第百三話
基本的に『乙女』が仮契約を行う相手は、いつも決まった『タリアの娘』だ。
中には複数の『娘』と仮契約を行う『乙女』もいるが、そんな者はごく稀。
初めての仮契約から2~3回は他の『娘』と契約する事もあるが、回数を重ねる内に段々と契約する『娘』は固定されていく。
そして私――ミノリが『乙女』になってから契約した事のある『娘』はバーリのみ。
契約に時間は掛かるが、契約自体の成功率は高い。
それでも偶に仮契約に失敗する。
私が契約に失敗する時は大抵、私の心が安定していない時。
例えば仲の良かった友達と喧嘩した時、親しい生徒が学院から去った時、ふと一人で居る事が寂しくてどうしようも無い時、将来に不安を覚えて夜も眠れない時。
そんな私の心が不安定で揺れ動く時に限って、バーリとの仮契約は失敗する。
『娘』が契約に応じる条件は、『娘』しか知らない。
そして『娘』も契約した理由を『乙女』に語る様な事はしない。
だから『乙女』の精神状態とそれらに、因果関係は一切無いのかもしれないし、あるかもしれない。
(……そして今も)
大会四日目。三回戦、第一試合。
対戦相手のチームは、三人全員が仮契約を完了している。
それに対して私たちのチームは、未だ誰の契約も成功していない。いや、ただ一人ノノだけは、私かユカリのどちらかが契約するのを待っている。
このままでは一回戦の様に、ノノ一人だけを戦わせる事になる。
ただでさえ、ノノは先日の二回戦での疲れがまだ残っている。
いつも私よりも早く起きているノノだが、珍しく今朝は私よりも遅く起きたのがその証拠だ。
それに二回戦では身を挺して、私に助勢してくれた。
(これ以上、ノノに無茶をさせる訳にはいかない)
しかし想いとは裏腹に、バーリからの反応は一切返ってこない。
集中しようすればするほど、私の中で焦る気持ちだけが募るばかり。
私には原因に心当たりがあった。
昨日、救護室での出来事が気になっているからだ。
……。
二回戦終了後。
私は寮の自室で着替えると、ノノの制服を持って闘技場の救護室に向かった。
ノノはコミ選手に倒されて、気絶したまま救護室に運ばれた。またその時に制服は泥にまみれ、所々に穴が開いていたため、替えの服を持ってくる必要があった。
救護室前。
私は扉をノックしようとして、その扉がしっかりと閉まっていないの気付いた。
そしてその隙間からはノノともう一人、誰かの話し声が微かに漏れている。
(……誰?)
ユカリは次の試合を観戦しに行って、救護室にはノノの同級生であるアタラシコが残っていた筈だった。
しかし聞こえてくる声はアタラシコのものとは異なり、もう少し落ち着いた声。
そして気付く。ノノと話しているのはハルカだという事に。
(どうしてハルカがここに!?)
私は気になって耳を澄ます。
何を話しているのかは分からないが、時折「約束」とか「勝ったほうが~」といった単語が聞こえる。
もしかして以前にハルカがノノに言っていた、部屋へ引っ越す事について話しているのだろうか?
でもその事について、ノノはその気はないとはっきりと伝えてくれた。
では何の事?
私には見当が付かなかったが、ノノとハルカが楽しそうに会話をしているのは伝わってきて、途端に胸の内にズキッとした痛みが走った。
(――っ!?)
私は胸を押さえるが、すぐに痛みは消える。
今のは一体……?
しかし私が戸惑っている間に、ハルカが退出しようとこちらに向かってくる気配がする。
私は静かに扉から退くと、すこし離れた通路の角に身を潜める。
幸いにも、私が居る方向とは反対側に去っていくハルカ。
私の胸には痛みは残っていなかったが、今度はモヤモヤとしたものが残っていた。
その後は少し時間を置いて、何食わぬ顔で救護室の扉をノックした。
ノノがハルカと会っていた事については、盗み聞きをしていた事の後ろめたさと、ノノの調子が悪そうであったため聞けないままである。
……。
(……違う)
本当はハルカとの事を、ノノに聞こうと思えば聞けた筈。
それが出来なかったのは、聞く事で二人が仲良しだということを認めたく無かったのだ。
私は、私の居ないとところでノノとハルカが仲良くしているのが嫌なんだ。
(そして……この気持ちをノノに知られるのも怖い)
私はこんな自分が嫌になる。
そしてそのまま何も出来ずに今に至る。
胸には、私を無気力にしようとする雲がかかったまま。
でも、それでも!ノノのために試合には、勝ちたいと思っている。
今私が出来る事は、試合に出て勝つ。ただそれだけ。
(だからお願いバーリ。私の為ではなく、ノノの為に仮契約に応じてっ!!)
『タリア』との経路を通じて、必死に呼びかける。
しかし無情にもそのまま時間は流れ、カーンという鐘の音が契約時間の終わりを告げる。
(あぁ……ノノ、ごめん)
私は閉じていた目を開く。
試合場にはノノの姿が見える。そしてその横には――
(……ユカリ!?)
