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第三章 箱の話 ④

 眠れない夜を過ごしたリズは、翌朝早々に城へ向かった。

 城門には昨晩と同じ兵士が立っていて、少女を見るなり面倒くさそうな顔をした。

 しかし、不思議なことに彼はすぐにリズを城内へと案内した。道々で漏れ聞こえた呟きからすると、どうやら上から何らかの指示が回っていたらしい。背筋も伸びてないし、不真面目な兵士さんだなあと呆れながらリズは後を付いていく。

 だがあるところを境に、兵士はぴしりと姿勢を正して歩いた。一言も声を発さず、背後のリズにも目でそれを強制する。そういえば周りの飾りつけがやけに豪華になっている感じがした。一体どこに向かっているんだろうとそこはかとなく不安を抱いたリズは──すぐにその予感が正しかったことを思い知らされることになった。

 兵士に案内された先──そこは、先日フォグ王子と婚約発表をした財務卿の娘、カリーナの居室だったのである。

(ここって、ここって……!)

 兵士が取次ぎをしている後ろで、リズは激しく動揺していた。なにしろ少女は、『筒』を通してこの部屋のとんでもない場面を目撃してしまっているのだ。まさか自分がその部屋に直接入ることになるなんて、夢にも思わなかったことだ。

「よし、入れ。無礼のないようにな」

 狼狽しているうちに、中の人間の了承を得たらしき兵士が無情にもリズを促した。あうあう、と目を回しながら、少女は仕方なく扉の隙間をくぐる。

 やはり、室内の調度には見覚えがあった。間違いなくここはあの部屋だ。真っ先に目を向けてしまったのは左奥のベッド。あの上で先日行われていた行為を瞬間的に思い起こしてしまい、顔が真っ赤になる。

 だが浮ついた思考は、窓際に立つ人物の後ろ姿を見た瞬間、別の驚きに取って代わられた。

「──え?」

 つい声を出してしまった途端、背後から兵士に馬鹿野郎、と嗜められた。はっとしたリズは慌てて頭を下げる。なにせまだ挨拶一つしていないのだ。注意されて数秒後に早速無礼を働いてしまった自分は、たしかに馬鹿だと思う。

 だが相手はさほど気にしなかったようだ。リズを咎めるでもなく、鷹揚な所作で振り向く。

「それほど驚くことでもないだろう。ここは我が妻となる者の部屋なのだから」

 そう言ってかすかな笑みを浮かべたのは、誰あろう、フォグ王子その人だった。


 ◇


「私の居室に民間人を招きいれるわけにはいかないからな。カリーナには席を外してもらって、ここを利用することにしたのだ。婚姻が近いためでもあるが、彼女も色々と忙しい身でね、快く部屋を空けてくれたよ。もっとも、若い女性を招くためと知られたら後が怖いが」

 リズに扉近くのソファを勧めたフォグは、自身は立ったままそう説明した。

 気のせいか、昨晩より幾分砕けた印象だった。

 そもそも夕べは一度も笑みを見せなかったし、冗談めいたことを口にすることもなかったはずだ。

 どういうことだろう、と違和感を隠せないでいるリズに気付いたのか、フォグは更に説明を重ねた。

「どちらかと言えば、こちらが地だ。時と場合により使い分けているのだよ。私を鬱陶しがっている輩は、悪い面ばかりを強調して広めているようだがね」

 そう言って肩を竦めてから、ただし、と続ける。

「ただし、あちらも私の姿の一つであることに違いはない。誤解はしないでもらおう。昨晩お前たちに辛辣な言葉を投げつけたのも、間違いなくこの私なのだ。そして私は自分の判断に誤りがないことを確信している。──リズ=フォーセッタよ、お前は私に罪を告白しに来たのだろう?」

「え。は、はい」

 突如話を振られ、リズはしどろもどろにそう頷いてしまった。

「そうだろうな。だがお前より先んじて、クォランスィネは正しい判断をした。正しく私の言葉を受け止め、正しく動いた。そうして犯人を捕らえたこと、これは評価に値する。ゆえにあの者の嘆願を一部受け入れ、お前から時計士の受験資格を剥奪することは見送りとする」

