白濁の夢
この作品は学生時代に学園祭で販売した自作のホラー小説になります。あまり販売の売れ行きは良くはありませんでしたが初めて書いた思い出の作品ということで投稿させていただきます。
あなたの中にある漠然とした不安感が刺激されれば幸いです。
此処は暖かく酷く穏やかだった。
…何故私はここに居るのだろうか。そんなことも頭を過ぎったかもしれない。だが今はそんなことどうでもよかった。落ち着ける、私一人だけの世界。誰かに気を使うことなく、言葉も発さず、雑踏の中の雑音も聞こえず、緩やかに時が流れている。いや、流れているように感じているだけなのかも知れない。閉じていた瞼を開けて見ると案の定誰も居ない静寂の白い世界だった。
心地良いまどろみの中、意識の片隅で「嗚呼、此れは夢なのだ。」と理解した。
まどろみを感じていた筈なのに、いつの間にか意識がはっきりとしていた。瞼を開けると目の前には延々と続く石畳の道があり、道の横からは何十、何百という数の大小様々な地蔵が無造作に置いてあった。
これだけの数の地蔵があり、少々薄気味悪さを感じた私はここから移動するために石畳の上を歩いた。だが、行けども行けども先が見えず、薄気味悪い空気がひたひたと侵食していく。それに加えてどこからか見られている。足音も声も聞こえないが、視線を感じるのだ。キョロキョロと周りを見渡すがやはり誰も見えず何も聞こえない。
仕方なくまた歩き出すと、今度は後ろから視線を感じて振り返るとそこには一人の子供が居た。歳は大体三、四歳だろうか。
「姉ちゃん、姉ちゃんどこに行く?」
だがその子供から発せられた声は酷くしわがれていた。場所が気味悪ければ、人も気味が悪くなるものなのだろうか?
「此処じゃないどこかへ。」
だが、いくら気味が悪いからといって無下に返す事は無いだろう。此処で始めて会えた人なのだから。
「そっちにはいかれない。こっち、こっちだ。」
その子はいきなり右に向かって走り出した。しかしそこには道は無く、地蔵があるだけだった。その子は地蔵と地蔵の間をすり抜けるように走った。倒れている地蔵を跨ぎ軽やかな足取りで駆けて行く。私といえば彼の突然の行動に呆気に取られて呆然としていたが、気味が悪いと思いつつも、急いで後を追った。
地蔵は本当に沢山あった。まるで森のように草原のように其処にあった。身の丈と同じくらいの大きさのものや、膝の高さのもの、掌に乗るくらいのサイズまで様々だった。
先に走っていったあの子供を見ると、ちょろちょろと地蔵の間から見え隠れしていた。まるで小動物のようだと私は思った。地蔵と地蔵の間を縫うように、泳ぐように駆け抜けていく子供を見てそう思っていた。度々、足を止めあの子は私の位置を確認するとまた駆け出す。そしてまた足を止め、確認してまた走りだす。苔むした地蔵の脇を走り抜け、倒れている腕の欠けた地蔵を飛び越え私は必死に追いかけた。だが、どれだけ走ってもあの子に追いつけないのだ。どこまで走ればいいのか分からない地蔵の草原を私とあの子はただひたすらに駆けて行った。まるで終わらない鬼ごっこのように。
やがて走り続けていた私たちの前から少しずつ地蔵の数が減っていった。このまま走り続けていればどこかに行き着くのだろうか。そもそもあの子はどこに向かっているのだろう。此処はどこなのだろう。行き着く先はどこ?
