【8】因縁の再会⑱ー3 (雨降っても地は固まりません!)
【⑱ー3】
⋯⋯う〜ん。なんというか、落ち着かない。
成り行きで奏の上着を借りてしまったわけだが、どうにも気になっていれば仕方ない。メンズものなので少し大きいせいもあるだろうが、それでも、たまに康介の服を勝手に拝借して着た時には全く感じなかった。言葉では形容出来ないムズムズ感が湧き起こって来る。
さっきまで着ていた緋色くんの制服も、袖を通した時は妙なムズムズ感が湧き起こったが、私と緋色くんの服のサイズにさほど差が無かったせいか、次第に慣れて、ほとんど気にしなくなっていた。
なのに奏の時は、時間が経つにつれて、そのムズムズ感が更に強くなっていって、歩いていても奏の上着に自然と目がいってしまって気になってしょうがない。やはり体型に合わない服を着ているから? いや、でも康介の服も大きいけど、着ていても特に何とも思わないしなぁ。
ーーう〜ん。となると、これは、あれだよ。身内と他人の違いってやつ? 奏も幼馴染みで弟のようなものだけれど、一応他人には違いないし。だから自分の中で他人に対する申し訳なさというか遠慮があって無意識に感じてるのかも。うん!きっと、そうだ!
納得とばかりに、ぐっと拳を握り締めると、ふいに奏の上着から、ふんわりと優しい香りが鼻孔をくすぐった。
⋯⋯良い香り。⋯⋯香水? いや柔軟剤の香りかな? そういえば、さっきまで奏が着ていたんだっけ⋯⋯イケメンって着ているものまで良い香りがするんだなぁ⋯⋯
無意識に香りをたどって袖口を顔に近付けたところで、ハッと我に返る。
うわ、一体何をやってるんだ!? 私!!
借りている服にあろうことか、その匂いを嗅ごうとするなんて、端から見れば完璧に変態の領域だ。
ーーだって、だって、なんかシトラスフローラル系?のすごく良い香りなんだもん。だからつい、出来心で⋯⋯はい。すいません。
私は慌てて誤魔化すように手をブンブン振っていると、後ろから康介の訝しげな声が掛けられる。
「おい、姉ちゃん、何やってんだよ?」
「え? あ〜っと、む、虫! ちっちゃい虫が飛んでてーー」
後方の康介の方に振り返ると、必然的に奏と目が合ってしまった。
ーーな、なんか、気まずい。
私はそんな奏に何でもないよと言うように、へらりと笑うと、次に視線を康介の方へ向け、キッときつく睨んでやる。
「あ? なんだよ」
康介が面倒くさそうな顔で私を見ている。
くっそ、康介の奴、なんで今日はシャツ一枚しか着てないんだよ。そもそも康介が上着を着てさえいれば、わざわざ奏に借りる事もなかったのに、おかげでこっちは危うく変態になりかけたじゃん!