「ふぇ?」

 リズは頓狂な声を上げてしまった。昨晩もそうだったが、フォグ王子の話は早すぎて思考が追いつかない。頭にハテナを幾つも浮かべたリズを見かねたのか、王子が同じ内容を繰り返した。それでようやく理解した少女は、何よりもまず、昨晩スィーが見せたという行動力に胸が詰まるものを覚えていた。

「スィーがそんなに頑張ってくれてたなんて──」

 リズにはわかっていた。スィーは、彼女自身のために動いたのではない。彼女はリズのために必死になったのだ。

 他人の目をあんなに恐がっていたスィーが、馬鹿みたいに逃げ出してしまったあたしなんかのために──。

 リズは胸から下げた懐中時計をぎゅっと握った。『クォランスィネ』のこの時計。スィーが妹だと呼んだこれと同じくらい、自分は彼女に大切にされている。ならば、それを知った自分は、どうやって彼女の心に応えればいいのだろうか。どうすれば、これほど自分を思いやってくれるひとに感謝の気持ちを伝えることが出来るだろうか。

「水を差すようだが──」

 その時、フォグが口を挟んできた。言葉面だけは遠慮がちに聞こえるが、実際には微塵も躊躇う様子がない。やっぱり絶対に好きになれないタイプだと思う一方で、どうにかしてこの人を見返してやりたいという気持ちも湧き上がる。

 その心境を知ってか知らずか、フォグはこんな提案をしてきた。

「こちらは、あの者の嘆願のすべてを受け入れたわけではない。お前の罪は罪として厳然と存在するのだ。よってペナルティは別途もうける。具体的には、試験の難度を上げる措置をもって、相当と見なすことになるだろう。良いな?」

「……あたしが断っても、意味なんてないんでしょう?」

 わざわざ聞いてくる性格の悪さに腹を立てながらも、リズの中では答えが既に決まっていた。スィーの頑張りに応えるためなら、自分だってどんなことでも乗り越えてやる。そうでなければ、自分が彼女のそばにいることは許されないと思うのだ。

「スィーに伝えてもらえますか?」

「何をかね?」

「あたしは必ず試験に合格してスィーの店に戻るから。だからそれまでは帰らないけど、心配しないでね、と」


 ◇


 その後、時間は瞬く間に過ぎていった。

 リズはフォーセッタ時計店跡に住み込み、昼夜を問わず試験に向けての修行を重ねていた。『フォグ王子から告げられた試験の難度』を思えば、一秒たりとも無駄に出来なかった。元々追い込まれていた状況だったのに、更に無茶な要素が加わったのだ。生活上必要な時以外は一切外に出ず、それゆえ不法侵入を誰かに咎められることもなく、少女は修行に没頭していった。

 一方『クォランスィネ』の方でも、スィーがもう一人の犯人探しに躍起になっていた。だが今のところ、その手がかりはまったく掴めていない。特に、最も有力な情報源となるはずであったカイルに思わぬ行動に出られてしまったため、そのルートでの情報をまったく期待できなくなった点が痛かった。

 箱を用い、幾度も窃盗を繰り返していた青年、カイル。捉えた時の様子からは想定しようもなかったのだが、彼には先日、牢の中で自殺を図られてしまったのである。隠し持っていた毒を煽ったとのことで、現在は意識不明の危篤状態。医療班は必死の治療にあたってはいるものの、見立てではもって一日が限度だという話だった。

 更に、所属員から逮捕者を出したという不祥事に協会もてんやわんやとなっており、殆ど時間を割いて貰えていない点も痛手だった。ガシュパールに至っては、他国の時計士協会から説明責任を迫られていることもあって建物内にいること自体が稀だ。

 また、フォグ王子の方でも調査を進めてはいるだろうが、連絡は来ていない。彼の父であるウィシュタル王には申し訳ないが、王子を信用しすぎるわけにはいかないという側面もある。

