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第二章 筒の話 ④

 さて、以下は後日談となる。

 酒場の装置は、リズがセインを追い立てて元の位置に移動させた。これで、アルマンドの当初の設計配置に戻ったことになる。

 また、スィーも時々は筒を使うようになった。自分の預かり知らぬところで勝手に利用されていたことに彼女なりに胸に期すものがあったらしく、「たまには使ってあげないと駄目ですね」と言って、おっかなびっくり筒を覗き込んでいた。

 そんなある日のことである。

「あら?」

「どったの、スィー?」

 カウンターから聞こえた呟きに、作業スペースで休憩中だったリズは好物の焼き菓子を頬張りながら尋ねた。見ると、スィーが例の筒を手に可愛らしく首を捻っている。

「ええ……リズもちょっと見てみてください。これ、なんだと思います?」

「んんん?」

 リズはカウンターへと向かい、スィーから筒を受け取った。もしやまた怪しい映像が──とびくびくしたが、それにしてはスィーは落ち着いたものだ。妙なものは映らないだろうと判断して筒を覗く。

 そうして見えてきたものは、金属製と思わしき四角い物体だった。

「なにこれ? 箱みたいなものが見えるけど……」

「ええ、そうみたいなんです」

 リズは筒から顔を離して問いかけた。

「どういうこと?」

「うーん。おそらく、リズがあの夜工具ケースを置いたみたいに、鏡のルート上に箱が置かれているのだと思うんですけれど」

「でも、前までこんなの見えなかったよね? 最近置かれたってことかな」

「かもしれませんし、もう一つの可能性もあります。セインさんが途中の装置を移動させていたために見えなかったルートが、先日元に戻したことで復旧した、ということかもしれません」

「そっか、その可能性もあるね。……どうしよう、また気になってきちゃった」

「ふふ。私もです」

 顔を見合わせて、お互い仕方なさそうに笑う。好奇心は猫をも殺すが、こんなものを見せられたら気になって仕事になりはしない。途中で危険を感じたら潔く諦めようと言い交わしてから、二人は『クォランスィネ』から表へ出た。

 リズが最初に口にした『誰かが途中経路に箱を置いた』ケースの場合、一から順にルートを辿っていく必要があって時間がかかる。その間に鏡に周期が訪れて回転してしまうとまたややこしい。なのでまずは、スィーが示唆したケースを想定することにする。この場合、セインが戻した装置の先を確認すればいいだけだからさほど手間ではないのである。

 そして、結果的にこの判断は正解だった。

 セインが戻した鏡が向いている方角に進んだところ、崖の斜面に行き当たり──そこに開いていた小さな横穴の内部に、くだんの箱が置かれていたのである。

 横穴は人の視線より高い位置にあり、光の加減もあいまって容易には気付かれないように工夫されていた。

 リズはスィーに肩車してもらい、横穴に手を差し込んで箱を引っ張り出した。それから、二人で地べたに座ってまず外装から眺めていく。どうやら鍵がかかっているようだが、なんだか宝探しのようであり、リズはわくわくする気持ちを抑えられなかった。

「これ、アルマンドさんが置いたのかな?」

「外装の痛み具合からすると、そのくらい古いものに見えますね。……ええ、きっとそうだと思います」

「けど、スィーも昔はあの筒をたまに使ってたんだよね? その時スィーが気付かなかったのって偶然かな」

「言われてみれば……どうしてなんでしょう?」

 スィーは不思議そうな顔をしながらも、箱を懐かしむように眺めている。

 それを見て、リズはふと一つの可能性に気付いた。

(これ、ひょっとしてアルマンドさんが、亡くなる間際にスィーのために……?)

 リズはスィーの横顔をじっと見つめた。だが、今思いついた可能性をこの場で口にして良いものかがわからない。スィーのマスターが、後に一人残される彼女に何を遺そうとしたのか──それは、安易に自分が踏み込んでいいことには思えなかったのだ。

「とにかくさ」

 だから少女はこう言った。

「この箱、どうにかして開けてみようよ」


 ◇


 リズがチェックしたところ、箱は見たとおりの金属製で、それも思った以上に頑丈なつくりだった。さすがに『クォランスィネ』のマスターの作なだけはある。リズが持ち歩いている工具でも難しいようだった。外装を傷付けても構わないのであれば、店においてある機器で切断できるかもしれないが、出来ればそれは避けたかった。

 だがリズから箱を手渡されたスィーは、箱の底面に刻みこまれた花の意匠に気付いて、合点がいったように頷いた。

「これなら、私が開けられると思います」

「そうなの?」

「はい。逆に言うと、この開け方は私しか知らないのです。倉庫にはこれと同じ模様がついた扉が幾つかありますから。ほら、見てください。この花、花びらの一つ一つが少しずつ動くでしょう? 決まった順にこれを動かしていくと鍵が外れるんです」

「ふわあ、さすがスィーのマスターだ」

 呆れるほど精緻な仕組みだった。刻み込まれたように見えるこの花は、実際には花びらの一つ一つが別々のパーツで、それそれが巧みに組み合わさっているのだ。スィーが指で花びらを動かしているのを眺めていると、金属の花が風に揺らぐさまを見ているような、不思議な気分になってしまう。

