第七十四話
油断はしていた。
相対する相手は私よりも小さい、まだ10歳の子供だ。
しかも、未だ本契約すら交わしていない『乙女』。
今までも転入してきた生徒――入学試験以外で『乙女』になった生徒の相手をしたことはあったが、実力は在校生とほとんど変わらなかった。
そのため私が遅れを取るなんてことは、決してなかった。
なのにこいつ――ノノは、今こうして私の首元に剣を突きつけている。
まず私には、いつノノが『タリアの娘』と契約したかが分からなかった。
では予め契約をしていたのか?
しかしそんな素振りは感じられなかった。
『娘』と仮契約するには、集中力と時間が必要だ。
そのため契約中の『乙女』は無防備。そして契約に掛かる時間は早くても数分は掛かる。
これまで見てきた生徒もそうであったし、過去の私もそうだった。
だから契約が終わるのを待って、それから相手をすればいいと考えていた。
しかし違った。
鐘が鳴り終わった瞬間、ノノは何の予備動作も無く一気に加速したスピードでこちらに接近していた。
不意を付かれた私は驚きつつも、身体は反射的に動いていた。
私の『娘』――レッジョ(レッジョ・ディ・カラブリアだと長いのでレッジョと呼んでいる)の固有武器である戦斧を顕現し、迎撃のために振り抜いた。
「――っ!?」
だが出来なかった。
別に、レッジョの戦斧をノノに当てるのを躊躇した訳ではない。
さっきも言ったように、身体が反射的に迎撃していたのだ。
それに、ここには学院長を始めとした優秀な『乙女』が揃っている。
もし当たり所が悪くても、すぐに治癒の術で治してくれる筈だと、試合が始まる前からそんな風に考えていた。
しかしそうじゃない。
私は、物理的に戦斧を動かせられなかったのだ!
振り抜こうとした戦斧は、何かに阻まれ、押し留められた。
それが『乙女』の使用する障壁の術だと、私が気付いた時には、既にノノに対応する時間は残されていなかった。
「これで一本です。約束は守って下さいね」
ノノが剣を突きつけながら言う。
私は何も言えなかった。
一本取れたら奢るなんて約束は、ノノを焚きつけるための方便のつもりだった。
それがまさか、本当になるとは……私は、自分の口の端が吊り上がるのを感じた。
「ははっ、はははっ!!」
そして大きな声を出して笑う。
「参った。確かに一本取られたわ」
本当に参った。こいつは、面白い。
ノノを見ると、私の笑いに面を食らったような顔をしている。
私は戦斧を消すと、ノノに話し掛ける。
「なぁ、いつまでこのままなんだ?そろそろ剣を降ろしちゃくれないか?」
「あ、はい。すみませんでした」
ノノは謝りながらも剣を降ろすと、後ろに数歩下がります。
私は自由になると、学院長を見た。
学院長は「もっとノノの実力を引き出せ」そう視線で語りかけていたので、私は頷く。
こちらとしても願ったりだ。さっきまでの私が、私の実力だと勘違いされたら困る。
私は両の手の平を広げると、思いっきり顔面に叩き付けた。
バチーン!
顔がジンジンとする。だが気合いは入った!