 手詰まりだという感覚が、スィーの細い肩に重くのしかかっていた。リズと異なり明確な時間制限があるわけではないが、逆にいつ犯人が手の届かない場所に消えても不思議ではない。そのことがかえってスィーの心に焦りを呼んでいた。

 リズもスィーも、ともに時間を短く感じていた。足りない。間に合わない。時間がない。時計の針と徒競走をするかのような日々だった。絶対に追いつかなければいけないのに、常に相手は自分の一歩先を行く。

 そして一日、二日、三日と、明確な進捗がわからないままカレンダーをめくる日が続き──とうとうリズの側に節目の時が訪れた。

 すなわち、この日、只今より──時計士の試験が執り行われるのである。


 ◇


 この日、スィーの姿も試験会場にあった。昨今の盛り上がりを反映してか、不祥事の直後にも関わらず受験者は多数である。会場も協会の建物では収まりきらず、なんと城のホールを借り受ける次第となっていた。職人の国としての対外アピールもあろうが、大胆な話だった。もっとも、当然ながら貴賓室への通路には衛兵が立ち並んでいるし、混乱を避けるため当事者以外は早くも立ち入りを禁じられているのだが。

 ともあれこうなると、人ごみが苦手なスィーの居場所はなくなる。かといってリズから離れた場所にいたくない。きょろきょろあたふたしながら構内をさ迷い歩いていたスィーは、いつしか人気のない薄暗い通路に入り込んでしまった。

 だが、結果としてそれが彼女に幸運をもたらした。まさかこんなところに、という場所で、彼女は一人の男性と鉢合わせたのである。相手も驚いたようで、ずれた眼鏡の位置を直してからようやくスィーに向けて微笑んでみせた。

「奇遇だね、クォランスィネ。君も逃げてきたのかな?」

 悪戯っぽく笑うその顔は、時計士協会の長、ガシュパールのものだった。


 ◇


「さすがに今日くらいは戻っていたくてね。昨日までになんとか他国の時計士協会への説明を終わらせて、無理やり帰国したところなんだ。だが、受験者が皆神経質になっている時に騒ぎ立てる者もいまいと高を括っていたんだが、いやはや、甘かった。カイル君の件で結局は追いかけられてしまい、試験の邪魔になってはいかんのでこうして隠れていたってわけだよ。いや、なんとも情けない話だがね」

 ぴたん、と薄くなった後頭部を叩いて、ガシュパールは苦笑した。ソファの向かいに座ったスィーは、どう返していいものかわからず笑って誤魔化す。

 聞けば、ガシュパールはごく最近まで失脚の危機にあったらしい。カイルは直属の部下だったのだから致し方のない話なのかもしれない。だがこの様子を見る限り、なんとか乗り切れたようだ。最も相応しい人物が地位を追われることがなくて良かったと、スィーもほっとする。

 現在こそ辞しているものの、ガシュパールもまた、かつてはリズの祖父同様に『クォランスィネ』の補修を請け負う資格を有していたのである。スィーにとっても手放しで信頼出来る貴重な相手だった。

「ガシュパール卿。その、カイル……さんのことは残念でした」

「仰々しい呼び方は勘弁してくれ。爵位なんて、この国の中じゃ貰っても嬉しくもなんともないんだからさ。それはともかく──彼のことは全て僕の責任だよ。もちろんスィー君が気に病む必要はない。彼は昔から、いつも何かに追い詰められているようなところがあってね。僕がどうにか解きほぐしてやれれば良かったのだけど……」

