第二部 校内に出没する手。
「聞いてる? ジュリア!」
心理学部の友人で、大学内では一番仲のいい藍子が少しムッして詰め寄って来た。
「聞いてるけど……気のせいじゃない?」
「気のせいじゃないの! いっぱい見た人がいるんだから!」
「……ふーーーん」
私の気の無い返事を聞いて、藍子は別の友人に同じ話をしにいった。
「手首だけの幽霊ねえ……」
一言だけ呟いて、私はまたレポートの作成に取り組んだ。
ジリジリとアスファルトの焼ける匂いが漂い、陽炎まで立ち上っている。
季節は夏になっていた。
「救い屋」清水さんとは、あれ以来会っていない。
「暑い……」
ハンカチで汗を拭きながら、私は今日もチャペルにいた。
清水さんに会えるかも? の期待が2割、後はもう日課みたいになっている。
静寂、平穏、そして心の調和。
私の中の何かが静かになる唯一の時間。
静かに静かに、心を満たす。
スーーッと私の側に光が一筋差した。
誰かが入って来たみたい。珍しい事もあるものだ。
一番前の席に座ってお祈りしているフリをする。
そうすれば、誰にも邪魔をされない。
「ジュリア!!!」
私の静寂を破る声。
「ハーフさんだから、やっぱりキリスト教なんだ。知らなかった」
どかどかと私の横に腰を下ろしたのは藍子だった……。
・・・・・
「は? 凄い霊能力者がいる?? 何それ?」
チャペルから移動して校内の食堂へ移動した私達だったが、藍子がチャペルへ現れた理由が凄かった。
さっきの話「手首の幽霊」退治を校内の霊能力者に頼む所だったのだと言う。
校内の霊能力者……相手は多分10中8,9……。
「なんかね。噂なんだけど、チャペルに出入りしてる男の人が霊の専門家でお願いしたら徐霊を引き受けてくれるらしいの。何人も頼んだ人がいて……でも中々会えないらしい。ジュリアは知らない? チャペルによく現れる男の霊能力者」
「知らない」
アイスティーをかき混ぜながら興味がないように言う。
手にヘンな汗をかいてる事は藍子にはばれてないだろう。
それにしても「霊能力者」とは……。
あの人の力は霊能力と言うより……。
「知らないなら仕方ないや。もう全然会えないし、どんな人かもわからないし、私がなんとかするよ」
考え事をしていた頭に、とんでもない言葉が聞こえた気がした。
「え? 何て?」
「だから! 私がなんとかする! だっていつも使ってる101教室だよ。気持ち悪いし、それに……彼氏が」
藍子もアイスティーをかき混ぜながら言いよどむ。
「彼氏? が何?」
私が話しに食いついたので、びっくりした顔をする藍子。
素人が簡単に徐霊とか何とかするなんてとんでもない! って事を教えなければならない。
私の秘密がばれないように遠回りに……。
「彼氏がね。101教室で手首に掴まっちゃったの。それから様子がおかしいの」
ふうう。
私は藍子に聞こえないように小さくタメ息をついた。
・・・・・
夕暮れが迫った101教室に1人立つ。
特に何も感じない。唯のガランとした教室だ。
あれから、藍子に事細かに説明をしてもらった。それで少しは事情を呑み込めた。
藍子の彼氏と藍子はよく空き教室で待ち合わせをしていた。その日はたまたま、101教室だったのだと言う。藍子が少し遅れて101教室に顔を出すと、彼氏が顔面蒼白で立ち尽くしていた。
声をかけてもまったく返事をしない。体を揺さぶってやっと藍子に気づいたそうだ。
「手首だけが現れて、俺の手を引いてどこかへ連れて行こうとした」
彼氏の言葉である。
さすがの藍子も信じられずに「気のせい」にして、その日は帰った。
そこから、彼氏は異様に外出するのを拒むようになった。最近は大学にも来ないそうだ。
「手首が俺をどこかへ連れて行く」
そう言って怯えきっているらしい。
困った藍子は友達に101教室の事を聞いた。そうすると「手首の怪」らしき話がたくさん出てきた。
パターンは違うがどれも最後には「自分をどこかへ連れて行く気がした」で終わる。
これは本当に彼氏が「手首に呪われた」のだと確信した藍子。
いい霊能者情報をさらに求め、なんと校内に「凄い霊能者」がいると聞き出す。
それで、どんな人かもわからず探し回っていたわけだ。
本当に…………ご苦労様。
「はあ。何やってるのかな私」
何も現れず、感じない教室で途方にくれる。
藍子には「霊能者に心当たりがあるから、探してあげる」と説明して今日は帰ってもらった。
素人がいても邪魔なだけだし……
そこまで考えて苦笑いが出た。
自分だって「呪い」のプロではあっても「徐霊、霊捜査」では素人だ。
それでも、現れたらアレが使えるかもしれない……。
アレが通用するなら「藍子の彼氏」を助けれるかも知れない。
私にも「救え」るのかも知れない。
バッグから取り出すのは封呪の札と御霊呼せの鈴。
今日は正装ではないので、自分用に悪霊除けの結界を、直接教室の床にチョークで書く。
後で掃除するから許してもらおう。
さて、後は「手首」さん達を呼ぶだけです。
私は御霊鈴を軽く握り締めた。