未知とのそうぐう
三島由紀夫の生まれ変わりを自負する、作者 倉本保志 の処女作ついに初公開
主人公、僕は、どこにでも存在するような、ごくありふれた青年である。これといって特技のない、何かに打ち込んでいることもない、とりわけ苦境にいるわけでもない。そんな飽満的かつ閉塞的な人生を、どこかで変えたいそう願っていた。新年を迎えるにあたり、彼はちょうどいい節目だと人生の転換を祈願して産土の神社に向かう。途中彼は得体のしれない知的生命体に遭遇する。
未知とのそうぐう
年も改まり、僕は新たな決意を胸に揚揚たる気分に浸っていた。
今年は何か、今までとは違う、意義のある年にしたい。まあ、毎年そう思ってはいるのだが、そんな意識自体、三日坊主でなかなかうまくいかない。しかし、今年こそは、これまでの悪しき習慣、その分厚い殻を打ち破れそうだ。漠然とではあるが、僕はなぜか、そんな根拠のない確信に満ちていた。
「初詣で に行ってくる。」家族にそう言い残すと、僕は、地元の神社に向かった。
今年はちがう、僕にも何かできる・・そんな気がする。行き道をなんども自分に言い聞かせるように呟きながら、漫然と歩いていく。
今年こそは、今年こそは、新しい自分をデビューさせる・・ 今年こそは、
ズルッ 「あっ・・」
僕は、何かをふんずけて、前のめりに倒れ、顔を地面に叩きつけていた。瞬時のことで何が起こったか、軽いパニックになっている。痛ったあ・・ 頭を持ち上げて打ちつけた額を左手でさする。皮膚にまとわりつくねっとりとした手触りが、一瞬僕を青ざめさせた。何・・まさか、そんな・・初詣でに行く途中で、滑って転んで、顔面血だらけ・・? 今までの揚揚たる気分が、サーっと音をたてて消失していくのがはっきりと感じられた。
恐る恐る僕はその左手をのぞき見る。
「えっ・・違う・・」
状況を把握し、収まりかけていた脳内が、再びプチパニックを起こしている。
「赤・・色・・」 「じゃない、血じゃない。」 「 何これ?」
僕の目は、左手についた不思議な色にくぎ付けとなった。
「大丈夫ですか・・」
膝元の地面から、声がした。かすかではあったが、はっきりと聞こえた。 少しおびえながら声のする、膝元をみた。
「大丈夫ですか、顔、随分強く打ちつけたみたいで・・ あっそれと僕の体の一部・・返してください。」
「えっ・・? 何?」
先ほどからのプチパニックが脳内で連続して誘発、頭の中でオレンジ色の光を放ちながら化学反応を起こし始めた。やがて脳内域に存在するモニターに、嘗て見た幼少期のおぼろげな記憶、夏の大輪の花火が何発も打ち上げられるのが映し出され、まるで夢の中にいるような、なにやら恍惚感すら湧き出てくるのが感じられた。
「誰・・・きみ?」
そういった僕は、先ほど起こった不運な事故とは似つかない、変なうすら笑いを浮かべてすこし頭を揺らしながら、その声の主をぼんやりと見ていた。
「きもっ・・打ちどころ悪くて、あたまが、変になってしまったんですか?」
そうなのかな・・言われてみればそんな気も・・ 周りの景色はまだ、夢の中そのもので、うっすらと霧がかかったようにぼやけている。
「単なる悪口ですよ、やだな、」 「ささ、早くぼくのからだ返してください。」
「からだ? えっ 身体って・・ これ、きみのもの?」
「返してください、」
「じゃあ、僕の・・ 僕を僕だと思っているこの意識はいったい何なの?」 「僕は本当は人間じゃないの?」「時空間の隙間に生えたキノコかなにか・・?」
「なにをわけのわからないことを言っているんですか、ぼくのからだ、それ、その手についているねっちょりしたやつですよ、」 「早く返して。」
「これ? ・・・?」
僕は左手を見た。 先ほどのぬめりは、血ではなく、なにやら、いかがわしい色をしてやはり僕の手に纏わりついていた。無意識にそのものを鼻先に近づけてにおいを嗅ぐ。
「うわっ、くっさっ」 「 何これ・・ 臭っ」
その異臭でぼくは、我に返った。臭いは現実を、生々しい日常を呼び戻すには十分な、紛れもないうんこの臭いであった。
さあ、それをぼくに上から擦り付けて、はやく、
そのとき僕は、自分が、膝元にある少し削れたうんこと、話をしていたことに改めて気づいた。
「こうかい・・?」
そう言って僕は、うんこに指示されるまま、左手をその上部の削れた部位になすりつけた。
うんこは、少し身震いしたかと思うと、擦られたものを自分の体と同化させていった。
「はあ、とんだ災難だった。」彼は、ほっと、小さなため息を漏らした。
静寂があたりの時間を止まらせていた。僕はしばらくその場に膝をついたまま動けなかった。
「えっ?」
「なんですか・・? えって・・?」
「えっ?」
