第一章 時計の話 ①
照りつく日差しの下、金槌の音が高く鳴り響いている。
カン、カン、と甲高く響くそれは、通り沿いの酒場の屋根から発せられているものだ。
見上げてみれば、酒場の主人らしき男が煙突そばに陣取り、何やらハンマーを振るっている姿に気付くだろう。
だが結構な騒音にも関わらず、通行人の中で彼に気を払う者はいなかった。
なぜなら、彼らにとってこうした音は日常のものだからだ。
四六時中、どこかしこでトンカントンカンと響く街なのである。いちいち気にしていては身が保たないし、苦情でも言おうものなら、街ぐるみで追い出されかねない。
産業立国ローゼリア。職人大国ローゼリア。
北に海、南に山脈を抱くこの辺境国の民は、その箱庭的立地のためか、一風変わった気質を備えている。
それは、職人気質と──発明家気質。
日常で不便が生じた際、彼らはその解決策を他人に求めない。自分で何やら道具を作り出し、対処しようとするのである。
勿論これは悪いことではないのだが──物には限度というものがある。国の至るところに用途不明の発明品が溢れかえり、通りの瓦斯灯が壊れたとみるや通行人同士で誰が修理するかのポーカー大会が始まるとなっては、これは流石に行き過ぎと言う他ない。
第一王子フォグ=ミュラー=ローゼリアなどは、この状況を憂慮し、次々と政策を打ち出している。国家としては職人の技術を体系化してそれぞれに権威付けを行ない、引いては他国の職人を含めた業界全体をコントロールしていきたいのに、誰彼構わず物を作って直してとやられては、権威も何もあったものではないからだ。
しかし、酔狂な人柄で知られるウィシュタル国王や、第二王子フライゼ=シンク=ローゼリアにこの状況をむしろ好む節があるためか、第一王子の政策は効を奏していない。
他国などは、諧謔を篭めてローゼリアのことをこう呼ぶ。
曰く、おもちゃの国。
曰く、からくりの国。
その王都ゼフィールの片隅から、この物語は始まることとなる。
◇
ゼフィールには、二十本近くのメインストリートがある。それぞれにはかつての名工や発明家の名が付けられ、通りに並ぶ店舗はおおむねその人物に関連する分野の品々を取り扱っている。たとえば印刷機を発明したランキンの名を冠した通りには、製本所や本屋が軒を連ねている、といった具合だ。
そして今。グレッグ通り──伝説の時計職人グレッグ=マーロウの名だ──の片隅にある『フォーセッタ時計店』の前に、呆然と立ち尽くす少女の姿があった。
年の頃なら十二か十三か。癖の強そうなブラウンの髪をうなじで一括りにまとめた、快活そうな少女である。
リズ=フォーセッタ。名が示すとおり、この店の縁者であった。彼女は店主である祖父の訃報を聞いて、急ぎ修行先の町ロックワーズから駆けつけたのだ。
同国内とはいえ王都とロックワーズの行き来には馬車を乗り継いでも数日かかる。商店組合による葬儀は既に終わっており、リズに特別何かする必要があったわけではない。
しかし、両親は酒好きがすぎる祖父と大喧嘩の末に絶縁状態にあり、首都から遠く離れた地で農業を営んでいる。そちらの来訪は期待出来ないから、リズが来なければ祖父は肉親の誰にも見送られないことになってしまう。
加えて、リズには店を訪れるもう一つの理由があった。
少女は祖父の遺言を聞いてしまったのだ。
まだ電話機の発明されていない世界である。伝書鳩によりゼフィール商店組合からリズの師のもとに届けられた手紙には、「店のことを頼む」という祖父の言葉が記されていた。
もとより、時計職人として名を馳せた祖父に憧れて、幼少のみぎりより修行に励んでいたリズである。突然の訃報による悲しみが一段落するとすぐに、小さな体にいっぱいの決意をみなぎらせて師匠に詰め寄った。老齢の師匠はその時なにかもごもごと口を動かしていたような気がするが、リズは、あたし行きますと宣言するやとって返す勢いで荷物をまとめ、手紙を受け取って実に三時間後にはゼフィール行きの乗り合い馬車に飛び乗っていたのである。
だが、いざ祖父の店にたどり着いてみると──
「──ど」
リズは叫んだ。
「どういうことよ、おじいちゃん────!?」
周辺の通行人が驚いてリズに目を向ける。けれども少女にはそれどころではない。がっくりと膝から屑折れ、両手をついて肩を震わせる。悲しみではなく、怒りに。
時計店の降りたシャッター。そこには大きく張り紙がされていた。
──『差し押さえ』。
