城主、その鬼の成り立ちを知りて。
出会ったのは、日の光を木々が覆ってひんやりとしている林の中。
傷だらけで幹に寄り掛かって休息をとっていたお前に声をかけた。女が行き倒れていると思ったのだ。
だが、開いた真っ直ぐな瞳は紅く、血の色をしていた。
その鬼の証は怖れ、忌み嫌われている。
そんな絶対強者の瞳が、その時は何かに怯えていた。
何故傷だらけだったのかは未だに知らない。いや、お前のことは知らないことだらけだな。
だから私は、お前のそばにいるのかもしれない。
☆ ★ ☆
「まぁた此処に来てたのか。城主様がこんな寂しい山の中に居て、平気なのかい?」
「あぁ、今は面倒事を引き受けてくれる有難い友がいるからな」
「友とやらも可哀想に」
少し高い木の上に作られた小さな家に帰ってきた女は、自分以外の存在に溜め息をついた。
動物の毛皮で作った暖簾を下ろして冷たい空気を遮断する。木で作った骨組みに毛皮を被せたり、床に毛皮を敷き詰めて防寒対策をしているが、お世辞にも暖かいとは言えない家。しかも入り口から入ってすぐの空間が唯一部屋と言える場所で、大の大人が二人寝転がることができる程度。角には女の着物が数枚畳まれているのと、入り口傍に男が履いてきたと思われる草履が置かれていた。つまり、狭い。
そんな場所で胡座をかいて大きな体を丸め縮こまっている男は、持参した書物に目を通していた。
いくらかつぎはぎされた着物は城の外で暮らす農民を思わせるが、これは単なる変装だ。実はこの辺りを納める城主、田口大雅なのだから、呆れてしまう。
女は汲んできた水を二人分の器に出し、男に無言で出してやりながら自分も向き合うように腰を下ろす。それにちらりと視線を移すと、男が顔を上げた。
目の下に隈が出来ている。どうやら疲れているらしい。色男が台無しだと女は思った。
目を手の甲で揉みながら、大雅が聞く。
「朝から狩りでもしてたのか?」
「いや、見廻りだ。最近、他国の動きが怪しいからな」
城主様は当然知ってるだろうが、と嫌み混じりに言えば、大雅は苦笑で返してきた。
「その話なら知っている。最近はずっとその話ばかりでな。疲れたから逃げてきた」
ちょっと匿ってくれと笑いながら言う大雅。
それを微妙な気持ちで女は見詰める。
女、名は伽凛と言う。
長く手入れの行き届いていない黒髪と浅黒い肌。膝丈ほどまでに破れた赤い着物を町人の様に帯を腰で結んで着ており、豊かな胸元が開きすぎなほど開いている。
汚れた素足も見れば、暴漢に襲われて逃げてきた女ともとれるが、その瞳がそうではないと言っていた。
血のように紅いそれは、鬼の証。
人を一瞬にして殺すことが出来る力を持ち、不思議な術を扱う。そんな危険な相手とこんな狭い空間で一緒にいて、怯えもせずむしろ寛いでいる。
もちろん伽凛に大雅をどうこうするつもりはない。
だが、それをこうも簡単に納得することなんてできるのか?
獅子と同じ檻に入れられて、大丈夫こいつは何もしないからと言われ、それを信じることなんてできるだろうか。恐らくはできない。
なのにこの男はそれをやっているのだ。ただの阿呆なのか、それとも余程肝が据わった奴なのか、未だに掴みきれていない。
いくつもの年月を一人で過ごしていた彼女にとって、大雅は物珍しく映り良い暇つぶしの相手といえた。
一挙手一動を見逃すまいと、水を飲みながら観察する。
すると、大雅は読んでいた書物を閉じて傍に置き、大きく伸びをして言った。
「少し横になってもいいだろうか」
「好きにおしよ」
「では」
そのままこちらに頭を向けて、横向きに寝転がった。顔は反対を向いているため見えない。
あの頭を一撃で勝ち割ることが出来るのになぁと物騒なことを考えつつ、伽凛は大雅を見つめる。枕は無いため、腕をその代わりとしているが寝づらそうだ。
じっと見ていると、また男が言った。
「寝物語は無いのか?」
鬼に寝物語をせがむ城主は、どこを探してもこの男だけに違いない。それに再び呆れながら返してやる。
「馬鹿を言うんじゃないよ。物語なんて知るもんか」
「そうか、では……そうだな。お前は初めから鬼だったのか?」
「あたしのことを知りたがるなんて、珍しいね」
「別に知りたがっているわけじゃない。ただ、鬼という存在に出会ったのはお前が初めてだからな。鬼というものがどうやって生まれるのか、興味が湧いただけだ。お前の親も鬼だったのか?」
