ペルセポネが肝試し?!
ペルセポネは退屈していた。
冬の間はハデスの妃として冥界で、夏の間は母である豊穣の女神デメテルのもとで暮らす。神話の時代からこのサイクルで生活してきたものの、正直、母親の監視のある実家は窮屈で退屈だった。
なにしろ冥界での暮らしは快適なのだ。夫のハデスはペルセポネにべた惚れで、どんな我儘でも笑って(彼は滅多に笑わない男にもかかわらず)許してくれる。当然、亡者達もペルセポネの思うがままに動かせるわけで、ココシャネルに服のデザインをさせたり、ビダルサスーンに髪の手入れをさせたり、マイケルジャクソンにディナーショーをさせたりと、地上の誰よりも贅沢三昧やりたい放題なのだ。
しかし、実家ではそうはいかない。母のデメテルときたら、ペルセポネが冥界から地上の神殿に到着するやいなや、やれ服装が派手すぎるだの荷物が多すぎるだのと文句をつけ、更にペルセポネのスーツケースの中までチェックしては、やれ下着が下品過ぎるだの化粧品の匂いがキツ過ぎるだのとグチグチ言った挙句に、あの陰気でムッツリ助平なハデスのせいで、自分の清楚で可愛い娘がこんな淫売みたいな不良になってしまった…よよよ…なんていって泣いたり喚いたりするのだ。清楚で可愛い娘って言ったって、もう結婚して2000年とか過ぎてるんだけど…ペルセポネがそう言っても、デメテルの怒りは治らない。要するに、ただ単にハデスの事が嫌いなのだ。困ったものである。
仕方がないから夏の間ペルセポネは、デメテルが何処からかもってきた古臭いデザインの白っぽい子供っぽいドレスを着て、神殿の中で大人しく過ごすのだが、これが本当に退屈なのだ。もう溜息しか出ない。
「ああ、やっぱりSADAKOは凄いわね。彼女のヒット以来、JAPANの亡者はみんな頭に三角形の白い布を付けなくなっちゃったもの。この影響力は無視できないわ…」
今日もペルセポネが、エアコンをガンガンに効かせた部屋で(冥界の涼しさを知ってしまうと地上の暑さは耐えられないと彼女は主張する)、ホラームービー鑑賞に精を出していると、幼馴染みのニンフ達が遊びにきた。
「ペルセポネさま、お帰りなさい!」
「ペルセポネさま、また冥界のお話を聞かせてくださいな!」
実家は退屈だが、こうして古い友人が遊びに来てくれるのは嬉しいことだ。本当は冥界からいろいろな美味しいお土産なんかも持ってきたいところだが、地上のものに冥界の食べ物を食べさせるわけにはいかないので、いつもペルセポネはニンフたちに冥界の珍しい風景や奇妙な出来事などを(かなり脚色を加えて)土産話として提供するのだ。ペルセポネは、最近多発しているオレオレ詐偽の罪人達が身体中が腐敗し黴だらけになって苦しむ様子や、未だに無くならない嘘つきの占い師らが首を前後逆さに付けられて右往左往する様子なんかを、ケレン味たっぷりに話した。ニンフ達はキャーキャーと楽しげに騒ぐ。
そのうちに、ひとりのニンフが言った。
「そうだ、聞いた話なんだけど…この近くに有名な心霊スポットが、あるんですって!最近、よくユーチューバーの人とかが肝試しに行って、幽霊を見たとか心霊現象が起きたとか話題になってるらしいわよ!」
もっともらしく声をひそめて言われると、なんだかちょっとゾクゾクと怖い。
「えー、なにそれ、こわーい!!でも、ちょっと行ってみたいかもー!!」
「そうだ!ペルセポネさまが一緒なら平気なんじゃないかしら!!」
ニンフ達が、ペルセポネに注目した。
「え、わたし…?!」
突然の話にペルセポネは困惑した。しかし、ニンフ達は勝手に盛り上がっている。
「そうよねー。ペルセポネさまは冥界の王妃さまなんだもの、幽霊なんか怖い筈ないわよねー!!」
「わー、私、肝試しなんて初めてー!!ワクワクしちゃうー!!」
確かにペルセポネは冥界に住んでいるし、亡者なんか毎日見ている。それは全然怖くない。
しかし、心霊スポットというのは、なんというか、勝手が違うような気がする。冥界の亡者と地上の幽霊では、飼い犬と野良犬くらいの違いはありそうだ。なんてことを考えてはみたが、もうすっかり盛り上がって、行きたくないとは言えない雰囲気になっていた。
ふとペルセポネが視線を下ろすと、自分の薬指に嵌めた指輪が目に入った。冥界から出発する前に、夫が御守りだといって付けてくれたもので、黒く輝く美しい宝玉がついている。指輪を撫でると、なんだか不安が消えた。そう、自分には冥界の王がついているのだ。彼なら、自分がこの世のどこにいたって助けてくれるに決まっている。
ペルセポネは、ニンフ達と共に、心霊スポットに出掛けることにした。