暫くすると地蔵の草原を抜け出し、集落のような場所に出た。人の気配のしないその集落は酷く奇妙だった。猫一匹すら見えなかった。あの子は走るのを止め、立ち止まりこちらを見ていた。
立ち止まったあの子に向かい私は不安のあまり少しきつい口調でいった。
「ちょっと、一体さっきから何なの?」
私は怖かったのだ。
気がついた先は全く知らない不気味な場所で、誰とも知らない子供について来いと言われ、薄気味悪い地蔵の間を走り続けた。
でも走り続けた先はこれまた奇妙な場所で。とにかくあの穏やかな所に帰りたかった。だからこの子に苛立ちをぶつける形できつい言い方をしてしまったのだ。しかしその子は私をちらりと一瞥した後、俯き一言言っただけだった。
「姉ちゃん、帰してやるから少し黙っとけ。」
その口調は子供のそれとは少し違った。しかし相変わらず酷くしわがれているが何故か先ほどより気味は悪くなかった。それよりもどこか懐かしいような…。不思議な感覚だった。
私はその子の指示に従って口をつぐみ、頷いて了解の意思を伝えた。
「…何があっても口閉じとけな、いいな。」
私はもう一度頷いた。
私が頷いたのを確認したその子はうっすらと微笑み、私の手を握り、集落の中を歩き始めた。その子が握ってくれた右手から子供特有の暖かい体温が伝わってきて、少し安心する事ができた。
段々と少しずつ落ち着いてきた私は集落を見渡した。
集落の家屋には人が誰も居なかった。だが、鞠が落ちていたり、食卓の上に湯気の立ったご飯や味噌汁が置いてあったりした。まるで、それまで誰か使っていたかのように。湯気の立っている食事を置いてここの人たちはどこに行ったのだろうか。
そんなことを考えながらも手を繋ぎながら道を行く私だったが、そのうちに視線を感じ始めた。視線を感じ始めた私はキョロキョロと視線を彷徨わせた。するとあの子が足を止め、手を握りなおした。彷徨わせていた視線を戻し、その子を見ると口をぎゅっと引き締めキッと前を見据えていた。
不思議に思い、その子の見ていたものを私も見ようと視線を移した。そこは十字路だった。その十字路を通っていく老人達がいた。私達に目もくれず、彼らは俯きながら歩いていた。皆ガリガリに痩せこけていて虚ろな目を地に落とし、ぶつぶつと何かを呟きながら歩いていた。ふと、子供の笑い声が聞こえた気がしたが、子供の姿は見えなかった。ただ、老人が歩いている道があるだけだった。そして彼らはその十字路の先にあるT字路で左右に別れ、家屋に入っていくのだ。最後の一人が私たちの目の前を通り過ぎ、T字路を左に曲がっていったのを見届けると私たちは目を合わせた。
不気味な行進を見た私たちは、キョロキョロと左右を確認してからまた歩き出した。
引き続き集落の中を歩いて行く私達。今度は先ほどとは違い、人の気配があり、活気にあふれていた。カチャカチャと食器同士が触れ合う音、子供の笑い声、鞠をつく音…。様々な音があふれている集落の中だったが、ふと可笑しなことに気がついた。
子供の声は聞こえるのだが、大人の声が聞こえないのだ。先ほどあれほどの人数が十字路を通っていたにもかかわらず、子供の声しか聞こえない。手を引かれながら家屋を覗いてみる。すると子供の姿は見えず、老人の姿だった。しかし相変わらず子供の声が聞こえ続けていた。
年老いた男女の姿しか見えない集落、姿の見えない子供たちの声、そして不気味な行進…。私は夢を見ているのだろうか。
手を引かれながら色々と考えていると、バタン、バタンと扉の開く音が周りの家屋から聞こえてきた。後ろを振り返ると家屋からわらわらと老人達が通りに出てきていた。やはり俯きながらぶつぶつと何かを呟いている。通りに出てきた老人達は、ぞろぞろと群れを成し近づいてきた。老人の姿しか見えないはずなのに、子供の声はまだ聞こえていた。私たちはそんな彼らの様子を伺いながら通りの隅にある電信柱に身を隠した。彼らは群れを成して歩いては来たが、それだけだった。こちらに目もくれず私たちの前を素通りし、突き当りのT字路にぶつかると右に歩いていった。