「はぁ⋯⋯つくづく気の利かないヤツね、あんた」
「はあぁあ?」
ため息混じりに呟く私に、康介が眉間に深い皺を寄せながら怒り出す。ーーまぁ、当たり前か。
「言うに事欠いて何だよそれ。ったく意味不明だろ!しかも誰が気が利かないだって? こうしてわざわざ家から携帯を届けに来てやった親切な弟に対してため息混じりで言うセリフかよ!」
私は小さく肩を竦めた。
「やだなぁ、そんなに怒んないでよ。それには感謝してる。ありがとね。だけど、つくづくあんたとは姉弟なのに、全く意図が噛み合わないなって思っただけ。⋯⋯はぁ、あんたも弟なら姉が困らないように事前に物事を察して動くくらいの気が回ればいいのに、所詮血の繋がりなんて大したことないのね」
それを聞いた康介のこめかみに青筋が立つ。ーーまぁ、逆の立場なら私でも怒るね。うん。
「はああ!? なんで俺がおめーの為にわざわざ気を遣わなきゃなんねーんだよ!だいたい年上のくせして、しっかりしてねー自分の方をまず改善しろよ!いくら弟でもおめーの世話係になった覚えは、これっぽっちもねーからな!」
「本当に可愛くない⋯⋯この世でたった一人の自分の姉に対して、ここまでぞんざいに扱う? そんな事言うんだったら、あんたが将来ヨボヨボのおじいさんになっても面倒なんて見てあげないからね!」
私はムッとした表情で康介を睨むと、康介がふん、と鼻をならして嘲笑する。
「はっ、俺は自分のことは自分で出来っから、いらん心配だな。それよか俺の事より自分の方を心配しろよ。どう考えても姉貴の生活能力の方が怪しいだろ。そんなんで独り立ちなんて到底難しいんじゃねぇの? とにかく他人に迷惑かけるようなことだけは、くれぐれも止めてくれよな。身内が恥ずかしい思いするだけだから」
ぐぅっ、確かに康介は自分の事は何でも自分で出来てしまう。となると、老後に世話になるのは実は私の方かも⋯⋯なんかイメージ出来てしまうだけに悲しい。⋯⋯クスン。
そして、フフンと勝ち誇ったように口元に笑みを浮かべている康介に対し、どうしても口では負けてしまう私は、悔しさのあまり口を真一文字に引き結びながら康介をジロリと睨んでから、その隣にいる奏にぐりんと向き直る。
「奏!!奏は私の事、見捨てないよね? 確かに私は年上としては頼りないかもだけど、でも康介違って奏は優しいから、幼馴染みのよしみで私が困った時は助けてくれるでしょ? 知っての通りで、実の弟はこんなんだから、私はもう頼れるのは奏しかいないの! たから将来私がおばあちゃんになった時に困ったことがあったら助けてくれるよね?」
ーーもう実の弟には期待なんてしない!だから、この機会に、もう一人の優しい弟の方にお願いしておこう。奏は誰かさんとは違って兄妹思いだし、私にもすごく優しいから、多少押し付けがましいかなとも思うけれど、きっと私が困った時には快く助けてくれるに違いないもん!
そんな私の縋る勢いに驚いたのであろう奏は目を大きく見開いていて、その隣で康介が呆れたような目で、こちらを見ながら口を挟む。
「あのな〜言ってるそばから人に迷惑をかける気かよ。いくら奏が優しいからって、そんなこと急に言われたら困るだろ? しかもそんな風に負担しいて相手の迷惑も考えろよな。まずは自分でどうにかするのが先だろうが。第一、んな心配しなくても姉貴の面倒くらい身内でなんとかするしーー」
「ーー珠里」
すると奏が康介の言葉に被せるようにして私の前に立つ。
「勿論、俺はどんな事があっても珠里を助けるよ。決して見捨てたりなんてしない。この先何十年経ったとしても俺は珠里の為なら何でもする。だから珠里が頼れるのは俺だけって言ってくれて、すごく嬉しい」
至極真剣な眼差しで奏から見つめられ、思わず「ほえ?」と変な声が出てしまう。そしてなんだか、まだ変なムズムズ感が背中に湧き起こって、なんともいえない恥ずかしさを感じる上、しかも奏の視界がいつになく真っ直ぐに私の目を捕らえている。視線を外そうにも、こんなに真剣な眼差しを逸らすと、かえって失礼にあたる気がして、奏の薄茶色の緑が混じった綺麗な瞳から目を逸らすことが出来ない。
まさか私の言葉をそんなに真面目に取るなんて思わなくて、軽い気持ちで言った自分の浅はかさが、とことん恥ずかしくなった。いや、確かに半分以上は本音ではあったんだけれど、それでも奏は真面目で面倒見が良いから私が困っていると、いつも助けてくれる。それをわかっていて、敢えてその優しさにつけ込むなんて、ああ、私ってばホント最低!自己中のクズ女だ!