「店を頼むったって、もう潰れてるんじゃない……」
祖父は有名な職人だし、死ぬ寸前まで現役だった。そんなに収入が無かったはずはないのに、死後即座にこの扱いというのは異常だ。
けれど、リズには心当たりがあった。つまりなぜこうなったのかという理由だが──
「酒好きにもほどがあるわよ……」
リズはほろほろと泣いた。やっぱり悲しいのではなく、情けなくて。
祖父の酒好きは桁外れのものだった。そもそも死因が急性の中毒だったというから始末に負えない。本人が生前から「わしはこうやって死ぬ」と嘯いていたらしいから大往生という他ないが、ここまで財産をつぎ込んでいたとはリズも想像していなかった。
「うう、おじいちゃんのばか。どうしろっていうのよぅ」
今にして思えば、師匠はこのことを言おうとしていたのかもしれない。だがもう手遅れだ。少女ははるばるゼフィールまで来てしまっているのだから。
それでも、やはりこのまま戻るしかないのだろうかとリズが諦めの境地に達しかけた時、ふと隣に人が立っていることに気付いた。
その人物──人の良さそうな顔の青年だった──は、ひどく困惑した顔でフォーセッタ時計店を見つめていた。少し前のリズとまったく同じ様子だ。なんだか他人のようには思えなくて、少女はその横顔を凝視してしまう。
「参ったなあ。困ったなあ。どうしようかなあ」
青年はぶつぶつとそう呟くばかりで、リズの視線にも気付かない。やけに頼りなさそうな人だなという印象を抱きつつも、リズはその顔の前で手をひらひらさせながら青年を呼んだ。
「あの!」
「うわ、びっくりした! な、なんだい、お嬢ちゃん?」
「このお店に何か用事があったんですか?」
「ん? うん、そうなんだ。ちょっと時計の修理をお願いしたくてね。でも来てみたらこの有様ってわけ。君は?」
「あ、ごめんなさい。あたしはリズって言います。リズ=フォーセッタ。ここはお爺ちゃんのお店、だったん、です、けども……」
リズは『差し押さえ』の札に目を向けて、情けなさそうに眉尻を下げた。その視線を追った青年は、うーんと唸ったのち、手のひらをリズに向けた。
「……何か事情がありそうだね。どうかな、ここで立ち話続けるのもなんだし、カフェに行って話をしないかい?」
◇
青年はカフェへの道すがら、セイン=フェリクスと名乗った。頼りない見た目のわりに格好良い名前だなあとぼんやり隣を歩く横顔を眺めていたら、何か勘違いされたのか妙にぎくしゃくした歩き方に変わる。考えてみればナンパされたような状況だけど、この人はそういうこと出来ないに違いないと内心苦笑いするリズだ。
手近なカフェに腰を落ち着けてから、リズはこれまでの事情をかいつまんでセイン青年に話した。さすがに祖父の死因については酒が原因とも言えず、適当に病気だったことにしたが、特に疑われる風でもない。
「じゃあリズ──ちゃんも時計職人なのかい? こんな小さ──若いのに」
「出来れば呼び捨てで……。それと小さいのも自覚してるから、だいじょうぶ」
背が低いリズは実際の年齢より若く見られることもたびたびあった。十歳くらいに見えることもあるらしく、本人なりに成長を胸に期してはいるものの、神様にはなかなか微笑んで貰えずにいる。
「あたしが時計職人になりたがってるって聞いたお爺ちゃんが喜んじゃって。友達の職人にけっこう無理やり弟子入りさせて貰っちゃったの。それが五年くらい前の話かな」
当然そこで両親とひと悶着あったわけだが、その時は祖父とリズが押し切った。この時代、機械式時計の職人の社会的地位は高かったし、祖父も人間的に多少問題があったものの、名を馳せた職人だったのだ。父もいちどきは目指したという道だから、ある程度理解を得やすかったというのもある。
もっとも、祖父に直接師事することまでは認めて貰えなかったため、ひとりロックワーズの町で修行する羽目になったわけなのだが。
「へええ。なら、もういっぱしの腕前になってるんじゃないか?」
「どうかなぁ。だといいなぁ」
リズはティーカップを脇において、テーブルに置いた腕におでこを乗せた。初対面の青年相手にだらしないと思わなくもないが、暢気なセインの顔をみているとこっちも気が緩んでしまう。
「でも、時計の修理はたしか三年くらいで一通りは出来るようになる世界じゃなかったかな?」
「くわしいね、セインさん」
リズは伏せた顔を九十度ほど回転させて、横目で青年を見上げた。