「だから・・なんですか?」
「・・・?」 「うんこ・・、なんでしゃべってるの?」
「なんですか・・? ウンコって?」
「うんこ? なにしゃべってるの? うんこの分際で? なんで・・」
「分際で・・? ちょっと、何ですかその言い方、やめてくれません」
「えっ? でも・・ うんこなんでしょ?」
「だから・・なんですかって聞いているでしょう、 なんなの・・ウンコって?」
「やばい、まだ、夢の中にいるようだ。正月だからもしかして、これが初夢?」
「いやだあああ・・こんな初夢!」
「ちょっと、ちょっと、なに一人でパニクってるんですか」
「うわあああ、もしかたら、頭打って死んじゃったのか俺、」
「するとここは、天国か、天国でうんこと話してるのか? うわあああ、もっと嫌だあああ、わああ」
「こらああっ、いい加減にしろ、しまいにぶち切れるぞ・・てめえ」
僕は、そのうんこに似た しかし、おそらくうんこではない物体、いや、言葉をしゃべる以上、知的生命体とでもいうべきか、得体の知れないちいさな彼を、じっと見ていた。
「あ、いや、すみません。 声を荒げてしまって・・」
彼(うんこのような知的生命体)は、自分の言動に少し反省している様子であった。
「きみ、なにもの?」
僕は静かに彼に訊いた。
「えっ・・・ぼくは、ぼくです。」
「ぼくっていわれても・・何?」
「何っていわれても・・・・えと、 それが、良く分からないんです。」
「う・・」
「ウンコじゃないことは確かです。今思いだしたんですけど、排泄物の俗称ですよね、それ」
「うん、まあ・・そうだね」
「違います。ぼくは、うんこじゃありません。」
「あ、そうなの、」
「だいいち、うんこがしゃべりますか・・昭和のギャグ漫画じゃあるまいし」
「ああ、・・・そうだね。 確かに、そこは間違いない。」
「じゃあ何なのってことなんですけど・・ぼくは自分でも・・一体なんなのか・・」
彼は少し沈んだ様子で黙っていた。恋人に別れを切り出した直後のような、気まずい沈黙が、なぜか周囲に滞っていた。
「・・・・・・」
「あ、別にいいんじゃないか? 何か・・じゃなくても・・」
僕はとっさに口から出た自分の言葉に驚いた。
「えっ?」
「だから、何かである必要はないんじゃないかってこと・・、べつに」
「どういうこと、ですか?」
「ええと、だから、その・・・」
「僕がたまたま、踏んずけちゃったけど、ただ、それだけの事ってこと。」
「つまりだな、三日もすれば、なんか変なことあったかな・・て、事実すらうろ覚えになって、夢の出来事のようにでも思えてきて、ひと月もすれば、そのこと自体も僕は忘れてしまって、普段の、閉塞的な日常に埋没していくわけだから・・・君が何かであると、無理に今、決める必要なんて」・・
「ああ、なるほど・・そういう意味ですね」
彼は少し悲しそうに呟いた。
そうだよ、だから、きみは、僕にとって、何かである必要はないんだよ、悪いけれど・・」
「・・・うん、そうですね、・・・あなたの言う通りかもしれませんね」
「透き通った彼の返事とは反対に、暗渠な空間が、心の奥にまですうっと広がっていくのを僕は感じていた。」
暫くたって、僕は切り出した。
「あ、いい遅れたけど、」
「何ですか?」
「悪かったな、ふんづけちゃって」
「なんだ、いいですよ、今さら」
彼は自分に言い聞かせるように小さく呟いた。体を削られたことよりも、もっと大きな痛手を負ってしまったような、そんな傷心が、彼にも感じられていた。
「じゃあ、僕もういくよ」「元気でな・・」
「あなたも、今年がいい歳でありますように、願っていますから」
「ありがとう、じゃあ」
「さよなら、 うんこ・・」
僕は、その何であるか分らないものに別れを告げて、神社へと向かった。冬の陽はもうすっかり西の山に沈みかかっていた。
「だから・・・、ウンコじゃないっつってんだろが・・このくそ野郎が・・」 おわり
知的生命体を、自分の経験・知識から理解することのできない主人公、僕。 自分のパニックを鎮めるためにその正体を知る必要があったが、実はその未知の知的生命体も自分が何であるのかを分からなかった困っている知的生命体を見た僕は、自分の言葉がかれを苦しめているのを知り、お互いが何であるのか、誰であるのか、出会った瞬間に知ることなんて実は必要のない無意味なことであり、それは人間同士でもエイリアンであっても変わらないことだ。と慰めの意味で伝える。だが、知的生命体は、彼の言葉を自分への優しい拒絶だと思いこみ、自分のことにしか意識を持たない、彼(主人公)こそが自己中心的なくそ野郎だと、自分への応対への憎悪を含めて言い放つ。最終的には虚無感のみが周囲に漂っている。