康介の言う通りだよ。奏には奏の生活があるのに、この先もずっと他人である奏に頼るつもりって、どうなの? 奏にだって、いずれ可愛い恋人とかできて将来結婚とかもするだろうし、なのに幼馴染みってだけで、いつまでも奏にぶら下がっているわけにはいかんでしょ!それに奏の恋人にだって嫌な思いをさせてしまうだろうしーー
そこまで考えて急にモヤモヤし始める。
あ、あれ? なんか急に嫌な気分がモヤモヤ〜っとーーお、おかしいな。なんでだろ?
「あ、あはは、奏ありがとうね。実の弟が全く頼りないばっかりに、ついに奏に甘えちゃったけど、確かに奏に迷惑を掛けるわけにもいかないし、私がしっかりすればいいだけの話だから、今言った事は全然気にしないで。ほら、私って結構神経図太い方じゃない? たから一人でも逞しく生きていける自信、実はあるんだよね〜えへへっ」
私はへらりと能天気に笑いながら奏の肩をポンポンと軽く叩いていると、ふいにその手を奏に取られた。
ひゃあぁ!? な、なにごと?
驚いて見上げる私の手を奏がぎゅっと握りながら、怖いくらいの強い眼差しで見つめている。
え? え? なに? もしかして怒った⋯⋯?
すると奏はふるりと顔を横に振る。
「俺は珠里の事を迷惑だなんて思ったことは、これまでの一度だってないよ。珠里が俺の負担になるなんて絶対にあり得ないから。だから康介の言葉は信じないで。珠里は俺にとって、かけがえのない大事な人だから、珠里が困っているなら本当に心から助けたいと思ってる。一人になんかさせない。たから、俺の側から離れないでーー」
か、か、か、かなでぇぇぇ〜〜??
ーー現在、私の思考回路が迷走している。
奏が『乙女ゲーム』のヒーロー化していると思うのは気のせいだろうか。それでなくてもイケメンビジュアルもそうだし、もしここが乙女ゲームの世界なら、まさに奏は攻略対象の一人だっただろう。でなければ、現代の男の子がこんな歯の浮くようなセリフを真顔で言えるはずがない。ということは、また私は自分の妄想の世界に入ってしまったのだろうか?
私が大事な人って? しかも⋯⋯俺の側から離れないでって? え? えっ? はい? そんな奏みたいな王子様キャラ、私のやっている『乙女ゲー』に居たっけ??
『春人』くんは年下でも見た目が緋色くんで決定だし『夏輝』は、どっちかというと暁さんにちょっとだけタイプが似てるかな? そして『秋良』は眼鏡キャラだし、若村? って、眼鏡と生徒会長って事だけしか共通点ないな。すると『冬夜』は⋯⋯伊月?って、眼鏡と生徒会長って事だけしか共通点ないな。
すると『冬夜』は⋯⋯伊月?って全っ然キャラ違うし!それにイメージ的にはクールな感じが帰蝶の方に近いかな。あっ、そうそう伊月はヒロインが飼っている愛犬にそっくりかも! それから『四季』先生は、大人の色気からして、やっぱ廉さんでしょ。ーーあとはーー⋯⋯
「珠里?」
そんな奏の声すら反応しない、すっかり別次元に跳んだ私の額に康介のデコピンが容赦なく炸裂する。
「痛っつたあぁあ!!」
その痛みで再び意識が現実に引き戻された。⋯⋯折角配役考えてたら面白くなってきたのになーー
「康介っ!!」
奏の咎める声に、康介はやれやれとばかりに肩を竦める。
「こうでもしないと戻ってこねぇだろ。姉ちゃんの妄想癖はいつでもどこでも発動する、厄介な代物だぜ? 一度自分の世界に入っちまったら外の声は全く聞こえねーって、もはや病気だよ、病気。しかも独り言をぶつぶつ言いながら動かないでいたら、その内、変質者として通報されるかもな」
