが、どうかしましたか?」

「な、何でもねーよ! ほら、行こうぜ。準備手伝わないと!」

 涼太はノアを促し、牧師館の庭に戻った。


 牧師館の庭では、クリスマス会が始まろうとしていた。有馬キリスト教会のあるここは、北関東の小さな田舎町で、教会員もそれほど多くない。少ないメンバーとその家族だけの、ささやかなクリスマス会だった。

 立食パーティのスタイルで、真っ白いテーブルクロスをかけた大きなテーブルが、庭の真ん中に用意されている。その上に、教会員が手分けして作った様々なごちそうが並べられていた。フライドチキン、ミートボール、豚汁、佃煮、マカロニサラダ、味噌田楽、おにぎり、焼きそば、カレーパン、などなど。クリスマスらしくないメニューが混ざるのもご愛嬌だ。教会員はご年配の方が多い。

 他にも小さめのテーブルがいくつかあり、そこには飲み物やお菓子、果物などが用意されていた。待ちきれない子供たちが目を輝かせ、まだかまだかとテーブルを見つめている。

 ノアは、キョロキョロと辺りを見回していた。

「……誰か探してんの?」

 この少し変わった少年、ノアとは別に友達でも何でもないのだが、成り行きで一緒にいる手前、涼太は聞いてみた。

「あ、はい。愛美さんのご家族に、愛美さんは病院に行ったとお伝えした方が良いかと」

 几帳面なんだな、と、涼太は思った。

「愛美ちゃんのお母さんが見当たらないのですが、涼太さん、お祖母さんという方をご存知ですか? ぼく、まだお会いしていなくて」

「ばあちゃんは来てないと思うよ」

「そうなんですか?」

「うん。なんつーか、厳しいばあちゃんでさ。愛美ちゃんのおばさんが離婚したのを、『世間体が悪い』とか言って、人が集まるとこに来たがらないんだってさ」

「それは……。保守的な方なんですね」

「まあ、お年寄りだから。そういう人もいるんじゃない」

 涼太は頭の後ろで両手を組んだ。

「ノア君、涼太君! 早くいらっしゃい」

 田中さんちのおばちゃんが二人を手招きし、空いている折りたたみ椅子を広げてくれた。

「そろそろ始めるわよ」

 やがて美智子さんが皆の前に進みでて、この場にいない牧師さんの代理を勤め、祈りを捧げた。

「アーメン」

「アーメン」

 口々に唱えた後は、誰もが思い思いのごちそうを皿に取り、それぞれ好きな場所に座って食べ始めた。腹ペコの涼太は、皿に乗りきらないほどフライドチキンを山盛りにしている。ノアも隣で、恐るおそるといった風に佃煮を口に運んだ。

 あちこちで楽しそうな笑い声や、子供たちのはしゃぐ声が響く。ノアはちびちびとジュースをすすりながら、物珍しそうに辺りを眺めた。教会イベント独特の雰囲気に、クリスチャンでもない自分は少し場違いな気がした。田中のおばちゃんを始め、牧師館で顔を合わせたことのある人もいるが、ほとんどはまだ知らない人ばかりだ。皆に紹介してくれるはずだった牧師さんは病院に行ってしまったので、代わりに美智子さんに頼もうかと思ったが、忙しそうに皆の世話で飛び回っているので気が引けた。

――事件が起きたのは、そんな時だった。


「ねー」

「へんだねー」

「えー、やだー」

 涼太は、ひと固まりになっていた小さい子供たちの一団が、なにやら騒いでいるのに気づいた。

「どうした?」

 近づいて声をかけてみる。

「りょうたにいちゃん、これねー、へんなの。はずれなの」

「え?」

 子供たちの一人、タッちゃんが、小さな手を差し出した。その手には食べかけのおにぎりが握られている。見れば子供たちは、たくさんのおにぎりが盛られた大皿に集まって騒いでいるのだった。

