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第一章 時計の話 ②

 その夜。手近なリストランテでしばらくあれこれと悩み抜き、そのまま夕食までとった後、リズはフォーセッタ時計店に忍び込んでいた。

 なぜいきなりそんなことをしているのかといえば──とりあえず修理を試みると決めはしたものの、少女には必要となる設備がなかったからである。工具は修行先から愛用のケースに詰め込んできたが、旋盤などの重たい機器は如何ともし難い。また、研磨だけで修理が済めばまだしも、部品交換となったら当然予備のパーツが必要となる。路上の靴磨きとは違うのだ。どうしたって『拠点』がいる作業なのである。

 もちろん、受け取った金貨を元手にして他の職人に頼むことも考えた。しかし、あの金貨を見せた時点で物凄く怪しまれそうだし、青年との約束(?)を反故にするような気がして踏ん切りが付かなかったのだ。

「よかった。中のものはまだ残ってるみたい……」

 リズはランタンで店内の暗がりを一通り照らして、ほっと息をついた。差し押さえの時点で機具類が持ち去られていたらさすがに諦めるしかなかったのだが、そこまで迅速ではなかったようだ。簡単に裏口から忍び込めたことといい、とりあえず張り紙だけしておいて今は処分方法を検討している最中なのかもしれない。

 店の中には他にも、祖父がストックしていた酒が多数並んでいた。当代の国王の名を冠した『ウィシュタル』や、西方の寝物語の美姫にちなんで名付けられた『ヴィクトリカ』のような高級酒もちらほらとある。無駄に綺麗に並べられているせいもあってか、時計屋なのか酒屋なのか判然としない、なんとも奇怪な雰囲気がそこにあった。

(でも、おじいちゃんらしいお店だな)

 リズは三つある作業台の中から一番小さいものを選んで、工具とセインから渡された時計とを並べた。外から気付かれないように明かりには気をつける必要はあるが、幸い店内は棚が乱立しており、ランタン程度であれば問題ないように思える。もちろん精度を求められる作業は出来ないので、簡単な故障ならいいけど──と時計の蓋を取り外したリズは、そこでまた愕然とする羽目となった。

「なに……これ」

 それ以上、言葉にならない。

 時計の中は、複雑を通り越して複雑怪奇と呼びたくなるような有様だった。手の平サイズの外装の中に、ざっと見ただけでも百以上のパーツがひしめきあい、今まで見たことも無いような仕掛けがそこかしこに取り付けられている。リュウズ(ゼンマイを回すねじ)から順に動力の流れを辿っていくことすら困難だ。一度分解してみないと故障箇所の特定はとても不可能なように思えるが、はたしてこれを分解して元に戻せるだろうか。

 それに、この時計にはおかしな点があった。外装だけでなく、中の歯車の磨耗具合からも明らかなのだが、これは相当な年期物だ。にも関わらず、リズも業界紙でしか見たことがない最新の精度保持機構が組み込まれているのである。

 機械式時計は非常に繊細な機器だ。傾けただけでもその重心の変化によって僅かな時刻のずれが生まれる。だがセインの時計には、どのように時計を傾けても正しく針が進むようにするための複雑な機構が備わっていた。トゥールビヨンと呼ばれるこの技術は、ほんの一~二年前に世に出たばかりのものであり、かつ、その複雑さゆえにこの機能を持つ時計は極めて値が張る品となっている。技術的にも金額的にも、リズのような新米の手に負えるものではないのである。

「うあー……」

 リズは椅子の背もたれに寄りかかって天井を見上げた。どう考えても自分のような若造が請け負っていい作業ではない。然るべき、それこそ名工と称えられるような職人の受けるべき仕事である。

「でも、なんなんだろうこれ……古いのか新しいのか全然わかんない」

 リズは天井を仰いだまま時計を持ち上げ、蓋の裏側に刻まれている銘に目を向けた。

「『クォランスィネ』? ……聞いたことないや。変わった名前だけど、どこの国の時計なのかな」

 その銘には異国の響きがある。それも、この大陸内ですらない遥か遠方の。

「ということは、部品も統一規格じゃない可能性高いし……厳しいなー」

 あらゆる要素が、これに手を出すべきではないと告げていた。だが、諦めて時計を机に置こうとしても、その寸前でなぜか手が止まってしまう。本当はリズも気付いていた。やっぱり少女には悔しさがあったのだ。どんな経緯であれ、これが生まれて初めて請け負った仕事だったのだから。

(おじいちゃんならあっという間に直しちゃうんだろうな)