これまで一度も仮契約に成功していなかったユカリの姿があった。
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三回戦。
既に相手チームの三人は仮契約を終えて、試合場の中心で私達を待っています。
それに対してミノリとユカリの契約は難儀している様子です。
試合開始時や契約時間の終了時に鳴る鐘の傍には、鐘を鳴らす担当の教師が居て、更にその横には大きめの砂時計が置かれています。
その砂時計の砂も、そろそろ全て落ちてしまいそうです。
(……ブルーニコ、お願い!)
『よろしくっす』
流石にこれ以上は待ちきれないと判断した私は、ブルーニコと仮契約を結ぶと試合場に足を入れます。
このままだと一回戦と同じで、一対三です。
ただし前回と違うのは、今回の方が相手チームが強い事。そして私には昨日の疲れが残っており、魔力も完全に回復していない事。
圧倒的なハンデ。それでも私は、
(例え、一人でも勝ちを狙います!)
私やミノリ、ユカリのためにも、諦めることは出来ません。
そして、残った砂が落ち――
「――サレルノ!!」
――切る前に、ユカリが叫んで入場してきます!
そしてギリギリ鳴り響く鐘の音。
何と!まさかのユカリが仮契約に成功したため、二対三になりました。
私は「ユカリ」と呼びながら、ユカリに近付きますが、
「……ふふふふっ、そうだねぇサレルノ。僕も楽しいよぉ!」
一人で喋るユカリ。恐らく契約した『娘』と会話をしているのでしょう。
しかし独り言を口にしながら、ゆっくりと歩いてくるその姿は、ただただ不気味です。
「あの、ユカリ……?」
「あぁ……ノノか。ふふっ、ごめんね。久しぶりの契約だから何だかウキウキしちゃってねっ!」
いつもと口調が異なるユカリ。
まるでこれから起こる出来事が、楽しくて楽しくて仕方がないかの様です。
「だからね今日の試合は、僕に全部任せてくれないかなぁ?」
最初、私はユカリの言っている事に思考が追いつけませんでしたが、ハッとしてすぐに反論します。
「無茶です!相手は全員、Bクラスですよ!」
今日の対戦相手は三人共、Bクラス。
二人が顕現者で、のこり一人は術者。
戦闘が苦手と自分で言っていたユカリが、一人で敵うとは思えません。
「あれー、心配してくれるの?でも大丈夫だよ。僕はこれでもSクラスだからね。それに言う事をきいてくれないと――いくらノノでも食べちゃうよ?」
(――っ!?)
にぃっと笑うユカリ。
その笑みに、一瞬だけ背中の毛が逆立ちます。
いつもと違うユカリに何か得体の知れないものを感じ戸惑う私。
よく分かりませんが、とりあえずここはユカリの言う通りにした方が良さそうです。
「……分かりました。ただし、危なくなったら加勢に入りますので」
「ありがとう。愛してるよ、ノノ」
そのまま相手チームの方へ向かうユカリ。
それにしても、Sクラスなんて聞いたこともないです。
『乙女練武祭』に出られるという事は、Cクラス以上の実力を備えているとは思いますが、果たして?
そんな私の心配を余所に、ユカリは相手チーム前衛二人の前に進み出ます。
「やぁ、待たせたね」
緊張感のまったく無いユカリ。
「……先程チラリと聞こえたのですけど、貴女一人で私達三人の相手をするつもりなのかしら?」
「だとしたら馬鹿にされたものです!」
剣を持つ少女と槍を手にした少女が、ユカリに文句を言います。
とはいえ相手もユカリを警戒しているらしく、二人の後方に居る術者の少女はいつでも術を発現する準備が整っているみたいです。
「ふふっ、それはどうかなぁ?」
ユカリは不気味に笑うと、その右手に『娘』の固有武器を顕現します。
現れたのは刃渡り120センチはある黒い直剣。
そしてユカリは、無造作に黒剣を振るいます。
刹那、ヒュンッとした風切り音がして――
「……え?」
声を上げたのは後方に居る筈の術者の少女。
いつの間にか彼女の胸元には、ユカリの剣の先端部だけが突き刺さっています。
「――何だとっ!?」
槍を持つ少女が、術者の少女を振り返ります。
術者の少女からユカリまで距離にして約10メートル。
そして少女の胸元からユカリの手元まで、何かが伸びています。
そこには剣の刀身を分割した無数の断片が、それぞれ間隔を空けながら一直線上に浮いており、その断片同士を繋ぐように細い糸が通っています。
(――蛇腹剣っ!?)
ユカリが手にしているのは、前世では蛇腹剣や連結刃と呼ばれる武器です。
「あはははっ、まずは一人!」
ユカリが手元に残った剣の柄を引っ張ると、剣の刀身が引き戻されて、シャキンッと継ぎ目のない直剣に戻ります。
そして倒れる術者の少女。
それを見て相手の少女達は、慌てて武器を構えます。
「さぁ、君達はもう少し楽しませてくれるよねぇ?」
ユカリの口が、三日月の形に歪みます。
最近、影の薄かったユカリのターン!