これだけで十分気味が悪いのだが、この行進の際に私は気味の悪いことに気がついてしまった。老人の群れの間に子供の足が見えたのだ。それに加え、老人達が呟いている言葉が聞き取れたのだ。
彼らは皆「仕方ない、仕方ない。」と呟いていたのだ。気味が悪いというよりも気持ちが悪かった。思わず繋いでいた手に力が入ってしまっていたのだろう。あの子が眉を寄せながら、私を見上げてきた。悪気がなかったとはいえ、痛いだろう。申し訳ないと頭を下げた。あの子はひとつ頷くと、行進の後ろにつく様な形で歩き始めた。やがて私たちもT字路に突き当たった。あの子は暫く行進を眺めた後、突き当たりのT字路の壁を探り始めた。私はそれを見ていたのだが、ふと行進の通っていった右の通りを見やると向こうから何か小さなものがこちらに向かって怒号を上げながら走ってきているのが見えた。私は驚いてあの子の服の裾を引っ張った。
あの子も向こうを見て子供特有の大きな目を大きく見開いたかと思うと、慌ててまた壁を探り出した。段々とこちらに近づいてくるにつれて大きくなるそれは、子供たちだった。口を大きく開き、顔を怒りに赤く染め上げ子供らしかぬ悪鬼の形相だった。思わず息を呑んだ私をあの子が腕をつかみ、壁に開いた扉に引きずり込みすぐさま戸を閉めた。あの子と私は壁の内側の庭のような場所でへたりこんだ。すると向こう側からダダダダと物凄い勢いで何かが駆けてきた音が聞こえた。それに続き、ギャアギャアと言葉にならない怒号で向こう側にいるモノたちが喚きたてている声が聞こえてきた。すると突然、水を打ったように向こう側が静かになったかと思うと壁が物凄い勢いで叩かれ始めた。
ダン ダン ダン ダン
ダン ダン ダン ダン
ダン ダン ダン ダン
恐らく、強く壁を叩いているのは先ほど追いかけてきた子供達だろう。
呆然と叩かれ続けている壁を見ていると肩をたたかれた。振り返るとあの子が私の後ろに立ちはやく来いと言っているようだった。急いで立ち上がるとあの子は私の手を取り、走り始めた。木の間を必死に走りながらも私の目はキョロキョロと周りの状況を確認していた。木々だけではなく草花を掻き分けながら走る。ここはどうやら誰かの家の庭園のようだ。良く見ると木々の枝が剪定されていたり花の咲いている間隔が一定だったりと人が手を加えている様子が伺えた。次第に草木に覆われていた視界が広がり、大きな日本家屋が見えた。私の手を引くこの子は先に見える日本家屋に向かっているようだった。
家屋には縁側があった。そこから私とあの子は家に上がらせてもらった。この日本家屋もどこか懐かしい感じがしたが、自分の家は普通の一軒家だし知り合いでこんなに立派な家屋に住んでいる人も知らない。ふと目を移すとあの子は自分の履いていた履を持ちながら家屋の中の各部屋に入り、何かを探しているようだった。あの子は缶の入れ物の蓋を開けたり戸棚を空けたりと、小さめのものを探しているようだ。居間に入った時に一緒に探し物をしようかと、声をかけようとして思い出した。声を出すなと言われていたのだった。私は押入れに入っていた木箱の中を見ていたあの子の肩をたたき、自分の喉を指し声を出しても良いか訊ねた。
「…ああ、もう声出しても良いぞ。」
そう言うとあの子はまた何かを探し始めた。
「…ねえ、さっきから何を探しているの?」
そう、私が問うとあの子は何かを思い出すような、遠い目をしてポツリと答えた。
「………からくりの螺子。」
そう、呟くように答えるとあの子は隣の茶室の様な部屋に入り、また探し始めた。
…そういえばあの子に螺子がどんな特徴なのかを聞くのを忘れていた。とりあえず先ほどから小さな小物入れや缶の入れ物を見ているところを見ると、あれくらいの大きさのものに入れられるくらいの大きさなのだろうと仮定して私も探し始めた。居間は大体あの子が探していたから別のところに移動して探そう、と思い立ち上がった。