「なかみ、はいってないの」

 タッちゃんの差し出したわかめご飯のおにぎりは、既に半分ほど食べられていたが、見れば確かに具が入っていない。

「作った人が入れ忘れちゃったんだろ」

「でもね、こっちもなの」

 他の子供たちも涼太の周りに集まってきて、それぞれが手にした食べかけのおにぎりを見せた。どれも桜えびや豆、胡麻、高菜、ふりかけをなど使った華やかな見た目のおにぎりだが、子供たちの言う通り、一つとして具が入っていない。

「ええ? 変だな。一つだけならともかく、全部に入れ忘れる訳ないし……」

 ざわついている涼太と子供たちに気づいて、そばで立ち話をしていた美智子さんと、商店街で「魚辰」を営んでいる鈴木のおじさんが近寄ってきた。 

「どうしたの?」

「おう、ケンカでもしてるのか!?」

「違うよ、おじさん。このおにぎり変なんだ」

 涼太が説明すると、二人も首を傾げた。

「おにぎり作ったの、誰だったかしら?」

「ええと、しずちゃんじゃなかったか?」

 鈴木のおじさんが言った。おじさんは大きく手招きをすると、しずちゃん――田中のおばちゃんを呼んだ。だがおにぎりのことを聞くと、田中のおばちゃんは首を振った。

「最初は私がおにぎり係の予定だったけど、ほら、うちに大きい寸胴があるんで豚汁係に代わったのよ。それでおにぎり係はよっちゃんと、あと、早紀さんに交代したの」

「あら? でもよっちゃん確か……」

「……あら! やだ、そうよね。うっかりしてたわ。もう、あの人ってばまた……」

 田中のおばちゃんは何か言いかけて口をつぐみ、眉をしかめた。美智子さんと二人、目配せし合う。

「早紀さんはどこ行ったんだ?」

 鈴木のおじさんはキョロキョロして、早紀さん――愛美ちゃんのお母さんの姿を探した。だが、会場には見当たらない。

「もしかして、まだ礼拝堂の片付けしてるんじゃない!?」

「私、探してくるわ」

 美智子さんは教会の方へ向かった。

 その時だ。

 涼太がふと隣を見ると、タッちゃんがおにぎりの残りを食べ終わり、次のを取ろうとテーブルに手を伸ばしている――。

 その瞬間、涼太の頭にある考えがひらめいた。

「待って、タッちゃん! おじさんも! 食べないで!」

「えっ」

 タッちゃんと、既に手を伸ばしかけていた鈴木のおじさんも、涼太の剣幕に驚いて手を止めた。涼太は叫んだ。

「もしかして、毒が入ってるかもしれない!」

 涼太の言葉に、その場は静まり返った。

 だが、

「ぶははははは!」

 次の瞬間、声の大きい鈴木のおじさんが笑い出し、つられて田中のおばちゃんや子供たちまで吹き出した。

「ちょ、ちょっと! 俺はまじめに……!」

「お前は、ケーブルテレビでいつもそういうのばっか見すぎなんだよ。好きだろ、探偵ドラマとか」

 鈴木のおじさんにそう言われ、涼太は顔を真赤にして抗議した。

「だ、だけど! このおにぎり、おかしいじゃん。もしかして誰かが、毒の入ったニセモノにすり替えたのかもよ!?」

「なんで」

「そ、それは! えっと、例えば……、遺産相続のもつれとか……」

「ほおほお、それで」

