第百七話
「ご病気……ですか?」
「それもかなり性質の悪い病気です」
キリカの言葉に私は頷きます。
「日常生活にはあまり影響はないのですが、ふとした弾みで発作が起きて、その場合にどうしても私の治療が必要になってくるのです」
「じゃあ、私とサヨが救護室で聞いた声って……」
「はい。丁度、A子の治療を行っていた最中で、その時にA子が上げた声でしょう」
実は上げていたのは笑い声なのですが、ここはそのまま押し通します。
「その治療はノノさんしか出来ないのですか?」
「えぇ、そこが先程も言った通りに厄介な所なのです。実はA子の病気の原因は精神的なものでして、ある時に受けた衝撃的な体験が心の傷として残っていて、それを思い出すことによって病気の症状が出るのです。これ以上はA子の問題であるため詳しくは話せませんが、その体験には私も関係していて、どうしても私でなければA子の病気を抑える事ができないのです」
キリカの質問に答える私。
そう、私のせいでA子――アタラシコは覚醒してしまい、アタラシコ自身ではそれを抑えることは無理そうなのです。
「A子は病気のせいでたまに変な言動こそすれど、普通の女の子です。私は誤解されたままでも……良くはありませんが耐えられます。しかし病気のA子まで、その様な目で見られるのだけは不憫で我慢出来ません!」
「はー、なるほどね。にわかには信じがたい話だけど……キリカはどう思う?」
イブキは隣に居る妹に話を振ります。
「そうですね……私はその場に居た訳ではないので何とも言えません。ですが、戦場で人を殺した兵士はそれが原因で精神を病み、身体にも影響が出ると聞いた事があります。ですので、そのA子さんに似た様な事が起きても不思議ではないと思います」
「ふむ。サヨは?」
「私は、ノノちゃんは嘘は付いていないと思うよ。だから信じてみても良いかなーって」
真っ直ぐと私の目を見つめるサヨ。
私は少しだけ心苦しくなりますが、嘘は言っていないためジッと見つめ返します。
……まぁ確かに嘘は付いていませんが、詳細な部分をぼかして話しているのも事実ですが。
「サヨがそう言うなら、本当の事かもしれないね。で、私達は何をすれば良いの?」
「特に何も。救護室での出来事を他の人に話さないでいてくれれば、大丈夫です」
まぁ、もともと二人はこの話を忘れていた節があるので、何もしないで頂ければ助かります。
「ま、誰かに話すつもりも無かったしね。ここはノノに免じて、私達の中に仕舞っておく事にするよ」
「サヨもりょうーかーいっ!」
「そうですか。誤解が解けた様で良かったです」
イブキとサヨの言葉に私はホッと息を付きます。
何とかこれで、救護室の件が拡散するのを防ぐ事に成功しました。
「ノノさん。私も、姉さん達が口を滑らせないようにしっかりと見張っているのでご心配無く」
「ありがとうございます、キリカ先輩」
「いえ、妹としては当然の事です」
「はい。頼りにしています」
キリカ先輩もこう言ってくれるので、もう心配はいらないですね。
その横で、私達の話す姿を見て何か思い付いたのか、イブキとサヨは二人してニヤリと悪い顔付きになります。
「そ・れ・でー。代わりといっちゃ何だけど……」
「ノノちゃんにー、一つだけお願いがあるんだけどー」
「お願い……ですか。何でしょうか?」
私は首を傾げます。
「姉さん達!相手の弱みに付け込んでこちらの要求を通そうなどと、不謹慎ですよ!」
「なーなー妹よ。あまり硬い事を言うでない」
「そーそー。そうじゃないと、胸まで固くなっちゃうよん!」
「――なっ!?胸は関係無いでしょう!」
湯に浸かっており上気した肌が、煽られて更に赤くなるキリカ。
今にも飛び掛ろうとするキリカに、私は制止の声を掛けます。
「まぁまぁ、キリカ先輩。とりあえず抑えて下さい。まずは話だけでも聞いてみましょう。そもそも私が先に、頼み事をした様なものですし」
「ノノさんがそう仰るなら、良いのですが……」
引き下がるキリカ。
はてさて、一体どんな事を頼まれるのでしょうか。
普段のイブキとサヨの言動から見るに、何か変なお願いでなければ良いのですが。
「ノノさえ良かったらなんだけど。今日みたいに、これからも妹のキリカと仲良くしてくれないかな?」
「……はぁ、それだけですか?」
随分とあっさりしたお願いに、私は少し拍子抜けします。
「実はねー。キリカちゃんは二回戦の試合を見てからノノちゃんに興味を持ったみたいでー。今日なんて朝早くから闘技場に行って、一番良い席を取ってくれたんだ――むぐぅ」
「わーわー!?サヨさん、何をバラしているのですか!?私はただ純粋に、ノノさんの強さに興味を持っただけなのです!」
慌ててサヨの口を抑えるキリカ。
口を塞がれたサヨがその手を振り切ろうと、お湯の中で暴れます。
そしてそれを横目に、イブキが私の近くに寄ってきたので確認してみます。
「……そうなのですか?」
「本当だよ。ちなみにキリカが自分より歳下の娘に興味を持ったのはこれが始めてかな」
キリカには聞こえない様に、ヒソヒソと話すイブキ。
「キリカは四年生でAクラスになるほど強くて、昔から自分よりも弱い相手にはほとんど興味を持たないんだ。その上いつも私達と一緒に居るので、同級生や下級生で仲が良い娘が一人も居ない」
私が前にミノリから聞いた話では、四年生以下でAクラスになった生徒はこれまでに数える位しか居ないそうです。
そして現時点でAクラスに所属する四年生以下の生徒は、私とキリカだけらしいです。