「うわー、これは結構…雰囲気あるわねー。」
ニンフの案内に従ってたどり着いた廃病院を見て、ペルセポネは妙に感心したように言った。
ボヤッと浮かび上がるような白い外壁と、割れて硝子が殆ど無くなった窓枠の中の闇の塊。ジッと見つめていると、引き込まれてしまいそうだ。
「ここ、強盗とか痴漢とか…人間はいないわよね?」
ペルセポネは左右を慎重に確認しながらニンフに尋ねた。ハッキリ言って、幽霊なんかよりも人間のほうがずっと危険なのだ。
「それは大丈夫ですよ。人間が聞いたら眠ってしまう笛を持ってきましたから。」
「じゃ、それずっと吹いてて!」
ひとりのニンフが、牧童のように穏やかな音色を響かせる。一同は、壊れた扉をすり抜けるように院内に侵入した。
じわじわと汗ばむような蒸し暑い夜であったが、院内の空気はひんやりとしていた。埃っぽい匂いと相まって、まるで古墳とか遺跡を探検しているような気分になる。自分たち以前に物好きな人間たちが多数訪れているようで、壁や天井のあちこちに落書きがあり、床のそこかしこにゴミが散乱していた。もしかしたら、ホームレスが住んでいたりしたのかもしれない。
はじめは緊張していた一行であったが、建物の二階の奥までたどり着く頃には、誰からともなく「なんにもいないわね」「なにも起こらないようね」などと会話を交わすようになっていた。
ふと、ペルセポネは違和感を覚えた。
耳をすます。
笛の音に重なるように、何かが聞こえる。
全員が押し黙った。音が近づいてくる。
泣き出しそうなニンフ達を落ち着かせるためにペルセポネは、敢えて余裕の表情で言った。
「大丈夫よ。私がいるわ。」
そして、笛を吹き続ける事を命じてから、近づいてくる音の方角を睨みつけた。
ポロンポロン…と、頼りない琴のような音がゆっくりと、わざわざ此方を脅かすかのような緩慢さで接近してくる。ペルセポネは目を凝らした。普段から暗闇の世界で暮らしているだけあって、夜目は利く方なのだ。
「人形…?!」
長い廊下をモタモタと進んでくるものは人形だった。コテコテのホラームービーみたいだな、とペルセポネはなんとなくシラけた気分になった。ペルセポネがもう少し集中して人形を見ると、なんだか背後にボンヤリと亡者が見えた。わざわざ人形をえっちらおっちらと動かして御苦労なことだわ、とペルセポネは溜息をついた。
「ちょっと、あの亡者と話してくるわ。」
怯えているニンフ達にそう言うと、ペルセポネは人形の背後の亡者に向かって歩いていった。
「あなた、こんな寂しいところで何をしているの?どうして死んでるのに冥界にいかないの?」
ペルセポネに話しかけられて、亡者は腰を抜かさんばかりに驚いた。普段は此処にやって来た人間達を驚かして追い出しているのに、今日はいったいどうしたことか。
「え…え…あの…」
思い掛けない展開に戸惑っている幽霊にペルセポネが質問を続ける。
「だいたい、この悪趣味な人形はなんなのよ?ちょっと演出が過剰なんじゃないの?供養してほしいとかなら、もうちょっとなんかあるんじゃないの?」
「う…ううう…」
幽霊は泣き出した。ペルセポネは逆に困った。
「ああー、ごめんごめん。泣かないでよー。話聞くからさ。冥界の入り口くらいまでなら連れて行ってあげるし…」
「ほ…ほんと?!」
幽霊が顔を上げた。女だった。女は、こっちが聞いたわけでもないのに、堰を切ったように身の上話を始めた。ざっくり要約すると、恋人に裏切られて自殺したものの誰にも発見されず浮かばれないままに何となく此処で生きている人間を怖がらせて気を紛らわす日々を送っていたが、正直このままではいけないと悩んでいたところ今日ペルセポネに出会えて本当に良かったというような話であった。
ペルセポネ的には、ありふれ過ぎていて、あー、はー、ふーん…としか感想のない話だったが、ニンフ達は大興奮で幽霊にあれやこれや質問しては、大いに盛り上がり、気付いた時にはもう東の空が白みかける頃であった。幽霊は長年の恨みつらみ、不平不満、あれやこれやをニンフ達に聞いてもらって満足したようで、妙に爽やかな朝陽にとけるように笑顔で消えていったのだった。
本物の幽霊に会えたと大喜びのニンフ達と別れて、ペルセポネがこっそり神殿に戻ると、鬼の形相のデメテルが待ち受けていた。
「ペルセポネ!!!朝帰りとはいい度胸ね!!いつからそんな不良になってしまったの?!!!」
嵐のような母の怒りを、ペルセポネは身体を小さくして受け流していた。
…ああ、早く冥界に帰りたい…。
今朝、晴れやかな顔をして旅立って行ったあの名もなき幽霊を心底羨ましく思ったペルセポネなのであった。