第六十七話
もう少しで日が落ちそうな時間帯。
学院長たる私は、執務室で今年度に入った新入生に関する報告書に目を通していました。
入学から約2ヶ月余りが経ちました。
春の入学試験に合格した新入生は、全部で27名。
その内、FクラスからEクラスに上がった生徒は7名。
(今年は……普通ですわ)
特に多いわけでも、少ないわけでもなく。
Fクラスは7つあるクラスの内、最も下位のクラス。新入生は皆、最初はこのクラスからスタートします。
Eクラスはその一つ上のクラス。クラスが上がる条件は一度でも『タリアの娘』と仮契約を結ぶ事。
例年通りであれば、来月過ぎにはもう半数以上の生徒がEクラスに上がっていることでしょう。
次にEクラスに上がった生徒の詳細情報が乗ったファイルに目を通します。
ファイルには生徒の個人情報、学院での成績といったものが細かく記述されています。
順々に見て行くと、何人かの生徒でページを捲る手が止まります。
しかしその理由は――
(あ、この生徒の実家。昔に私の取り巻きをしていた娘の一人と同じですわ)
知っている貴族と同じ家という、しょうもない理由です。
とはいえ何人かの生徒は、もう半年で次のクラスに上がれそうですわね。
毎年、軍部からは「もう少し『乙女』を増やせないか?」と煩い声も届いています。
しかしこちらがどんなに優秀な生徒を育てたとしても、本契約をするのは『タリアの娘』達です。
そういうことは『娘』に直接言えばよろしいのでは?と返したくもなりますけれど、それを言ってもどうしようもありません。
(数が駄目なら質を上げたいのですけれど、もう少し飛び抜けた生徒が入ってこないかしら……)
はぁ……と溜息を付いた所で、部屋の扉がドンドンと叩かれて、一人の少女が部屋に飛び込んできます。
「大変ですっ!キクナ学院長!」
部屋に入ってきたのはカオリ・パヴィーア。
私の秘書を務める『乙女』です。普段はもう少し冷静なのですが、どうしたのかしら?
「どうしましたの?いつものカオリらしくもない」
「これをご覧下さい!」
カオリが取り出したのは、一通の封筒。
これは――
「推薦状かしら?確かに珍しいですわ」
ここ最近は、許可無い仲介契約の禁止が徹底されているため、推薦状を持った『乙女』が訪れるのは数年振りです。
「それもありますが、差出人の所を見て下さいっ!」
カオリの言葉に封筒を裏返すと、『乙女』の署名が見つかります。
「コノカ・トリエステ……」
その名前には聞き覚えがありますわ。確か……5年位前に卒業した『乙女』の名前だったかしら。
「そうです!あの問題児です。当時は『眠り姫』とか呼ばれていました!」
鼻をふんふん鳴らすカオリ。
『眠り姫』というキーワードで思い出します。
そういえば……コノカ・トリエステの時の学年主任は、当時初めて主任を任されたカオリでしたわね。
その頃のコノカは通称の通りよく眠る娘で、授業を欠席してはどこかで寝ていることが多々ありました。
そしてそのしわ寄せで、カオリはコノカを授業に出席させるために奔走していましたが、中々成果は上がりませんでした。
その事でカオリは、他の人間からも色々と言われて、精神的に相当参ってた記憶が蘇ります。
「あの『眠り姫』が卒業して、やっと平穏な毎日が訪れたと思っていたのに、今度はどんな問題を運んできたのやらっ!?」
ちなみに『眠り姫』などど大袈裟な通称が付いているのは、学生達のおふざけの結果です。
ここでは娯楽が乏しいためか、目立つ生徒にはいつの間にやら通称が付けられてしまうのです。
私は興奮するカオリを無視して、封筒の封を開けると中の推薦状に目を通します。
内容を要約すると、「バール村でノノという娘を『乙女』にしてしまったので、学院に入学させて欲しい」ということです。
推薦状のコノカ・トリエステの所属は駐在部になっています。
……実は術のセンスが良かったため、数年経ったらコノカ・トリエステを教師として引き抜くのも有りかしら?と考えていたなんて、決してカオリには話せないですわね。