「私やサヨは六年生だしね。いつ本契約を結んで、学院を出るか分かったもんじゃない。まぁでもキリカの方が優秀だから、もしかしたら来年になってキリカの方が先に学院を卒業しちゃうかもしれないけどね」
てへっと舌を出すイブキ。
そして今までのふざけた様子から、一気に真面目な雰囲気になります。
「今は良いけど、私達がいつまでも一緒に居られるって訳じゃない。必ず離れ離れになる時は来る。だからそうなっても寂しくない様に、キリカが普通に話せるような友達が居てくれると安心するんだ」
その顔は、まるで家族を心配するもので――。
その視線は、ナナが私を暖かく見守るものと同じです。
「――っ!姉さんはそこで、何の内緒話をしているのですか!?」
「えー?ノノにキリカの事をお願いしていただけだよ」
途端に普段の調子に戻るイブキ。
キリカの前では、いつも通りの様です。
「それでー、ノノちゃんの答えはどうなのかなー?」
さっきまでキリカと暴れていた筈のサヨが隣に居て、私に聞いてきます。
イブキとキリカも同じように私の答えを待っています。
「私で良ければ、キリカ先輩とは仲良くしたいと思っています」
「――そうですかっ!」
パーッと嬉しそうに顔を輝かせるキリカ。
私が差し出した手を握ると、「よろしく」と力強く握手をするので、私も「よろしくお願いします」と返します。
周囲に振り回されて苦労するキリカ。私は何だか、そんなキリカに共感みたいなものを覚えていて、キリカとは色々と話が合うと思っています。
「それから……イブキ先輩にサヨ先輩も。私は二人とも仲良くなれたらいいなと思います」
私はキリカとの握手を終えると、今度は二人の方に手を向けます。
「どうしようサヨ。この娘、思っていたよりも良い娘だよ!」
「落ち着いてー、イブキちゃん。ノノちゃんは一人、サヨ達は二人。二人の悪い心には敵わないよー」
落ち着きを無くすイブキに、どこぞの悪の手先が言いそうな事を喋るサヨ。
この二人はふざけていますがいつも楽しそうで、何だかこちらまで楽しくなってきます。
「それじゃ、よろー」
「よろしくねー、ノノちゃん」
「よろしくお願いします」
私は二人とも握手を交わします。
そして握手が終わるのを見計らって、
「――あのっ!それで早速なのですが、ノノさんに聞きたい事があります!」
身を乗り出すキリカ。
何だかこの間の真面目そうな印象が、段々と親しみやすい感じに変わっています。
「あー、私はもう上がっているよ」
「サヨもー。ずーっと入っていたから、ふやけてきちゃったよー」
イブキとサヨはお湯から出て行きます。
私も指がふやけていますが、キリカはまだ出る気配がないため、もう少しだけ付き合おうと思います。
「ノノさんは一年生なのにお強いですが、もしかして実家が貴族で小さい頃から鍛えられたのですか?それとも私の様に、実家が傭兵家業を営んでいたとかですか?」
「私はただの平民です。というか家が傭兵なのですか!?」
「はい。我が家は祖分の代から傭兵をしていて、戦いを求めて諸国を旅して回っていたのです!サヨさんの家族も同じ傭兵団に所属していて、私達は小さい頃から旅をしながら鍛えられていました」
嬉しそうに答えるキリカ。
なるほど現役の傭兵に鍛えられたから、三人ともあんなに強いのですね。と私は納得します。
「それなのにまた、どうして三人は学院に居るのですか?」
「実は今のご時勢では、傭兵家業も中々に不景気でして。とはいえ傭兵は戦う事しか出来ませんので、魔獣の出現が多いこの国にやって来たのです」
確かに魔獣の相手をするのなら、食うのに困らないかと思います。
私の居たバール村にはナナが居ました。しかし隣町には騎士団しか居らず、この国は魔獣に対して慢性的な人手不足の様子です。
「それで今は地方の領主の私兵をしているのですが、この国には『タリアの乙女』という魔獣退治の専門家が居るではありませんか。それでちょっと技を盗んで来いと言われ、姉さんとサヨさんが入学しました。そして私も二人を追って、この学院にやって来たのです」
「へー、そうなのですか」
「それでノノさんはどうして平民なのに、そこまで強いのですか?それに一回戦と二回戦では、別の『娘』と契約していましたが、もしかして他の『娘』とも契約しているのですか?だとしたら、それぞれの『娘』の固有武器も扱える事になりますが、どうなのでしょうか?それに、術の方も使えると小耳に挟んだのですが?あと――」
「――ちょ、ちょっと待って下さい!質問は一つずつにしてくれないと困ります」
怒涛の如く質問するキリカに、私はたじろぎます。
「最初の質問の答えですが、実は私の育ての親が『乙女』でして――」
……。
「おーい、キリカにノノ。いつまでお風呂に入っているつもり?」
「お昼を食べに行く時間が無くなっちゃうよー?」
何時までも浴場から出てこない私達を心配して、イブキとサヨが様子を見に気ます。
しかし――
「それで、ノノさんは三人目の師匠はどんな方なのですか!?」
「……ふぇー。あー……もうそろそろ上がりませんか?」
「もう少しだけ、お願いします!」
湯から出ようとする私の手を握り、引き止めるキリカ。
私は意識が朦朧として、抵抗が出来ません。
「――うわぁ、ノノが茹蛸の様になっているっ!?」
「キリカちゃん、もうやめてー!?」
――結局、キリカの質問責めに律儀に答えていた私は、まんまと湯に逆上せてしまいました。
……それにしても同じ時間だけ湯に浸かっていたキリカは、どうして平気だったのでしょうか?
まさか、鍛えられているからでしょうか?