 祖父が使っていた椅子に座って、けれど実力は遠く及ばなくて。

 否応なしにそのことを実感させられたリズは、時計を見つめるばかりのまんじりともせぬ夜を過ごしたのだった。


 ◇


 明けて翌朝。

 リズは、店の前でセインが現れるのを待っていた。

 修理するかどうかはさておき、青年と一度話してみる必要があると思ったからだったのだが、さてこれがいつまで待てば良いのか見当もつかない。そして手持ち無沙汰でぼうっと突っ立っていることがいつまでも出来るような少女でもない。早々に青年との再会を諦めたリズは、昨日のリストランテに入ってウェイトレスに手近な時計店の場所を聞き出した。

 時計の修理をその店に頼もうというわけではない。まだそこまでの踏ん切りはついていなかった。ただ、『クォランスィネ』という銘柄についての情報を得たかったのだ。

 だが、リズが向かった時計店の店主の口から語られたのは、いささか予想外の内容だった。

「『クォランスィネ』? ああ、王城前のレンガ道にある雑貨屋のことだね。まあ雑貨屋といっても殆ど商売はしてないらしいけど。あそこはとにかく店主が変わっていてね。なんと人間じゃないんだ」

 どういうことですかと問うリズに、まだ若い店主はもったいぶったようにこう告げたのだった。

「あそこの店はね──自動人形が店主をやってるんだよ」


 ◇


 はっきり言って、リズは先ほどの店主の言葉を信用していなかった。

 これはむしろ当然だと言える。自動人形という言葉はあったが、それが指し示すのはせいぜいがゼンマイで太鼓を叩くおもちゃや、オルゴールを中に仕込んで口元から曲を奏でる演奏人形である。言うまでもなく、それに人間の代わりなど勤まるはずがない。はじめは店先に置いた飾りの人形か何かをそう言っているだけだろうと思ったものの、どうやらそういうことでもないらしい。

 リズはまあいっかと時計店を辞し、そのままくだんの店を訪れることにした。どのみち他にやることもないし、青年を待つよりはよっぽど有意義な気がしたのだ。

 『クォランスィネ』はすぐに見つかった。周囲の景観から浮いているとまではいかないが──そもそもこのからくりの都には見た目からして奇妙な建物が多い──それでも、異様に目立つ外観をしている。ざっくりと表現するならば、ファンシーなきのこ型。外壁がやや丸みを帯びているのと、全体のサイズに比して屋根がやけに大きいためにそう見えるのだろう。ただしきのこは手前の雑貨店を収めた部分だけのようで、その後ろには角ばった建物が併設されていた。あちらは倉庫や居住空間なのかもしれない。

 リズは木のドアの上部にガラス窓がはめ込まれていることに気付き、思いきり背伸びして中を覗きこんだ。こう言ってはなんだが、建物の形が際立って奇妙だったので中に入るのを躊躇してしまったのだ。

 窓からは、店内が一通り見渡せた。外装とは異なりオーソドックスな作りのようで、手前にはいくつかの陳列棚が並んで雑多な品々が収まり、奥には横長のカウンターが伸びている。店内に客の姿はないようだ。

 カウンターの中には一人の女性がいた。リズは窓枠に手をかけて顎を持ち上げ、ガラス越しにその姿に目を凝らす。

 中にいたのはまだ若い女性だった。二十歳には届いていないだろう。折り目正しく椅子に腰掛け、心持ち顔を上向けて目を閉じている。

 何をしているんだろうとよく見てみれば──女性は何もしていなかった。あえて言うならば、

(ひなたぼっこ……?)

 カウンターの、リズより向かって左側には大きめの窓がある。そこから差し込む日差しを横顔に受けて、女性は気持ちよさそうに口元を緩めている。眠っているわけではないようで、時折調子外れの鼻歌らしきものが漏れ聞こえてきた。

 なんというべきか──見ている方の心まで緩んでしまいそうなのんびりした佇まいだった。客が来ても気付かないんじゃないかとさえリズは思う。店番を別に雇っているという話はなかったが、本当にあの人が店主なんだろうかという疑念が沸いた。

 その時だった。

 てっきり手前に引くタイプと思っていた扉が、リズの体重を受けて奥へと開き始めたのである。

「うわ」

 なかばぶら下がっていたリズには踏みとどまることが出来ない。

「わ、わ、わ」

 そのまま、大きな音を立てて扉を押し開け、ばたんと店内に倒れこんでしまった。

「ひっ!?」

 うつぶせになったリズの頭の方から、女性の小さな叫び声が聞こえた。

 あいたたた、と呻きながらリズが身を起こすと、女性はカウンターの端っこで身を縮め、涙目になって少女を見ていた。ほんの少し前までの平和そのものな様子は綺麗さっぱり失われ、強盗に襲われでもしているかのような有様である。顔を見ているだけでなんだか自分がひどく悪いことをしてしまったような気分になる。 