あの子が向かった茶室の様な部屋とは逆方向の部屋に入った。そこは寝室のようで、敷いてある布団と桐の箪笥があるくらいだった。とりあえず、箪笥の引き出しを開けると綺麗な着物がたくさん入っていた。清楚な印象を受けるその着物の入っていた引き出しを見ていると着物と着物の間に何か硬いものがあることに気がついた。
その硬いものは朱塗りの櫛だった。よほど大事に使っていたのか、多少年代を感じるものの目立った傷は何処にも付いていなかった。少しふざけてその朱塗りの櫛を髪に当ててみたり、髪をすいてみた。髪の毛は櫛に引っかかることもなくスルスルと解けるようにすけた。
「なあ、おい…。」
後ろから聞こえてきたあの子の声に驚いて振り返ると、部屋の入り口からあの子が見ていた。私はそれまで自分が一人でやっていたことを思い出し、頬に熱が集まるのを感じた。恥ずかしくなってしまった私は、赤く染まった頬を見られたくなくて俯いた。
するとくすくすと笑う声がして顔を上げた。いまだ赤に染まったままの顔を上げると、あの子が笑っていた。
「…それ、そんなに気に入ったのなら貰っていけ。若い子に使ってもらえるのなら、その櫛も嬉しいだろう。」
あの子が笑う顔を初めて見た。くすくすと笑う姿が何となく子供のそれとは違った気がした。
「…貰ってもいいのかな。」
「ああ、持っていけよ。そうそう、探していたものが見つかったんだが、一人では届かないんだ。とってくれないか?」
「あ、うん。」
寝室の様な部屋から茶室の様な部屋へ移動すると、あの子は押入れの一番奥にある小さな葛籠の様なものを指して、言った。
「あれ、なんだけど届くか?」
子供の背丈では到底届きそうにないそれを見て、私は何も言わずにあの子にその小さな葛籠を取ってあげた。
「これで良いんだよね?」
と、あの子に確認するとあの子は大きく頷いた。私から葛籠が手渡されるとすぐさま葛籠を開けた。葛籠の中には小さな螺子が入っていた。あの子は小さな螺子を手に取ると私の手を掴み早歩きで移動を始めた。
次に着いた先は小さな子供部屋のような座敷だった。座敷には、鞠や副笑いや人形、千代紙で作った千羽鶴があった。
その中にこけしやお茶を運ぶからくり人形などがあったが私の目にはどれもかすんで見えるようだった。そのたくさんのものの中で一際美しいものが私の目を奪っていたからだった。それは金の鳥籠に入った一羽の金の小鳥だった。ぼうっとその鳥を見ているといつの間にかあの子が、鳥籠にあいている螺子巻き用の穴に螺子をいれて螺子を回し始めた。カチリと螺子が巻き終わったらしい音がすると、金の鳥籠が花が咲くように開き中にいた金の小鳥が飛び立った。
それを追うように走り出すあの子を見て、私も走り出した。
家屋の勝手口から出てきた私達はずっと走っていた。家屋を出たばかりの頃は家が何件かあったはずなのに今、回りは竹だらけだった。どうやら追いかけているうちに竹林に入ってしまったらしい。竹の間から見えるあの子は、まだ金の小鳥を追いかけているみたいだ。追いかけていた私達は突然拓けた場所に出て、足を止めた。どうやら此処は水汲み場のようで、大きな井戸がありその井戸の縁に小鳥は止まっていた。小鳥が井戸の近くにある木に止まったのを見て私は井戸の中を覗き込んだ。
それは一瞬だった。
井戸を覗きこんでいる私を、あの子が後ろから思い切り押したのだ。あまりに一瞬の事で体はそのまま井戸の中に落ちた。落ちていく私が最後に見たのは笑いながら、手を振るあの子の顔だった。
あれ、そういえばあの子の名前はなんだったのだろう。
ぴぴぴ、ちちち。
スズメの鳴く声で目が覚めた。今日の夢はなんだかとても疲れる内容だった気がする。覚えてないけど。カーテンを開け、窓から下を見れば黒い野良猫が酷くしわがれた声で鳴き、小さなスズメが太陽の光を浴びて金色に輝いていた。
END
これからもよろしくお願いいたします。