目覚め。
「お嬢様、お目覚めですか?」
誰かがベッド脇から、うかがうようにやさしく声を掛けてくる。
その声に応えて、あたしは「おはよう」と幼い声で言った。
「昨日は驚きましたよ。ご気分はいかがですか?」
「気分?」
あたし、なにかしたっけ?
鈍く痛む頭を小さな手でこすりながら、あたしはゆっくりと昨日のことを思い出す。
そうだ、昨日はあたしの十歳の誕生日で……たしかお父さまと一緒に馬車で出掛けた。
行き先は町外れの小さな家――。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「お父さま、ここは?」
「魔術師の家だよ。父様の友人なんだ」
お父さまの手を借りて馬車を降りると、お父さま以上に長身の男性が玄関の前に立っている。
茶色い髪と、それより薄い茶色の瞳。
よく鍛えられているのが服の上からも分かる体躯。
この方が魔術師だろうか。
わたくしの顔に疑問が乗っていたのか、お父さまは首を振る。
「彼はここで魔術を習っているキースくんだ」
キースと呼ばれた男の人はわたくしたちに向かい、腕を胸の前に掲げた礼を取る。
「キース・ガルトです」
「ハンナ・ハミルトンでございます」
キースさんは無表情のまま頷くと、一歩横へずれてドアを開けてくれる。
「ルーサーはいるか?」
「それが…」
キースさまが言い淀むと、お父さまは大きなため息をついた。
「わかった。まだ寝てるんだろう?」
「はい。何度か声を掛けたのですが」
「あいつがそんなやさしい起こし方で目を開けるはずはない。私が行ってこよう。ハンナはキースくんと待っていなさい」
お父さまには勝手知ったる家のようで、さっとコートを脱ぐと廊下の奥に進んでいく。
「えぇと…」
わたくしは初めて来る家で知らない人と取り残されてしまった。
心細くなって隣に立つキースさまを見上げる。
「あの…キースさま」
目が合うと、彼はやさしく微笑んだ。
「こちらへ」
すぐ近くの部屋に通される。
応接室にしては、ずいぶん殺風景だ。
大きな窓にローテーブルとソファ、それに暖炉だけで、装飾品は何もない。
いや、ちがう。
よく見ると暖炉の上には水晶玉が置いてある。
それはわたくしの頭よりも大きく、窓からの陽光を七色に跳ね返していた。
「きれい……」
揺れる光の粒に誘われるようにわたくしは近付く。
「それに不用意に触れてはいけません」
開けたままにしてあるドアのそばで、キースさまが言う。
「あ、はい」
いくらなんでも初めて来たおうちの物を勝手に触る気はない。
しかしなぜか目が離せず、一歩下がって、また水晶玉をのぞきこむ。
その時、天井からドシンと重たい音が聞こえた。
「地震?」
「おそらく伯爵が師匠を起こされたのかと」
「お父さま、どんな起こし方をしてるのかしら」
見える訳もないのに天井へ目を凝らすと一際大きな振動がきた。
その影響で目の前の水晶玉が揺れ、ゆっくりと転がっていく。
「あっ…」
――落ちる。
とっさに受けとめたわたくしの手の中で水晶が光った。
「ハンナ様っ」
キースさまの焦った声が遠くから聞こえる。
水晶からは真昼の太陽よりも強い光が出続けていた。不思議と熱くない。
なんだか、カメラのフラッシュみたい。
本能的にぎゅっと目をつぶり、ふと気付く。
カメラのフラッシュってなに?
目を閉じていても光が容赦なく網膜を焼く。
まぶたのうらに狭い海を大小、様々な船が行き交う情景が映し出された。
海の上を細く縫うように伸びた高速道路。
狭い運河とひしめくビル。
少し離れた繁華街と下町には人が溢れていた。
これは……。
ハンナは濁流のように流れ込んできた情景に目を回した。