 突然の大音に驚くのは無理ないし、悪いことをしたなとリズも思うが、それにしたって大げさな反応だ。スカートの裾を払ってからリズは「あの」と声をかけた。

「ひうっ」

 女性は今度は反対側の端へダッシュ。しゃがんでカウンターに隠れながら、そろそろと持ち上げた頭から潤んだ瞳だけがこちらを向く。

 なんなんだろこの人、とリズも戸惑うばかり。気が弱いのかなとは思ったが、この性格でどうやって商売が出来ているのか非常に不思議だった。

「……うーん」

 リズは背負っていたかばんから故障品の時計を取り出して、女性に差し出した。とはいっても、三メートルほど離れているので当然相手の手は届かない。ただ、興味を惹くことは出来たようで、泣き顔のままなりに女性の目が時計に固定された。

(なんだか猫を餌付けしてるみたい)

 リズ自身もその小さな体躯のせいでしばしばハムスターなどに喩えられるが、少女の場合はたいてい前に別の言葉がつく。主に「やんちゃ」だの「おてんば」だのといった不本意ながらも納得せざるを得ないような言葉が。

 対してこの女性は、改めて見れば背もすらりと高く異常なほど整った容貌なのだが、振る舞いだけが裏切っている印象だ。先ほどの能天気に緩みまくった顔といい、今の怯えてぶるぶる震える様子といい、リズ以上に小動物的である。

「あの……」

 とにかく、怖がらせないように、逃げられないように。

 リズは、おそるおそる口を開いた。

「この時計について聞きたいことがあるんですけど……お話させてもらっていいですか?」

 リズの言葉に、女性はわずかな反応を見せた。しゃがんだままカウンターに手をかけて、目をリズと時計の間で幾度も行ったり来たりさせる。何か言いたくなるのをぐっと堪えて、リズは辛抱強く女性の動きを待つ。

 そして、ようやく女性がちゃんとした言葉を発した。

「その時計……うちのですか?」

 澄んだ声だった。リズが押し開けてしまった扉にはベルがつけられていたが、ちょうどその音に近い。リズはふと、この人の笑った時の声が聞いてみたいと思った。

「うちの、っていうのがどういう意味なのかあたしはまだわからないんですけど、この時計、ここと同じ名前が彫られているんです。『クォランスィネ』……これは、このお店で取り扱っていた品なのかなーって思って」

 女性は、ここまで聞いてようやく状況を察し、落ち着くことが出来たようだった。立ち上がって胸の前で両手を組み、怯えでなく興味の眼差しで時計とリズとを交互に見る。

 それが幾度か繰りかえされたのち、女性はこんなことを言った。

「……はい。それはたぶん、私の……『妹』だと思います」


 ◇


「それで、さっきの妹って……?」

 カウンターに並ぶ椅子に座ったリズは、改めて先刻の疑問を女性にぶつけた。

 スィーと名乗った女性は、リズに害意がないとわかったためか、多少緊張を解いた様子で「はい」と応じる。そうしていると元々の造形の良さが手伝って気品すら感じさせるのだが、強烈だった最初の印象を上書きするには暫く時間がかかりそうだった。

「この店は、マスター……アルマンドという職人が製作した品々を管理しています。それら一連の作品につけられた銘が『クォランスィネ』。表の看板にあるとおり、店の名前ともなっています。といっても、変わったものばかりなのでそれらは売りに出していませんけれど。店内においてあるのはどこにでもある普通の雑貨なんです。殆どの『クォランスィネ』は裏の倉庫に保管しています」