「まあね。少しかじったことがあるんだ」
「言うとおり、もう基本は終えてるよ。しかも専任の師匠のもとでの住み込み修行だったから、二十四時間修行漬けだったし。でも、修行中に扱ったのはせいぜい二~三年前の型のやつだったから、最近のについていけるかわかんないんだ」
時は機械式時計が華やかなりし時代。各地の名匠が様々なギミックや意匠を凝らした時計を次々と生み出していた。もはや宝石と呼ぶに相応しい超複雑時計もあれば、数百年の時の運行に耐えうる永年時計も考案されている。そんな日進月歩の世界にリズは足を踏み入れているのだ。
「ならさ」
セインがふと思いついたように懐から時計を取り出した。
「これ。君のお爺さんに直してもらうように、って言われて持ってきたものだけど、どうだろう、君がこれを直してみるっていうのは」
「ええー!?」
リズはがばっとテーブルから顔を起こした。
「あたしまだ店も開いてないひよっこだよ?」
「でも、聞いた限りだともうじゅうぶんな修行を積んできたみたいじゃないか。それにほら、見ての通りこの時計はかなり古いものらしいから、最新技術がわからなくても大丈夫だろう?」
たしかにセインの時計は外蓋を見ただけでもそれとわかる年期物だ。幾度も研磨が重ねられたのか正確な年代は推定できないが、どんなに小さく見積もっても十年以上の歳月を経ているものだとわかる。
「あれ?」
ふと、リズは首を捻った。
「どうかしたかい?」
「あ、ううん。大したことじゃないの。さっきのセインさんの『直してもらうように言われて──』って言い方、なんか誰かからの頼まれごとみたいな感じだなーって思っただけだから」
「ああ、そうだよ? そもそもこれ、僕の時計じゃないし」
「は?」
「僕は使いを頼まれただけなんだ。これは父さんのだよ」
「なら尚更あたしなんかが扱っちゃまずいじゃないのよ!」
「平気平気、なんとかなるよ。それに僕はフォーセッタ時計店で直してもらえと言われてきたんだ。だったら『フォーセッタさん』に頼むことに何の不都合もない」
「それ、お爺ちゃんの腕前見込んでってことじゃないのよぅ」
リズは頭を抱えた。いっそこの場からいきなり全力で逃げ出そうかと思ったが、カフェの店員に食い逃げと思われて追っかけられそうなのでそれも出来ない。かといって目の前でにこにこしているセインからは、どう言っても断りきれそうも無い気がする。青年にはそういった変な人徳があるようなのだ。
突っ伏して唸るリズを尻目に、セインは勝手に話がまとまったものとしたようだ。満足げな顔で隣国産の茶葉に舌鼓を打っている。その妙にさまになっている姿が横目に入ってきて、リズとしては腹立たしいことこの上ない。
せめて一言物申してやろう、と少女は声を発しかけた。だがその直後、唐突に青年の手が伸びてきて口を塞がれてしまう。
「むぐ!?」
いきなりなんなのよ、と非難がましい目を向ける。その時リズは、セインの様子ががらりと変わっていることに気付いた。
「ご、ごめん、ちょっとこのまま、静かに」
なぜだかはわからないが、青年は額に汗を掻きながら小声でそんなことを口にした。背をかがめて、やけにおどおどした様子である。その目が店の出口の方に向けられていたので、リズもつられるように視線の先を見た。
扉は開け放たれていたため、出口からは前の通りも見渡せる。賑やかなからくりの都の、賑やかなメインストリートである。そして流行の最先端の場所でもある。垢抜けた服で颯爽と歩く女性の横を、怪しげな器具を体に巻き付けた白衣の男が駆け抜けていったりなどしている。
だがそんな雑多な景観の中ゆえに、かえって目立つ存在がいることにリズは気付いた。
それは、数人の男たちだ。皆一様に逞しい体つきである。それだけではない。全員が同じ服を着ているのだ。なんの味気もない、灰色一辺倒の上下服。極端に地味な服装のため、かえって周囲から浮いている。
あれが、例えば鎧の下に着込んだものであれば違和感はないが──街の兵士がわざわざ鎧を脱いで人の捜索を行なうだろうか? 仮にそうだとしたら、その理由とはどんなものだろう。──思いつかない。やっぱりもっと怪しい身元の集団なのだろうか。
リズがあれやこれやと考えているうちにも、男たちは幾度も店の前を通り過ぎていた。同じ顔の男が戻ってきたりもしている。それだけで彼らが何かを探していることがわかる。
そして、身を縮こませている青年がここに一人。
(この人、何者?)
