第三十五話
(――くっ!)
心の中で悪態をつきます。
『街食い』の一撃で吹っ飛んだ私の体はぼろぼろです。
とりわけ酷いのが、『街食い』の尻尾が直撃した、右腕と右の横腹です。
この間ナナに折られた右腕がまた折られ、今度はもっと酷く、変な方向に曲がっています。
横腹の怪我は服に隠れて確認できませんが、呼吸の度に激痛が走り、確実に肋骨は折れているでしょう。
更に吐血もしているため、折れた骨が変な所に刺さったか、または内臓まで傷付けていたとしても不思議ではありません。
他にも至る所が打撲や擦り傷だらけです。
(……障壁が使えただけ、ましです)
木にぶつかる直前、かろうじて障壁の術が展開できました。
しかしそれで障壁は砕け散り、ほとんどの衝撃は逃せきれませんでした。
事態は最悪です。
私は重症で、体を動かそうとすると激痛が走り、まとに動けません。
センリは『街食い』に食われました。
ナナは別行動中で森の奥に居るため、この騒動に気付くかどうかすら定かではありません。
そして迫りくる『街食い』。
完全に詰みました。
先程まで私を突き動かしていた衝動も、今は静けさを保っています。
このまま意識を失いたい。そう思っても、痛みがそれを許してくれません。
たしか一年前も同じ様なことがありました。
ハリ殻ネズミの事件です。
あの時は、何の力もない唯の子供でした。
私はあの事件を契機に、強くなりたいと願いました。
そして今。
『タリアの乙女』になった私は、あの頃より強くなりました。
しかし私を庇ってセンリが居なくなり、そのセンリの仇を討つことすら出来ません。
かろうじて、『街食い』に一矢報いることは出来ましたが、ただそれだけです。
無力です。
「うぅ……」
(……センリ)
痛みと情けなさで涙が溢れ、嗚咽が漏れます。
かつて、これほどの無力感を味わったことはありませんでした。
心が挫けて、呆然とする私。
『――選びなさい』
しかし私に語り掛ける者が居ます。
それは、私の内に宿るインペリアでした。
まだ魔力が残っているため、契約が継続していたみたいです。
しかしこうも強く『娘』が意志を見せたのは、これが初めてです。
『このまま死を待つのか、戦って死ぬのか』
その内容に唖然とします。
どちらにせよ、待っているのは死でありませんか。
死ぬのは怖いです。
一年前に学習しました。
でも、
(今のまま、何もせずに死んでどうするのでしょうか?)
私の中に疑問が浮かびます。
死ぬのなら何をやっても意味がありません。……本当にそうでしょうか?
それで、私を庇ったセンリに顔向けが出来るのでしょうか?
その考えは、私の頭の中を一周して、
(どうせ死ぬのなら、死ぬまで足掻きましょう)
結論に至ります。
まだ私は死んでいません。
激痛を無視さえ出来れば、体は動く筈です。
インペリアも頷いています。
私は痛みに耐えながら、少しずつ体を動かします。
地面を這いずり、体を横にします。
(死ぬ前に、せめてもう一撃……)
その考えだけが私を動かします。
しかし、
(……?)
いつの間にか振動が止んでいることに気付きます。
迸る激痛の中、何が起きているのかを確認するために顔を上げます。
依然、視界に映るのは『街食い』の巨体。
その体は停止していて――いえ、小刻みに震えています。
また巨体の前半分を持ち上げている様子は、何かに悶えている。そんな風に見えます。
そして、私の空けた穴から勢い良く体液が噴出しました。
次の瞬間、
ドゴォ!
私が傷付けた胴体が盛り上がり、黒い装甲を打ち破り何かが飛び出しました。
そして私の前方――『街食い』を遮る位置に着地します。
スタッ。
ほとんど音はしませんでした。
その『街食い』を内側から破った物体は、一見した所、金属の塊です。
それなのに殆ど音を立てず、静かに着地したのはどういうことでしょうか。
もっと良く見ようと目を凝らします。
その金属の塊は、幾つもの装甲が重なっていて、ぼんやりと人型をしています。
そう、まるで鋼鉄の鎧のような。
(……鋼鉄、まさかっ!)
私がある考えに至った時、鋼鉄の鎧が動きだします。
ガシャンガシャンと音を立てながら装甲が稼働し、やがて完全な人型に変形しました。
その姿は、西洋の全身鎧の上に、更に幾つもの装甲を追加した様な出で立ちをしています。
「良く頑張ったなノノ」
全身鎧の中からくぐもった声がします。
その声は聞き覚えのある声で、私ははっとします。
そして私の見守る中、全身鎧の人物は頭部のバイザーをかき上げ、素顔を外に晒します。
「――センリさん!」
私は痛みを忘れて、彼女の名前を呼びます。
そう。全身鎧から顔を覗かせたのは、『街食い』に食われた筈のセンリでした。
センリが生きている。それだけで心の靄が晴れてきます。
「あぁ、遅くなってすまない」
センリはこちらに声を掛けます。
そして私の様子を確認すると、痛ましい顔をして、
「ノノ、もう少しだけ我慢できるか?」
優しい声を掛けます。
その声に、私は痛みを思い出して体が引き攣りますが、無理やり頷きます。
キキーーーッ!!
私達の前方では、『街食い』が体を中から破られた痛みに耐えられずに、暴れ出していました。
周囲の木々を嘆き倒し、地面に体を打ち付けていて、いつこちらまで巻き込まれるかか分からない状態です。
「私が『鋼鉄の聖女』と呼ばれているのは、この全身鎧だけが理由じゃない。一度決めたことを貫き通す『鋼鉄の意志』を備えているからだ」
センリは頭部のバイザーを下げます。
「――あいつを倒す!」
センリから、『街食い』の討伐が宣告されました。