「ふうん。この銘柄の専門店、ということなんだ。あ、売り物じゃないってことは保管庫って言った方がいいのか」

 リズはカウンターの裏から続いている廊下を覗き見たが、途中で暗がりとなっていて奥の様子はわからない。あの先に倉庫があるのだろうか。

「その、アルマンドさんって人は?」

「かなり前に亡くなりました」

「……そっか、ごめんなさい。じゃあスィーさんはその子供なの?」

「はい」

「ふむふむ」

 頷きながら、リズはスィに軽い親近感を覚えていた。家族の後を継いで店を持つ──それはこれから少女が歩もうとしている道だからだ。

「じゃあ、やっぱりスィーさんがここの店主さんなんだね」

「はい」

「さっき、自動人形が店主やってるって話を聞いたから不思議だったんだけど、やっぱり嘘つかれてたんだあたし……むうう」

「人形ですよ?」

「え?」

 スィーはちょんちょんと自分を指差した。

「私、人形です。ほら」

 言って、その場でくるりと回って背中を見せる。今まで気付かなかったが、そこにはたしかに大きなゼンマイネジがあって──

「え、え、え」

 リズはひどく困惑している自分に気付いた。思考がまるで追いつかない。昨日から驚くようなことばかり続いているが、この時のそれに勝るものはなかった。

 だが、少女はその驚きを、声の大きさで表現するしかなくて。

「えええええええええええええ!?」

「ひいいっ!」

 そして物凄い勢いで店の裏へ逃げていったスィーが出てくるのを、カウンターに座って延々待つはめになったのだった。


 ◇


「驚きました……」

「それはこっちの台詞よ……」

 数時間後、ようやくこそこそと顔を覗かせたスィーをなんとか引きとめて会話に持ち込んでから、リズはぐったりとカウンターに突っ伏した。

 長すぎる待ち時間の間に混乱は収まっていたものの、まだ信じられない気持ちの方が強い。たしかにスィーの顔の造作は人形めいた美しさを備えているが、物語世界でもない限り人形と人間の隔たりは大きい。現実的には有り得ないはずの話なのだ。

 だが、スィーに嘘を言っている様子はない。あとは本人がそう思い込んでいる可能性が考えられるが、それをこの場で問い質してどうなるものでもない。

 背中のねじを引っこ抜いてみたい誘惑には駆られるが──何が起きるかわからないし、いずれにせよそれをしたらスィーは二度とカウンターに姿を見せてくれなくなりそうでもある。

 そんな何やかやを考えた末に──リズは悩むことを放棄した。

 もともと、あれこれと一つのことにこだわり続けるような性格ではないのだ。このリズという少女は。

「それで、時計の件に戻るんだけど」

「あ、はい、そういえば話の途中でしたね」

 訪れたのは朝だったのに、既に時刻は昼を回っている。待っている間にリズは近くの出店でサンドウィッチを買って昼食を済ませていた。この人はお昼どうしたのかなと頭の隅で考えながら、リズは事情を説明する。

 一通り聞き終えたスィーは、なるほどーと間延びした声で相槌を打った。

「その時計は間違いなくマスターが製作したものだと思います。ですから、倉庫を探せば交換用の部品も見つかるかもしれません。ただ、私はあくまで管理人なので、時計の構造にはあまり詳しくありません。もちろん、ある程度は知識を有していますが……修理となるとお役に立てないと思います」

「そっかあー……そうだよねー……」

 部品については、祖父の店を探せば見つかるかもしれない。だからリズが欲しかったのは時計の構造知識だったわけだが、残念ながらそう上手くは事が運ばないようだった。

「リズさんは、ご自分でこの時計を直すおつもりですか?」

「リズでいいよ、あたしの方が年下なんだし。まあ、出来るならそうしたいと思ってたんだけど、無理かなー。駄目かなー」

 あーあ、とリズはカウンターに頬をつける。ひんやりとした感触と樫の木のにおいが心地良い。

「ですけどリズ。この時計を修理出来る人間はとても限られています。それはさまざまな意味で、です。貴方のお爺さんのクラウス=フォーセッタさん以外に、私はそれが可能な方を何人か知っていますが、残念ながら皆さん現役を退かれていたり他国に移られたりしています。ですから『クォランスィネ』の管理人として、私はリズ、貴方に修理をお願いしたいと思います」

「でも、あたしだって修理出来るような腕前じゃないよ?」

「いえ」

 スィーは不思議なくらい確信めいた動きで首を振った。

「貴方はクラウスさんに連なる血縁の方です。それならばきっと。私は人形に過ぎませんが、そうした人の繋がりをずっとこの身に感じながら時を刻んできました。ですからお願いします。どうか『妹』を──」

 スィーは深々と頭を下げた。リズは慌てて席を立ち、顔を上げてよと言う。どうしてそこまで、という気持ちがあった。いくら管理人とはいっても、自分とは関わりのない流れで偶然迷い込んだ修理の話に過ぎないのに。

 けれどリズは、こんなことをされて断りきれるような少女ではない。

 少女は改めて時計を眺め、やがて大きくため息をついたのだった。

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