 鈴木のおじさんは既におにぎりを頬張りながら、涼太をからかっている。

「――牧師さんに恨みを持った者の犯行なら、あり得ます」

 ふいに響いたその声に、一同はギョッとして声の主を見た。ノアだ。

「恨み……? 牧師さんに?」

「はい。もしこのクリスマス会で食べたもので皆さんが身体を壊したりすれば、当然、牧師さんは管理責任を問われます」

「た、確かに」

 鈴木のおじさんは思わず、口元に持っていきかけた手を止めた。

「誰かが牧師さんを陥れようと、毒物の混入したニセモノのおにぎりを作ってすり替えた。見かけさえ怪しまれなければ良いので、中身は入れなかったのかもしれません」

「だ、誰か、腹が痛かったり、どっか具合悪いやついるか!?」

 涼太は慌てて、最初におにぎりに手をつけていた子供たちに向かって聞いた。しかし子供たちは揃って首を振った。確かに顔色の悪い子もいないし、全員元気そうだ。

「もう少し時間が経ってみないと分りませんが……。おかしいですね」

「何もないなら、良かったじゃない」

 田中のおばちゃんはそう言ったが、ノアは納得いかないという表情で、顎に手を当てて考えこんだ。

「でもそれなら、このおにぎりは……」

 そこへ早紀さんが、美智子さんと一緒に戻ってきた。

「あ、愛美さんのお母さん。ちょっと伺いたいのですが……」

「ノア君! どうしたの? おにぎりが何か……、ま、まさか食中毒とか……」

 早紀さんは青い顔をしている。

「いえ、違います。おにぎりがニセモノにすり替えられたかもしれないんです」

「ええっ!?」 

 早紀さんは、まじまじとテーブルの上のおにぎりを見つめた。

「どうでしょう。早紀さんの作ったものとは違いますか?」

「ええと……。いえ、その、私が作ったおにぎりと同じように見えるけど……」 

 早紀さんは、まるで自分が何か悪い事でもしたように、おどおどした態度で答えた。

「早紀おばさん、おにぎりを作っている時かその後に、誰かがニセモノにすり替えるチャンスはありましたか!?」

 涼太が、ノアと早紀さんの間に割りこむようにして聞いた。見れば、表情が生き生きしている。探偵ドラマ好きなのは本当らしい。

「え、ええと……。どうかしら……」

「早紀さんはどこでおにぎりを作ったんですか?」

「牧師間の食堂よ」

「その時、そばに誰かいましたか?」

「ええと……。台所の方は大勢が出入りしていたけど、食堂にはほとんど誰も来なかったわ。時々、出入り口のところから、私に声をかけて下さる方がいたくらいで」

 牧師館の食堂は、台所と続きになっている。台所との間には、ドアのない出入り口があった。

「あ、でも……」

 早紀さんは、思い出したように顔を上げた。

「シュウちゃん……、あ、あの、いえ、牧師さんは何度も食堂に来たけれど……」

「牧師さんが?」

 皆、顔を見合わせた。

「牧師さんは何をしに食堂へ来たのかしら?」

「それが……、私も少し変だなと思ったんです。牧師さん、特に用事があるわけでもなくふらっと来ては、世間話をして。それで部屋を出ていって、またしばらくたつと飲み物を持ってきてくれたり……」