リズは動物的勘で男たちの目的がセインであることを察し、口を塞がれたまま彼を見上げた。だが青年は外の連中に気を取られてまったくリズの視線に気付かない。試しにむぐーと唸ってみた。もごもごと口を動かしてみた。反応なし。
いい加減息苦しくなったリズは、セインの手のひらを内側から思い切りかじった。
「痛──もが!?」
叫びかけた青年の口を、今度はリズの手が塞ぐ。それから声を落として苦情をぶつけた。
「いつまで塞いでんのよ!」
「むぐ……だ、だって大声を出されたらまずいから」
「なんであたしが大声出すのが前提になってるのよ。何が起きてるのかもわからないのに。というか、何なのあの人たち。セインさんて追われてるの?」
「う、うーん、まあ、当たらずとも遠からずというか……」
あからさまに言いたくなさげな様子に、リズは大きくため息をついた。
「はあ……もういいよ。これだけがやがやしてたら、普通の客のふりしてればそうそう見つからないだろうし、やり過ごしてから考えよ」
と言って何気なく外を見た途端、リズは男たちの一人とばっちり目が合ってしまった。
「あ」
「ど、どうしたんだい?」
セインは通りから背を向けているため、男たちの動向がわからない。リズは冷や汗を垂らしながら、あはは、と頬を掻いた。
「なんか……怪しまれたみたい。こっち見て話してる」
「なんだって!? ど、どうしよう、どうしよう?」
「どうもこうも」
明らかに逃げるしか選択肢のない状況だった。けれど、セインがあの連中から上手く逃げおおせることが出来るようには思えない。
仕方ないなあ、とリズはため息を吐いた。
「セインさんは裏口から出て。あたしがあいつらの目を引くから」
「ど、どうやって君が?」
「いいから。あたし、こういうのは得意なんだよ」
「けど──」
セインはそれでも迷っていたが、とうとう男たちが店に踏み込んできたのを見て、決めたようだった。
「……うん、わかった。情けないけど、君を信じるよ。それと、この時計は持っててくれ。修理の前金も一緒に渡しておく。それじゃ!」
「あ、ちょっと、お金は後で──ってもう来たし!」
リズは慌ててセインを追い立てながら、ポケットから時計修理用のワイヤーを取り出した。大急ぎでそれを隣のテーブルの足に巻きつけ、反対の端を持って元の椅子に何食わぬ顔で座る。
店に踏み込んできた男たちは、セインの後を追おうとした。幸いリズには注意を払わず、テーブルの横を通り過ぎようとする。その瞬間を狙って、少女はワイヤーを引いた。
床に垂れていたワイヤーが持ち上がり──うまいこと先頭の男の足が引っ掛かる。
男を転倒させるまでは出来なかった。しかし隣のテーブルがひっくり返り、載っていた料理が盛大にぶちまけられた。男の体にも熱せられたスープやら臭いことで有名な沿海魚の塩漬けやらが降りかかる。後に響くは罵声と悲鳴。それから周辺を巻き込んでの大混乱。
(ごめんなさい!)
リズは店の人や他のお客さんなど色々な人に心の中で謝った。だが、悠長にはしていられない。男たちの何人かがこちらを向く。自分の仕業だと気付かれたのだ。
リズは身を低くしてカフェの一般客の中に飛び込んだ。
幾つかのテーブルの間をはしっこく移動して男たちを煙に巻き、店外へ躍り出る。
ちらりと背後を見た。
追ってくる者が一人。
地の利は相手にある、けれどハムスターのごとくちょろちょろと逃げ回るのは彼女の得意技だ。
通りの人波に紛れ、裏道を迂回し。
時には商店の中を通り抜け、出てきた時には服を着崩し髪を解き。
そうして二つの建物の間の暗がりに身を滑り込ませた少女は、追っ手の気配が途絶えたという確信を得て、ようやく人心地が着いた気分になったのである。
「──ふう」
息を吐き出す。しかし、妙な流れで逃走劇に手を貸してしまったリズが、本当の意味で落ち着くのはまだまだ先のこととなる。
セインより渡された『前金』を何気なく手にとった少女は、「あれ?」と怪訝な顔になった。
「なんかこれやけにきらきらしてるけど……あれ?」
と、みるみるうちにその目が見開かれていき、とうとうまん丸になった。
「これ、これ……金貨!? しかもこんな大きな……」
この世界における金貨の価値は非常に高い。一枚あれば一年は暮らしていけるほどである。しかもリズが手にした金貨は見たことがないような複雑な図柄が刻まれていた。何らかの記念貨幣かもしれないが、いずれにせよ初修理の、しかも前金としてもらうべき額を遥かに超えていることは間違いなかった。
「こ、こんなの受け取れない。早く返さなきゃ──あ」
と、そこでリズは気付いた。
セインについて、名前以外何も聞いていないということに。
「というか……もしあたしが時計直すとしても、どこに返しにいけばいいの? どこに連絡すればいいの? いつまでに直せばいいの? ……なんにもわかんないじゃないのよーーーーーー!」
あまりにも大雑把な青年の依頼に、リズは隠れていることも忘れ、ただ叫ぶしかなかった。