第三十九話
「はぁっ……」
少女――コノカ・トリエステは深い溜息をついた。
小柄な身体に白い外套を羽織り、背中まで届く灰色の髪を三つ編みにして纏めている。
紫の瞳は細められ、どことなくやる気のない表情をしていた。
年齢は16歳ほどに見えるが、顔立ちが幼く身長も低いため、もう少し下に見られることも多々あった。
しかしこれでも歴とした21歳である。
とはいえ、16歳で『タリアの娘』と本契約をしたため、年齢と見た目は関係ないのだが。
そう、コノカは『タリアの乙女』なのだ。
(私は何で、こんな所に居るのかな……?)
コノカはそう思い、これまでの人生を振り返った。
彼女は、小さな街のパン屋に生まれた。
家はそれなりに繁盛していたが、家族が多いため、あまり余裕は無かった。
彼女には姉、兄、妹、弟の順に兄弟が居た。
5人兄弟のちょうど真ん中であるコノカは親にあまり構ってもらえず、かといって家の仕事も手伝わず、勉強するでもなく毎日ダラダラと昼寝をして怠惰に過ごしていた。
毎日を非生産的に過ごす娘を見て、流石に父母も「これではまずい」と思い何度も注意するが、気付いた時には手遅れ。暖簾に腕押し、糠に釘。改善の兆候はまったく見られなった。
それでも何とかしようと、無理やりに『タリアの乙女』の試験を受けさせたのが、コノカが10歳の時であった。
そして奇跡的に合格するコノカ。
両親は、これで娘も人並みに真面目になる、と期待した。
しかし『タリアの乙女』の学部に入っても、これまでの習慣は変わらなかった。
むしろ授業はサボるし、出席しても寝ているため、問題児として扱われた。
それでも不思議と要領は良かったためか、それなりの成績を出し、16歳になるとあっさり『タリアの娘』と本契約を交わしたのだった。
一人前?の『乙女』になったコノカは、学院から軍部に異動した。
成り立ての『乙女』は実力が足りないため、数年間、軍部で鍛えられるのが習わしであったのだ。
コノカにとって軍部は地獄だった。
毎日を訓練(という名のオーバーワーク)に費やし、宿舎に戻る頃にはへとへとで動けなかった。
しかも訓練をさぼろうものなら、より訓練はハードになった。
こんなことなら、もう少し学部でゆっくりしていたかったと思うが、こればかりは仕方がない。
しかし辞めようとは思わなかった。今更『乙女』を辞めても、手に職のないコノカは野垂れ死ぬのがおちである。
そのため一刻も早く、別の部に移りたいと考えた。
(巡廻部は……旅とか面倒臭いのでパス。やっぱり駐在部でのんびりしたいなぁ)
狙い目はそれなりの規模の街。
大きい街だと色々と行事やしがらみが増えて面倒だ。かといって都心から離れると、魔獣の出没が多くなるため、それも避けたい。
それから5年。遂に待ち望んでいた機会が訪れた。
コノカに異動の話が来たのは、約一ヶ月前の事でもある。
彼女は小踊りした。これで辛い訓練とも、さようならだと。
そして派遣先を告げられ、……がっくりと肩を落とした。
彼女の行き先は、バール村だった。
この国の最西端に位置する小さな村だ。大した特産品がある訳でもない、地味な村。
しかしある筋では、かなり有名な村であった。魔獣の出没件数が多く、魔獣も凶暴。この国でも一二を争う危険地域なのだ。
しかも数年前には『街食い』と呼ばれる、巨大な魔獣が現れたとも聞く。
(……行きたくない)
しかしここで断ったら、次の派遣先が決まるのは何年後になるのか?それまで軍部で頑張れるのか?
彼女は今の訓練の辛さと、まだ見ぬ危険を天秤に乗せ、そして……。
そして、現在。
コノカは街道を進んでいた。
バール村までは、あと半日もあれば着く距離だ。
ここまでは魔獣との遭遇も無く、比較的平和に進んでこれた。
しかし、
「ウキャーッ!」
街道の真ん中でこちらを威嚇する魔獣。
体長は一メートル弱。体を茶色の毛に覆われ、顔の部分は赤い肌が露出している。
どこか中腰であり、手足の指は人間のように発達している。
つまり見た目は猿である。
普通と異なるのは、顔が縦長に伸びている点と、長く伸びた尻尾でる。
3メートルはあるだろうか。地面に垂れ下がっており、あんなに長いと邪魔ではないかとコノカは思った。
(あと少しで村だったのに……)
心の中でぼやきつつも、戦闘態勢を取る。
コノカは魔獣退治は得意じゃないし、熱心でもない。
しかし魔獣を放置して被害が広がるのを黙認するほど、職務を疎かにしない『乙女』だった。
「――トリエステ」
自身の内に宿る『娘』を呼び出すコノカ。
トリエステ。コノカと契約した物好きな『娘』だ。そしてやたらと好戦的な『娘』である。
『先手必勝!』
(分かっています)
トリエステに答え、
「汝、力を発現し、冷涼を用いて――」
文言を唱えるコノカ。
しかし猿の魔獣も黙って見ている訳ではなかった。
コノカの雰囲気が変わったのを察知し、その長い尻尾をしならせると、鞭のように振り回す!
(――っ!)
迫る尻尾を転がるようにして、避けるコノカ。
「――極寒に至る風で、全てを奪え!」
それでも口にした文言は中断せずに、完成した術が猿の魔獣を襲う!
コノカの突き出した手の先からは突風が吹き、猿の魔獣は吹き飛ばされまいと脚に力を入れ堪える。
だが、
「ウキャッ?」
戸惑いの声をあげる猿の魔獣。そのまま一気に熱が奪われ、凍りつく。
出来上がったのは、猿の魔獣の氷像。
コノカはそれに近づくと、「えいっ」と軽く指で押す。
氷像はそのまま後ろに傾き、地面に激突して粉々になった。
「一丁あがり」
『まだ不足』
「えー勘弁して下さいよ」
傍から見ると一人事を呟いているようにしか見えなかった。
しかし、その後方の茂みが揺れ、
「ウキっ?」「ウキーキーッ!」「ウキャーッ!」
わらわらと飛び出す猿の魔獣。
そして、コノカの足元に転がる仲間の死体を確認したのか、奇声を上げ始める。
「……」
『これは重畳』
絶句するコノカに、満足そうなトリエステの声が聞こえる。
そしてコノカは、……脇目も振らずに逃げ出した。