思い出したぞ、以前の私を。
「ノノ、済まなかった。正直、お前の事を舐めていた」
「はぁ」
腑抜けた返事をするノノ。
いや、本当に腑抜けていたのは、私の方だったな。
こいつは最初から、全力で戦う気満々だったのだろう。
「だから今度は私の方から行く。もちろん全力でだ!」
私の目の前に居るのは、ただの生徒ではない。
本契約を交わした熟練の『乙女』だと思って、本気で相手をする。
「ノノ、構えろ。私の名前はミコ・レッジョ・ディ・カラブリアだ!」
名乗りを上げながら、戦斧を顕現させる。
すると気迫が伝わったのかノノも剣を構え、
「私はノノ。ただのノノです」
名乗りを上げる。
「行くぞっ!」
「はいっ!」
私はノノにぶつかって行った。
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「かぁーーーっ!身体に染みるー!!」
湯船に沈みながら、おっさんくさい声を出すミコ先生。
「はぁー」
私もお湯に入ると、つい声が出てしまいます。
「どうしたノノ、もうバテちまったのか?」
「いえ、ミコ先生が元気過ぎるのです……」
私は、まだまだ余力が沢山ありそうなミコ先生を見て呆れます。
ミコ先生は「最近の若いもんは」と、私を見て呆れているようですが。
ミコ先生との模擬戦を思い出します。
私が一本取った後、ミコ先生の雰囲気は様変わりしました。
元々どこか不敵な所はありましたが、更に瞳がギラつき、凶暴な雰囲気を身に纏っていました。
そして野生動物の様な、獰猛な笑みを浮かべて迫ってくるのです。
(あれは……怖かったです)
それに絶対に模擬戦だってことを忘れていたと思います。
一歩間違えれば、そのまま天に召されそうな危ない攻撃が何発もありました。
ナナとの長い訓練で身に付いた実力のお陰で、私はこうして無事に生きていられるのです。
(母様、ありがとうございます)
「それにしても、こんな早くから大浴場は開いていたんですね」
今は、まだ日が沈み切っていない時間帯です。
お風呂には私達以外、誰も居ません。
「あぁ。学院長の計らいで、今日だけ特別にお湯を入れて貰ったんだ。いつもは夕方にならないと開いていないからな」
「それじゃ、学院長に感謝しなくてはいけませんね」
「まったくだ」
むにゅ。
「ひゃぁっ!?何をするのですか!?」
お湯の中で、私のお腹がミコ先生に掴まれました。
「いや……思ったより、筋肉は付いていないんだな」
それは答えになっていませんよ、ミコ先生。
(――ハッ!?待って下さい)
気付いてしまいました。
今なら、「やられたらやり返す」という名目の元、ミコ先生の身体にタッチすることが可能ではないでしょうか?
所謂、専守防衛ってやつです。
私はミコ先生の方を見ます。
身長はナナと同じくらいの大きさです。胸も……同様にツルペタです。
お風呂に入っているため、いつものツインテールも解けており、髪の長さ的にもナナと同じ位です。
というか、髪や瞳の色を変えれば、ナナそのものといっていいのではないでしょうか?
(……いえいえ、私は何を考えているのでしょうか!?)
私はぶんぶんと顔を振ります。
お淑やかで聖女のようなナナと、乱暴でおっさんくさいミコ先生では、全然違っています。
どうやら先の模擬戦で、私は疲れているみたいです。
普段では、ありえないようなことを考えているみたいです。
……でも、先に手を出したのはミコ先生ですよね。
それに女の子同士だからセーフな筈です。
……ごくり。
「――ミコせんせーっ!!」
そのままダイブする私。
しかし、
「ん、どうした?」
ミコ先生の姿はその場に無く、声は浴場の出入り口の方から聞こえてきました。
さばーんとお湯を被る私。
そんな私に、ミコ先生は声を掛けます。
「先に上がるぞ。それからもう届いているだろうから、風呂上がったら楽しみにしてな」
「……?」
私は首を傾げます。
……。
「わぁ!」
脱衣所にて、私は鏡に映った自分の姿を見て声を上げます。
「きつかったり、緩い所はないか?」
「いえ、丁度いいサイズです」
ミコ先生の言葉に、私は首を振ります。
今私が着ているのは、この学院の制服です。
白いワンピースタイプで、胸元には赤いリボン。膝下まで延びたスカート部分には、プリーツが綺麗に並んでいます。
これで私も、一人だけ私服で目立つ事は無くなるでしょう。
それにしても、
(なんだかコスプレをしている気分です)
いえ、コスプレしたことはないのですが。
なんだか着慣れない服のせいか、違和感を感じます。
「それじゃ明日も同じ時間に、寮の部屋に迎えに行くからな」
ミコ先生は脱衣所の扉に手を掛けます。
「はい、ありがとうございました」
「お疲れー。今日はもう休めよ」
「お疲れ様です」
ミコ先生は脱衣所を去ります。
……もう行きましたね?
私は周囲に人の気配がないのを確認します。
よし、誰も居ませんね。
実は私、長いスカートを穿いたのなら、一度だけやってみたかったことがあります。
私は手の平を肩まで上げて、軽く反動を付けると、
くるり。
と横方向に一回転します。
遠心力で、ふわりと広がるスカートの裾。
遅れて付いてくる髪の毛。
(中々いいものです。……もう一回だけやってみようかな?)
一人で、ほっこりしていました。
遂に、ナナに会えない禁断症状が……。