 ガシュパールは下を向き、膝の間で組み合わせている手をじっと見つめた。深い後悔の念が伝わってくるようで、スィーにはかける言葉が見つからない。

 やがて顔を上げたガシュパールは、スィーを見つめて「少しだけ話を聞いてくれるかな」と尋ねた。そして頷いた彼女に礼を述べると、静かに語り始めた。

「カイルは、クロックワーズという姓を名乗っている。これは元々は、『ロックワーズ』だったんだ。リズ君が修行していた街と同じだね。そしてこの国において、街と同じ姓は孤児に与えられるものなんだ。両親がいない代わりに街が親となる、という意味を込めて。でも、大抵の子供は孤児院を出る際にまったく違う姓を名乗る。自分が孤児だったことを言いふらすようなものだから、まあこれは当然だろう。けれどカイルは、ほんの少し変えるだけに留めた。『ロック』を『クロック』へ。岩を、時計へ。そこには、孤児であることを恥じないという意志と、街を出て時計士として一人で生きていくことの決意の両方があったのだと思う。だから、彼は必死だった。誰よりも真剣に時計士としての腕を磨くことに努めた。けれど──彼には才能が足りなかった。少なくとも、彼自身はそう思ってしまった。それから、徐々に周りに当たるようになってね。自分の生まれ故郷であるロックワーズで修行したリズ君にも、色々と思うところがあったみたいだ。僕としては、二人に互いに切磋琢磨するような関係になってもらいたかったんだが……まさかカイルがあんなことを仕出かすとは──」

「……そうだったんですか」

 スィーは相槌を打ちながら、カイルを捕えた時のことを思い返していた。あの時、自分が彼に対して抱いた印象は、『悪い人』ではなく、『弱い人』だったように思う。境遇に振り回され、罪を犯し、最後には自殺まで考えてしまう──そんな人間を彼女は憎むことが出来ない。自分自身がとても弱い存在であることを、深く承知しているからだ。

 スィーが黙りこんでしまったことをどう捉えたのか、ガシュパールはこほんと咳払いして笑顔を作り、「そういえば」と話題を切り替えた。

「リズ君の調子はどうだね? フォグ王子が介入してきた時はこちらも驚いたものだが、なにせその後は情報を遮断されてしまってね。ただでさえ方々から突き上げを食らっていた時だから、恥ずかしながら僕も詳しいことを知らないんだよ」

「それは──」

 スィーは躊躇いがちに言った。

「実は私も、あまり把握出来てないんです。試験の内容が多少特殊なものとなった、ということを聞かされただけなので。リズからは心配しないでほしいと言伝をされましたけど、あの子は平気で無茶も無理もするところがあるから……心配しないではいられません」

 一応、少女がフォーセッタ時計店に居着いていることだけは突き止めていたので、事故に遭うような危険性は低いと思っている。しかし今日の試験が、協会の人間にすら秘されているものだとは想像していなかった。フォグ王子の裁量でのみ実施される試験──それはどのようなものなのだろう。もし王家に何らかの形で関係するものであるならば──

「……まさか」

 スィーは一つの可能性に思い至り、蒼白となった。

「どうしたのかね?」

「ガ、ガシュパールさん……一つ教えていただきたいのですが、『クォランスィネ』の時計が試験の課題とされた例はありますか?」

「うん? ふむ……どうだったかな。あれは特殊な品だから、あまり試験に適した題材ではないはずだが──」

 ガシュパールは顎ひげを撫でながら記憶を探った。そしてすぐに、そうだ、と手を打つ。

「一度だけ実績があったのを思い出したよ。あれは、とある時計士が王家の姫に婿入りすると決まった時の話だった。皇太子は別に立っていたから世継ぎ争いの心配はなかったが、王族の一員となるのだからと特別な試験を行ったんだ」

「ああ……そうですか。あったのですね」

 スィーは深く息を吐き出した。

 確信があった。フォグは今回、リズに『クォランスィネ』の補修を課題として提示している。リズを王族入りさせるわけではないから類似案件とは言い難いが──リズが巻き込まれた発端が『クォランスィネ』時計にある上に、その補修を王家の科す試練とした前例もあるのならば、フォグ王子は迷わないだろう。

「リズ。貴方はどうしてそんな無茶を受け入れたのですか……」

 初級ではない。中級ですらない。そもそも系統樹の外でたなびく、もはや高々度の領域の技術である。以前にリズが修理に成功したのは、多くの幸運が味方したからだったはずだ。それですら、十日もの時間を要したのである。長時間の試験とはいえあくまで当日限りという制限の中で、一度の経験しかないリズが乗り越えることなど出来るはずがない。