「ふうん……。それは何だか怪しいねぇ……」

 鈴木のおじさんが首をひねった。

「でも牧師さんがおにぎりをすり替えるなんてなぁ……」

 その時だ。田中のおばちゃんが声を上げた。

「あ……!」

「どうした、しずちゃん」

「牧師さんていえば、こないだ打ち合わせの時……。ねえ、みっちゃん、覚えてる?」

「そういえば、ちょっと変なことを仰って……」

 美智子さんと田中のおばちゃんは、顔を見合わせた。

「変なことって!?」

 涼太がすかさず身を乗り出す。

「打ち合わせで皆が集まってる時にね、牧師さん、『クリスマスプヂング』とかいうものの話をしたのよ」

「え? クリスマス……、なに? プディング? プリン? クリスマスプリンってなに?」

「なんでも外国で、クリスマスに食べる伝統的なお菓子だそうよ」

「へえ」

「その『クリスマスプディング』が……、どうしたのですか?」

 ノアも涼太ほどあからさまではないが、興味を惹かれているらしい。

「いえね、クリスマス会の打ち合わせで、誰が何の係をするか決めてたのよ。その時に牧師さんが、『誰かクリスマスプディングを作ってくれないか』って言ったの」

「なんでも、イエス様と十二使徒を合わせた数にちなんで、十三種類の材料で作るものなんですって。だから教会のクリスマス会にぴったりだ、って仰って」

「へえ? でもさあ、わざわざそんな変わったものを作ってくれなんて、ちょっと牧師さんらしくないよね……?」

「ええ、私たちもそう思ったの。でも牧師さんが言うにはね、クリスマスプディングには面白い趣向があるんですって。プディングの中に何かを隠すの――指輪とか、コインとか。で、切り分けられた時にそれが当たった人はラッキー、みたいな……。まあ一種の占いかしら。牧師さんは、それをやりたかったみたいなのよ」

「占いを?」

「うーん。占いというか……、もしかしたら……、予言かしら?」

「えっ!?」

「牧師さんが仰ったのよ。クリスマスプディングの中には、一つ、『裏切り者』が混じるんだ、って……」

「裏切り者……?」

「皆、何のことだか分からなくて。でも牧師さん、秘密めかして笑ってごまかしたの。あの人はああいう……、何ていうか、ちょっといたずら好きというか、茶目っ気のある人ですからね、昔から。だから私たちも、その時はあまり真剣に取り合わなかったのよ」

 ノアは腕を組み、眉を寄せた。

「牧師さんは、他にも何か言っていましたか?」

「ええと……、何だったかしら。そうそう、『赦し』……」

「赦し?」

「ええ。日本ではすっかり宗教行事じゃなくなってるけど、クリスマスは本来、『赦し』の時期なんだ――、とか。そういう事を仰ってたわ」

「なるほど。確かに海外では、クリスマスの商業広告を法律で禁じている国もあるくらいですからね。牧師さんは宗教家として、クリスマスの本来の意味を皆さんに伝えたかったんでしょう」

「ねえねえ、それで結局、誰がそのクリスマスプディングを作ることになったの!?」

 涼太が身を乗り出し、皆の顔を見回した。

「それがね。お菓子作りが得意な人がいれば挑戦したかもしれないけど、そんな小洒落たもの、私たちじゃちょっとねえ……、ってことで、その話は終わりになっちゃったのよ。牧師さん、少しがっかりした顔してたわ」

「…………」

「…………」

 皆、黙ったまま顔を見合わせた。

「これってさあ……、つまり……」

 涼太が切りだした。

「牧師さんは、おにぎりをすり替えたんじゃなくて……」

「クリスマスプディングがダメだったので、代わりにおにぎりで、その『予言』をやろうとしたのかもしれませんね」

「おにぎりなら、中に何かを入れられるものなあ。クリスマスプディングならぬ、クリスマスにぎりだね」

 鈴木のおじさんはガハハと笑った。

「じゃあ牧師さんは食堂で、早紀さんの作ったおにぎりの中に、自分で作った『裏切り者のおにぎり』をこっそり混ぜたのね」

「でも、どういう意味なのかしら、『裏切り者』って」

「直接聞いてみた方が早いよ。俺、電話してみる」

 涼太はスマホを取り出して電話をかけた。ノアがふと見ると、美智子さんはどこか不安気な表情でそれを見ている……。

「ダメだ。電源切ってるみたいだよ」

「あ、そういえば……」

「病院に行ったんだもんな。そらそうだわ」

 皆、口々に囁いた。

「あ、あの」

 美智子さんがそっと手を上げた。妙に深刻な顔をしている。

「私、実はその……。ちょっと心当たりが……」

「心当たり? その、牧師さんの言っていた『裏切り者』にですか?」

「はい。実は……」

 美智子さんは話し始めようとしたが、ふと辺りを見回して声を落とした。クリスマス会の会場となった牧師館の庭は、教会員とその家族で賑わっている。このちょっとした騒動を遠巻きに眺めている人もいれば、気づいていない人もいる。

「ここじゃ、ちょっと。皆さん、牧師館の中に入りませんか?」

 美智子さんの真剣な様子に、皆、思わず顔を見合わせた。

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