確かに、鬼と出会うことなど普通は無いはずだ。人の中で鬼が共に生きることはできない。恐れられ、滅する対象となるからだ。鬼に妖力という力が備わっているように、人の中には妖力を封じ鬼を退治することができる者がいる。だから、鬼は見つかるとすぐに滅せられるのだ。
伽凛のように長く生きている鬼は妖力が強く、生半には退治されることはない。だが、そんな鬼が人と親しく喋るなんてことは普通はありえないのだ。当然、鬼の成り立ちなど知る由もない。
「……あたしは初めから鬼だったわけじゃない。遠い昔のことだが、人だったときもあったよ」
「……そうか」
「だけど、気がついたら鬼になっていた」
「気がついたら?」
そうだ、伽凛は鬼になるつもりなど無かった。鬼という存在すら知らなかった。
疲れて血まみれの体を洗うため川へ行き、水面に移った自分の顔を見て紅い瞳に気がついたのだ。それが何なのか、初めは分かりもしなかった。
「これはあんまり楽しい話じゃないよ?」
話が聞けるらしいことが分かると、大雅は体をこちらに向けて構わんと言った。
「……あたしはあんたが生まれるずぅっと前、人として生きていた。その頃はまだ、城も存在せず村同士が小競り合いをしているような、そんな時代だった」
食べるのに困ることもあったし、小競り合いに巻き込まれることもあったが、比較的平穏に暮らしていたと思う。
土地があり、家があり、人がいた。
田畑があり、山で狩をし、村人同士で分け合って食べていた。
「両親が疫病で死んでいたが、あたしには子供がいた。独りで寂しかったときに出来てしまった隣の家の男との子。その男は子供が出来たとわかった次の日に村を出て行っちまったんだけどさ。あたしはその子を生んだ。男の子だったんだ。生むときに一悶着あって村に居づらくなったあたしは、その子の乳離れをきっかけに村を転々とする生活に変えたんだが、村から村への移動中に夜盗に襲われたりして危険が常に伴っていた」
田畑の世話を手伝って食いつなぐその日暮らしの生活。村という集団意識が強い彼らに頼んで少しの間厄介になり、そのお礼に色々なことを手伝った。それなにり上手くやっていたと思う。
皆が寝静まった頃に男に襲われるなんてことも無くは無かったが、それは言わないでおく。因みに盛大に騒ぎを起こして夫婦喧嘩に発展させ、居づらくなったせいで村を出るというのがお決まりだった。
「子供が五歳を過ぎたころに立ち寄った村で暫くお世話になったとき、村の人が親切だったことと年配が多く子供を一緒になって可愛がってくれたこともあり、そこに定住することに決めたんだ。その頃は、まさかあんなことになるとは思いもよらなかったよ」
「あんなこと?」
「その村にはね。占い師がいたんだ。占い師の言葉で村の全てを決める、そういうところだった。だから村長っていう存在はいなかったのさ」
いつもニコニコとしている、優しい雰囲気の小さな婆さんだった。
「冬の初めにやっかいになり始めて春に定住を決め、季節が夏に変わったころ、その占い師が言った。これからかなり大規模な日照りが起こるって」
「ほぅ」
「日照りによって作物が育たなくなる。だから、お日様に贄を差し上げなくてはならないって」
「贄?」
「そう。その贄は幼い子供でなくてはならないって言い出したんだ」
「……」
「その時あたしは理解した。この村に若者や子供がいないのは、こういう理由だったんだって。当然あたしは拒否をしたよ。ふざけんじゃない、こんな村出て行くって」
小さな家まで村人全員がやってきて、あんたの子が必要なんだと口々に言った。
可哀想ではない、村の為に神の元へ行くだけだと。
わしらを助けられるのはその子だけなんて言われても、頑として断った。
「そんなことをして、日照りが起きなくなるはず無いじゃないか」
「その通りだな」
「でも、隙をつかれて子供は攫われちまった」
子供がいなくなったときのことは、今でも鮮明に思い出すことができる。
自分の子が。
可愛い坊やが。
居ないどこに何でいつの間に何故目を離した。
村中を、草むらを、木の上までも探した。けれど、見つからなかった。
「占い師の婆さんは、お前の息子は進んでお天道様のところに行ったんだと抜かしやがった。村人に聞いても知らないの一点張りでさ。村全体が狂ってたんだよ。漸く見つけることが出来たのは季節が二つ過ぎ去ったころだった。可哀想に、暗い洞窟に閉じ込められて逃げることも出来ずにただ壁を叩くだけだったんだね。干からびた姿だったけど、手がぼろぼろに剥けていた」