「とりあえずカオリは深呼吸をしなさい」
私の言葉に、カオリはすーはーと呼吸を繰り返します。
「落ち着いたかしら?」
「……はい。見苦しい所をお見せ致しました」
「それでは推薦状を持ってきた、ノノさんという娘を迎えに行ってらっしゃい」
私が指示をすると、カオリはすごすごと退出します。
さて、
「――ノノさん、ね」
私は名前を声に出して呼び、数ヶ月前の事を思い出します。
春の入学試験の少し前、『六聖女』の一人である『鋼鉄の聖女』――センリ・シラクサがふらっと現れてこう言っていました。
『もし今年、ノノという娘が入学しに来たら、おもしろい事が起こりますよ』
だからその娘が来たら、この手紙を開いて下さい。そう言い残しセンリはまた別の所へ旅立って行きました。
結局、今年の入学試験にはノノという名の受験者は居なかったから、気にしていなかったのですけれど。
(あの時の手紙は、机の一番下の引き出しにしまって置いた筈ですわ)
私は手紙を取り出し、中を読みます。
「どういうことかしら?」
手紙の中身は、推薦状でした。そして推薦人はセンリ。対象はノノです。
しかも推薦状の内容によれば、「5年前にバール村で、ノノという『乙女』を弟子にしたので、学院に入学させて欲しい」という内容です。
コノカ・トリエステが卒業したのが5年前。最低でも数年は軍部に所属している筈ですから、センリの推薦状の内容と齟齬が生じています。
(少し、興味を持ってしまいましたわ)
私が考えていると、コンコンと部屋の扉がノックされます。
「学院長、お連れしました」
「お入りなさい」
「失礼します」
そうしてカオリに続いて件の人物が入室してきます。
「失礼します」と可愛い声で入ってきたのは、色あせたマントを羽織った少女らしき人物です。
フードを目深に被っているためか、目元から上が隠れて見えません。
『眠り姫』や『鋼鉄の聖女』が推薦する少女ですから、どんな娘がくるかと期待していたのですが、今の所ただの小汚いマントに身を包んだ少女?にしか見えませんわ。
「遠い所、ようこそいらっしゃいました。ノノさん」
私は立ち上がりながら話し掛けます。
「カオリ、すみませんが寮長を呼んでき下さい」
「分かりました」
私が声を掛けると、カオリはノノを睨んでから退出します。
ノノは、表情こそ判らないものの首をかしげているため、どうして睨まれたのか分かっていない様子です。
「あの娘も悪い娘ではないのですが、あなたの推薦人がコノカ・トリエステだから警戒しているのですわ」
カオリにも困ったものね。
「さぁ掛けて下さい。今、お茶を入れますから」
私はノノに声を掛けるとお茶の準備を始めます。
ポッドに茶葉を入れて、『乙女』の術を使って沸かしたお湯をポッドに注ぎます。
数分間蒸らしている間、私は背後に視線を感じます。
私はその視線に気付かない振りをしつつ、お茶をティーカップに注ぐと、カップをトレイに載せます。
そしてノノの方を振り返ると、
(――ナナッ!?)
驚きで危うくトレイを取り落としそうになります。
ソファーの上には、銀髪をした少女――まるで出会った頃のナナにそっくりな少女が座っていました。
背丈もあの頃と同じ位です。
しかし、すぐに少女がナナではない事に気付きます。
何か考え事をしているのか、宙を見詰める瞳の色は翡翠。私の知るナナの瞳は、琥珀色をしていました。
(……驚きましたわ。それにしてもナナに似ていますわね)
私がじっと見つめていると、ノノと目が合います。
「あの何か?」
「……はっ!?い、いえ。失礼しましたわ。知り合いの娘に似ていたから、つい……おほほ」
何とか誤魔化せたでしょうか。
私はお茶を置くと、ノノの向いにあるソファーに腰を下ろします。
「それでは改めまして。私の名前はキクナ・ミラノ。当学院の学院長を務めております」
(センリの言っていた面白い事とは、この事かしら?)
私はこれからの事を考えて、思わず微笑んでしまいます。
「ノノさん。あなたの入学を歓迎致します」