「ひ、ひどい。ちょっとだけ意識跳んだだけじゃん! なのに、いつでもどこでもだなんて、そんな事ないよ! それどころか病人扱いまでするなんて、人権侵害だわ!」
ジンジンと痛むおでこを押さえながら抗議をする私に康介がケッと吐き捨てる。
「な〜にが人権侵害だっ。寧ろ感謝しろよな、姉貴が変質者にならずにいるのは俺達がカバーしてやってるからだろうが。だから普段学校ではどんな事をやらかしてるのか、もはや恐ろしくて聞けねぇよ」
「うっ、学校ではいたって普通だもん!これでも生徒会では重宝されていて、先生にも頼られず超真面目な生徒なんだから!」
「たんに猫被ってるだけだろ? それに視力だって全く悪くねぇのに、学校行くのにわざわざ度の入っていない野暮ったい眼鏡なんかかけて、地味で大人しい優等生を3年間も演じてるってわけ?」
「よ、余計なお世話よ。演じてるなんて人聞きの悪いこと言わないで。私は元々地味で大人しいなんだよ。あんた達のように周りが常に騒がしいのはごめんだわ」
「はっ、だから学校では俺達と距離を置くってか? 俺が弟だってことも隠して赤の他人にするつもりとか、どんだけビビッてんだよ。昔と今は違うだろ。姉貴にとって俺達はそんなに頼りねぇのかよ?」
「な、な、何言ってんの? 急に訳わっかんないんだけど⋯⋯」
突然、康介が私のあまり触れてほしくない核心をつっつくような言葉を投げかけてくる。
ーーだから、康介は嫌なのだ。奏は優しいから相手が触れられたくないものを察して、そっとして置いてくれるのに、我が弟はこうして時々、相手が嫌がるであろう地雷をわざわざ掘り起こして直面させる。
こればっかりは個々の性格だからどうしようもないのだが、それでも事情をわかっていながら、どうして治りかけた傷口に敢えて塩を塗るようなことをするんだよ!と叫びたい。
確かに康介の言っていることは間違っていない。言葉自体は乱暴だけど、その言葉はいつも正論だけに、保身の塊である私には到底言い負かせるはずもない。
ーーああ、本当に康介って嫌なヤツ。自分の弟じゃなかったら 、ぜーったいに関わらないのに、なんで姉弟なんだよ。第一、自分のことじゃないんだから、私のことなんて放っておいてくれればいいのに、なんでいちいち干渉してくるわけ?
できることなら、もう他人とは深く関わりたくない。一番近くで姉を見てきた弟のくせして、それがわからないなんて、少しは姉の意図をくみ取りなさいよね。しかも変なところで鋭くて鈍いというか、本当に、この弟とは一生噛み合わない気がする⋯⋯
「⋯⋯」
無言になったまま、内心ではザワつく苛立ちを感じていると、スッと私の両耳を奏の大きな掌が塞ぐようにして触れる。
「珠里、大丈夫だよ。気にしないで。康介の言葉なんて聞こえなくていいから。珠里がしたいように、思うようにしていいんだ。俺達の事を気にする必要なんて全くない。珠里が元気でいてくれることが一番大事なんだから」
心から労わるように柔らかく穏やかな声が私の中の苛立ちをたちどころに吹き消していく。そしてふわりと優しい笑顔を向ける奏。
本当に奏はいつだって優しい。私が何をしても何を言っても、私の味方をしてくれる。そんな奏の献身的な優しさが心地よくて、つい甘えてしまう情けない私。
だけど、いつまでもこのままじゃいけないのに、いつか奏にも大切な可愛い恋人ができたら、私はこのポジションから退かなきゃいけないのにーー
わかってる⋯⋯でも今はもう少しだけ、奏のお姉さんでいてもいいよね?
私は胸にこみ上げてくる切ない感情を隠すように、私の両耳を押さえている奏の胸に自分の額をコツンとぶつけた。
「ん、⋯⋯ありがと、奏」
【続】