今でもたまに夢に見るその姿。
夏の間でもひやりとしていたであろう洞窟の中で、岩の隙間に背を預けて座っていた。
手足は細り、服はぼろ切れとなり、あちこち虫に食われて。
冷たくなった体は硬く、軽かった。
頬はこけ、目は窪み、髪が抜けてしまっていた。
でも、それは確かに伽凛の可愛い息子だと、首にかけていた首飾りが物語っていた。伽凛が木を彫って作った花に紐を通してぶら下げていた、手作りのもの。
見まがうはずがない。
「そのときあたしは復讐を誓った。その誓いのため、あたしは干からびた我が子を食べたんだ」
「食べた?」
「あぁ。焼いて骨までしゃぶりつくした。我が子の魂と共にあろうと思ったんだ」
狂っていると思われるだろうか。
チラリと大雅の顔を見ると真剣に話を聞いているようで、内心の動きなど分からない。
伽凛は淡々と続ける。
「そしてあたしは村人を一人残らず殺しつくした」
全員だ。
村に居た者の顔は全て覚えていた。
奴らを敵とし、夜の寝静まっている間に刃物で八つ裂きにしてやった。
「気づけばあたしの瞳は紅く染まり、鬼となっていた。そこからは一切歳をとっていない」
「……そうか」
「つまらない話だったろ?」
「いや、……すまなかった」
「謝るんじゃないよ。別にもう気にしていないし、後悔もしちゃいない。あたしの息子はあたしと共に生き続けてる」
そういって、伽凛は胸を拳で叩いた。
「あんたには感謝してるよ。居場所のない鬼に居場所と役割を与えてくれた。鬼として長く生きてきたが、今が一番楽しい。だから、気にするな」
今までは、人であった頃の息子との生活だけが楽しい記憶だった。それを想い、一人で過ごしてきた。
今その記憶が、少しずつ更新されている。
鬼となり楽しかったことなど何もない。常に気を張り、人かから逃げるように生きていた。人から恐れられる鬼だが、それ故に人を恐れてもいる。見つかれば滅する対象となってしまうからだ。
だがそれが、この変わった城主と出会ってから変わった。ただ他愛のない話をして、山を守り暮らしているだけだ。逃げることなく堂々と生活することができる。それが、伽凛の心に平穏をもたらしていた。
この状態がいつまで続くかは分からない。
けれどこの先、鬼としてどんな事があろうとも、この、何故か楽しい生活を思い出せばやっていける。
そんな気がしている。
屈託無く笑う伽凛を見て、大雅も笑った。
「お前がいると、心強い」
「そりゃそうだ、鬼だからね」
「そうだな」
と、そこで男が欠伸をかみ殺したのが分かった。
「少し黙って寝たらどうだい?」
「そう思って話を聞きながらもたまに目を閉じていたんだが……寝辛いな」
大雅が平らとは言いがたい床に文句を言う。毛皮を敷いているものの、小枝をまとめて束にしたものを組み合わせて作った床だ。鬼には良くとも人では休息をとるどころではないだろう。城の畳のほうが何十倍も寝やすいはずだ。
「だったらお帰りよ」
「苦労して逃げてきたんだ。もう少し休ませろ」
「今頃、城中くまなく探してるんじゃないかねぇ」
「ここなら誰も探しに来ないだろう?」
「あたしが居るからねぇ」
西側にあたるこの山には、全くといっていいほど守りがない。
この山の西の麓から向こうは他国となるが、この山を伽凛が守るという約束で棲んでいるのだ。
鬼の棲む山にわざわざやってくる家臣は居ない。
「鬼は内、福も内。良きかな良きかな」
「あんたの家臣が可哀想になってきたよ」
「そうか? そうだ、ちょっと膝を貸せ」
「は? ちょっと……」
寛いでいた伽凛の膝に頭を乗せて、満足したかのように仰向けに寝てしまった大雅。
そして、伽凛が抗議をする間もなく静かな寝息が聞こえてきた。
「……ったく。鬼の膝を枕にするなんざ、いい度胸だよ」
小声で呟き、傍にあった自分の服を大雅にかけてやる。あんな話をしたあとなのに、変わらず傍にいようとする奇妙な男に苦笑してしまった。
暫くは起きそうにない。
仕方がないなと、大雅が読んでいた書物を手に取り開いた。暇つぶしくらいにはなりそうだ。
膝の上にある頭を軽く撫で、書物を読み始めた。
節分ということで、鬼をテーマに書きました。
城主様と鬼はまだまだ書きたい二人なので、気が向いたらシリーズとしてあと数話書きたいです。