 そうしてリズが見入っていると、やがて箱からカチンと鍵が外れる音がした。

「開きました」

 笑顔で告げたスィーが、箱をリズに差し出そうとする。だが少女はその時、スィーの手がかすかに震えていることに気付いた。

「スィー……?」

「はい?」

 スィーはにこにことしていた。けれど、どこか不自然だ。どこか、無理をしているように見える。

 そっか、とリズは口の中だけで呟いた。もしかしたら、彼女も気付いているのかもしれない。この箱が、アルマンドが彼女に遺した最後のメッセージだという可能性に。

 けれど、だったらなおのこと──

 リズは差し出された箱を押し留めて、言った。

「これはスィーが開けないと駄目だよ」

「ですけど……」

「あたしもそばで見てるから。だから、ね?」

 頑張って、と箱を持つスィーの手に自分の手を重ねる。スィーはしばしの逡巡の後、リズの目を見て小さく首肯した。

「わかりました。……リズ、そばにいて下さいね」

「もちろん」

 大きく頷いてみせたリズに勇気付けられるように、スィーは箱を地面に置き、上蓋のふちに手をかけた。それから一度唾を飲み込んで、緊張した面持ちで蓋を持ち上げる。

「これって──」

 そうして蓋が完全に開かれた時。リズは何事かを言いかけ──けれどそれ以上は黙っているべきだと考えて口を閉ざした。

 箱の中に納められていたのは、一枚の写真だった。本来アルマンドが生存していた時代にはありえない技術だが、きっとこれも彼が人知れず発明したものなのだろう、とリズは自分を納得させる。

 そうしてみれば、写真に写っているものは、状況を考えると至極順当なものだと言えた。

 その写真の中では──スィーがこちらを向いて、穏やかに微笑んでいたからである。

「スィー……すごく優しい顔してるね」

 リズが静かにそう口にした。写真の中の人物は、見ているだけで心が温かくなるような表情をしていた。アルマンドが彼女に寄せる思いも、彼女がアルマンドに返す思いも、今彼らが目の前にあるかのように伝わってくる。

 だが──

「いいえ」

 その時スィーは、首を振って、こう口にしたのだ。

「いいえ、違うんです」──と。


「ど、どういうこと?」

「この写真に映っている方は、私ではありません。こちらは、当時マスターが愛していた唯一人の女性──フローリカ王女なんです」


 ◇


「マスターと王女が知り合ったのは、城の中でのことだったそうです。マスターは希代の天才職人として王族の覚えもよく、しばしばお城に出入りされていましたので、不思議な話ではありません。ですが、王女は体が弱く、長くは生きられない身でした。その名のとおり花が好きだった王女は、一番好きな異国の花、『クォランスィネ』に囲まれたベッドの上で、殆どの時間を眠って過ごしていたそうです」


「マスターも様々な手を尽くされたと伺っています。ですが、あの方の力をもってしてもフローリカ王女の病は治癒しませんでした。知り合って僅か数年で、王女は亡くなったのです」


「マスターの悲嘆は見るに堪えないものだったそうです。時代の数百年先をいく発明を次々と生み出し、そのあまりに大きな影響を恐れた王家によって殆どの道具を禁制品とされたあの方が、その日を境にぴたりと仕事から遠ざかり、自分の工房に閉じこもっていたという話でした」


「ですがマスターは何もしていなかったわけではありませんでした。あの方は、亡き王女そっくりの人形を作り、それに心を与えることに残りの生涯を費やそうとしたのです」


「なぜマスターがそう考えたのかは私にもわかりません。ですがそのようにして、おそらくは数百数千にのぼる本来発明されたはずの品の代わりに、私という存在がこの世に生み出されたのです」


 ◇


 スィーの告白は、そこで終わった。

 写真を見つめながらのその声はどこまでも穏やかで、リズは口を挟むことが出来なかった。

 けれど、全てを聞き終えて、少女にはどうしても納得することが出来なかった。

 どうしてアルマンドは、こんな写真をスィーに遺したのだろう?

 敬愛するマスターが愛したという女性の写真。それは彼女にとてもよく似ているが、決して彼女本人ではないのだ。

 そんなものを最期に遺されて、スィーはいったいどんな気持ちで受け取ればいいのだろう。なまじ同じ姿なだけに、かえって辛く思えてしまうのではないか。

 スィーの製作者。優しい天才職人。リズはアルマンドのことをそんな風に思っていたのだが、なんだかわからなくなってしまった。


 それに──

 それに、わからないことはもう一つあった。


 どうしてスィーは、王女の写真をあんな目で見つめているのだろう?

 どうして、あんなにも優しい目をしていられるのだろう?

 たしかに悲しげで、切なそうにも見えるのに、だけど全体の印象はとても優しげで──。

 ──よく、わからないよ。

 リズはスィーの横顔を見つめながら、自分でも理解の出来ない思いを抑えるように、そっと目を伏せたのだった。

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