「……どうやら、リズ君はだいぶ難しい状況にあるようだね」

 力なくうなだれるスィーを見て、ガシュパールもため息をついた。

「我ながら不甲斐なく思うよ。フォグ王子については、こちらもあまり口出しせずに来た。それはあの方が、周囲に思われるほど強引な方法を好む人でないという風に僕が思っていたからなんだが……僕が間違っていたのかもしれない。せっかく君の店でリズ君が修行し、フライゼ王子がやる気を取り戻して、カイル君が発奮するような未来があったかもしれないというのに、僕の考えが甘かったばかりにそれが崩れてしまった。この身を裂いても償いきれないと思うよ」

「ガシュパールさん……」

 膝に置かれた彼の手は、硬く握られたままかすかに震えていた。それを視界に捉えたスィーは、顔を上げて何か声をかけようとする。しかし慰めの言葉が浮かばない。

 そうして歯痒さに俯いた時。スィーは不意に、今の彼の台詞の中に引っかかるものを覚え、再び顔を上げた。

「ガシュパールさんは、セインさん──フライゼ王子のことをご存知なんですか?」

「ん? そりゃあこの国の第二王子だからね。もちろん知っているが」

「あ、いえ、そういうことではなく。最近あの方が成り行きでリズに手習いを受けていることもご存知だったのかと──」

 そう口を滑らしてから、これは秘密だったのだろうかと不安になるが、もう遅かった。だが──ガシュパールはきょとんとした顔で言った。

「それも知っているよ。あの方の放蕩癖は父親譲りだしね、お忍びで街をうろついていることは有名だから。たまに君の店で修行していることなんかは、自分でカイル君に話してたくらいだ。だから、やる気を取り戻したのかと僕も期待していたんだよ。あの方は時計士の腕を磨くことにあまり執着している風ではなかったからね」

「そうだったんですか。……あれ? それより今、王子とカイルさんが話していたっておっしゃいました? どうして二人が?」

「そりゃ同年代の人間だからね。王族と庶民と言ったって、この国なら同じ場所で修行することも有り得る。残念ながら二人ともその道から離れてしまったが、交友は続いていたんだよ」

「ちょ、ちょっと待ってください。それは本当なんですか?」

「うん。それがどうかしたのかい?」

「はい──あ、いえ、少し考えを整理させてください」

 スィーは両手で頭を押さえ、目を閉じた。暗闇の世界で矢継ぎ早に思考を巡らせる。

 ここでセインの名前が出たこと。考えてみれば、またしてもという感はあった。時計修理の件も、筒の件も、発端は彼だったと言っていい。そこにきてもう一度──そのことにほんの少しの違和感があった。その感覚を信じて考えを進めると、次々と新たな違和感が生み出されて積み上がっていく。

 無論、推測に過ぎないものも多かった。思考を重ねる一方で、同時にそこに穴が多いことにも気付いている。自分は決してミステリーの主人公にはなれないと思う。

 けれど、積み上げて形となったものは、俯瞰してみるとさほどの違和感がないものとなっていた。全体としては、他のどんな想像よりも現実味を帯びた可能性としてそこにある。ならば、提示する価値は十分にあると思うのだ。

 しかし──。

 スィーは自分の導き出した結論に怯えた。

 そしてこれこそが、脅迫状を見た瞬間に自分が感じたものだと思う。

 そう。

 これこそが悪意だ。

 カイルが発していたものとは根本から異なる、黒くどろどろと渦巻いた感情。取り込まれれば、底無し沼に沈んだかのように二度と抜け出せなくなるであろう、鬱屈した精神。

 スィーは、無性にリズの顔が見たいと思った。

 あの子の太陽のような笑顔の隣で穏やかに時を刻みたいと願った。

 けれど、今はまだ『その場所』に届かないのであれば──私から。

 私から手を伸ばそう、と思った。

「ガシュパールさん」

「おお、考えがまとまったのかい?」

「……はい。ですけど、その前に一つ……いえ、二つ教えてください」

「なんだね?」

「カイルさんは──それからセインさんは、リズのことをいつから知っていたのですか?」

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