第一話
暗闇の中で、幾重の銀線が走る。そしてそれと呼応するように、獣の様な何かおぞましいモノの鳴き声が空間に響く。
太陽はとっくの前に沈み切っており、欠けた月とわずかな星々の明かりが、かろうじて周囲の判別を可能にしている。
そこから覗くのは、幾つかの崩れきった家屋である。小さな村程度の規模だろうか。
ほとんどの家の壁には穴が空き、又は崩れ、屋根から倒壊している建物も少なくはない。
人が住まないようになって、かなりの期間が経過してものと見られる。
以前は舗装されていたであろう道も凸凹と荒れて、人の膝丈まである草がぼうぼうと生い茂っている。
その中を幾つかの影が疾走する。
先頭を行くのは白く聖職者を彷彿させる服を身に纏った、銀髪の少女である。
何事にも興味を抱かない様な無表情のまま、息一つ乱さずに廃村を駆け抜ける。
その手には、少女の身には不釣合いな大きさの鎌が握られているが、それさえ重荷と思わせないような速度である。
それに追従する者が居る。
いや、人ではない。獣だろうか。
獣とも違う、異様なモノが存在する。
この世界において、『魔獣』と呼ばれるモノである。
黒い体躯は少女の身の丈よりも大きく、四本の足で駆ける様は狼を思わせる。
だが狼とは異なる。
何よりも異様なのはその頭部にあった。
目にあたる物は無く、また鼻も無い。
代わりに顔いっぱいに大きな顎門が広がっている。
その口内には剣先の様な、鋭い牙が幾多も生えている。
魔獣の数は三体。
「ギィェー、ギィェー」と鳴きながら、『く』の字に並んで正確に少女を追跡している。
不意に少女は急停止をする。その反動で足が地面の上を滑る。
先頭の一体は自らの獲物が止まったのを好機と捉えたのか、勢いを殺さずにそのまま少女に飛び掛る。
このままでは魔獣の顎門で、少女の体はズタボロにされるであろう。
そしてあと少しで牙が少女に届こうとした刹那――
一条の銀線が走り、魔獣の体は頭部から上下に分離した。
少女の振るう大鎌により、一刀両断にされたのだ。
魔獣の体躯が少女を避けて進む。
続く二体目の魔獣が、大鎌が振られた直後の隙を突き、地面を駆け少女に迫る。
だが少女が口で何かを唱えると、魔獣の顔が正面から何かにぶつかって動きが停止する。
その様子はまるで見えない壁に激突したかの様で、次の瞬間には少女の銀線により魔獣の首は跳ねられていた。
三体目は他の二体がやられたの感知して急制動する――が、逆に少女の方から距離を縮められ、姿勢の不安定なまま大鎌の餌食となった。
わずか一瞬の出来事である。
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「……討伐完了」
顔色一つ変えずに、大鎌に付いた獣の血を振り払いながら、少女は呟く。
少女の今回の任務は、廃村に住み着いた魔獣の駆除である。
街道から少し離れたこの村跡に魔獣が住み着き、近くを通り掛った何人もの商人や旅人が悲惨な姿で発見されていた。
少女が討伐した獣魔の数は七体。
少女の能力は、どちらかといえば一度に複数の敵と戦うよりも、一対一の戦闘の方が得意である。
そのため一体ずつ、個々に魔獣の数を減らしていった。
しかし魔獣を順に強襲する最中、四体目の魔獣を一撃で仕留め切れなかったため、死に際に魔獣が放った気味の悪い鳴き声により、他の魔獣に襲撃が感付かれてしまった。
已む無く、村を疾走しながら残りの魔獣を討伐することになったのである。
少女は周囲を警戒しながら廃村を回り、他に魔獣が居ないことを確認する。
万が一にでも打ち漏らしが居た場合、再びこの地に赴く必要がある。
そしてある程度村を回った所で、不意に少女は歩を止めた。
「……!」
力を感じた。
一瞬ではあるが、それは確かに少女が行使した力と同様の残滓を残している。
そして力が消えた直後、今度は何処からともなく声が聞こえた。
何か獣の鳴き声の様ではあるが、耳を澄ますと、それが赤ん坊の泣き声であることに気が付く。
こんな廃村に赤ん坊が居る筈が無い。
そう思いつつも、少女は声のする方に足を進めた。
その先には朽ちた修道院の様な建物があった。
奇しくも、少女が所属する組織が運営する施設である……いや、だった。
緑の蔦が壁を覆い、雨戸が破れていた。今は完全に廃墟である
鳴き声は修道院の中から聞こえてくる。
少女はそのまま修道院の扉を開けて中に入り、声の行方を追う。
少女が辿り着いた先は、神に祈りを捧げる祭壇であった。
天井には大穴が開き、そこからは月と星の光が壇上を淡く照らしている。
その明るみの中に赤ん坊が居た。
一糸まとわぬ姿の赤ん坊は、陶磁のように白い肌に、月星の光が銀の髪を輝かせていた。
少女は慎重に壇上に近づく。
「あぁーっ、えぁーっ!」
煩く鳴く赤ん坊を不審に思うが、嫌な気配は感じない。
むしろ少女と同じ力を濃く感じることで、赤ん坊が危険では無いと直感的に悟った。
何ともなしに、指で赤ん坊の頬をつついてみる。
すると赤ん坊は一瞬、泣き止んで少女の方を向いてから……再び泣き始めた。
しかも先程よりも喧しく。
少女は途方に暮れた。
これまで赤ん坊の世話をしたことが無いため、どうすれば良いのか分からないのである。
だが、さすがにこのままにする訳にもいかず、赤ん坊を撫でてあやそうとするが、今度は体を揺らして暴れ始める。
その反動で赤ん坊は壇上から落ちそうなり、慌てて抱き抱える。
――危なかった。少女は安堵する。
壇上は少女の胸の高さまであるため、赤ん坊の身であれば怪我をする可能性があった。
胸に抱いた赤ん坊を見ると、いつの間にか泣き止み、それどころか「あはっ、あはっ」と急に笑い始めた。
少女は赤ん坊の反応に呆気にとられるが、赤ん坊の笑顔を見ている内にあることに気付いた。
赤ん坊の瞳は澄んだ翡翠色をしている。
その吸い込まれそうな宝石は、少女の大切だった人と同じ色の瞳をしていた。
少女の脳裡を、一人の少女の記憶が蘇る。
一緒に育ったこと。共に遊び、また背中を預けあって戦ったこと。そして少女との別れ。
赤ん坊の笑い声が止んでいるのに気付き、ハッとして我に返る。
知らずの内に胸の奥底が痛み、赤ん坊を抱く手に力が入っていた。
いつの間にか、赤ん坊は眠っていた。
少女の腕の中で、まるで母に抱かれて安心するかのように。
すやすやと眠る赤ん坊を眺めながら、少女はしばらく考え込む。
やがて何かを決意すると、赤ん坊を抱えたまま修道院を立ち去る。
その少女の口元には、少女自身が気付かぬ内に小さな微笑みを浮かべていた。