第一部 初事件へ。
怖いくらいの真剣な目に見下ろされて、心臓が跳ねた。
「あ……あの……」
「不用意に近づくな。わかったか? たとえ外人、あんたでもな」
外人……ショックを受けている自分を感じる。
幾度となく言われ続けてきた言葉なのに、この人に言われると刺さる。
「ジュリアです……」
気がつくと小さく反論していた。
「何?」
「ジュリアです! 外人なんて言わないで!」
男の人はびっくりして、目を見開く。まさかそんな事で反論されるとは思ってなかったのだろう。
「ごめ……ん。外人は失礼だった。俺は清水だ。清水大河ここの宗教科3回生」
私もちゃんと名乗ろうとしたが、先に清水さんに口を開かれた。
「……でジュリアちゃん。あの霊さんに近づいて何するつもりだった?」
やっぱり、と思った。
清水さんになら見えてるに違いない。何故だがそれは当たり前だと感じた。
「何……と言われても……。唯、呼ばれたから……」
まさか、呪い依頼のお客様でしたから、とは言えない。
「ふっ。呼ばれたら行くんだ。あんなヤバイ顔してる霊の側でも。やっぱり変わってるな」
「変わって……る?」
それだけ? それだけしか感じないの? それなら、この前の……
「天使の悪魔ちゃん。君の力でも近づかないほうがいいんだよ。不用意にはね。それに……おっと。消えたか」
振り返ると、女の人の生霊は消えていた。
自分の元へ帰ったのだろう。それでも、急いだほうがいい。
あんなに「はっきり」見え出してるのは危険信号だ。
「私、行かないと……」
名残惜しい気もするけど、優先順位は「生霊」が先だ。
「どこへ?」
清水さんに言われて気がついた。
私はあの人の家も学校も名前すら知らない。それに何故こんな場所に生霊が現れたのかも……。
私の困った表情を見て清水さんが苦笑いした。そして言った。
「ついて来いよ」
・・・・・
私は何故、ほとんど初対面の男の人の車に乗り込んでいるのだろう。
自分でも信じられない。
隣でハンドルを握る清水さんを横目で盗み見る。
清水さんは私が乗ってるのが当然のように平気な顔で運転している。
もしかしたら、私の存在すら忘れてるのではないか? なんて少し心配になってくる。
「ついて来い」それだけで、それ以外は何も教えてくれない。
信じて、ついて行くしかないか……私は小さくタメ息をついて、視線を前方へ戻した。
大学から車で1時間ほど走っただろうか?
小さくて小奇麗なオフホワイトのマンション前に車を止めた。
「ここだな」
清水さんは車を降りてマンション内に入っていく。
訳もわからず、私も清水さんの後を小走りでついて行った。
オートロックの玄関を清水さんはカードキーを使って開ける。そのままエレベーターに乗り3階へ。
303と書かれた部屋の前で立ち止まり、またカードキーを使って部屋を開けた。
ドアが開いた瞬間に背筋が凍りついた。
室内からものすごく「邪悪な念」を感じる。これは……何??
私の蒼白になった顔を見て清水さんが少し笑う。
「感じるか。やっぱりな。すごいだろう、恨みの念は……」
これが、本人の発する恨みの……念。
私も数々の呪いをかけてきた自負はある。
それでも、やっぱり呪う相手は所詮自分にとっては他人だったと、あらためて痛感した。
所詮は、依頼されて金銭で相手を呪う商売。
本人が発する憎悪の念には勝てる訳がない。
足が竦んだ。
怖い、怖い、怖い!!
恨まないで! 呪術師を恨まないで!!
恐怖が2年前の悪夢まで蘇らせる。
背中を1つポンと叩かれた。
フッと恐怖が消える。
「ジュリアちゃん。自分まで、この念に呑まれてどうする? 助けようと思ってたんだろ? さっきは」
お見通しだった事に驚く。でも、ものすごく安心する。不思議な気分だ。
落ち着いて、深呼吸する。
対応を誤らなければ大丈夫。私は負けない、こんな念には負けない。
私は「呪術師」ジュリアなんだから。
清水さんと目を合わして頷く。
私たちは、恨みの念が渦巻く室内へ足を踏み入れた。
ベッドの上に座り込んだ人影。乱雑に散らかった室内。異臭。
ベッドの上の人はピクリとも動かない。
そろそろと近づきベッドの側に立つと、人影がサッと顔を上げた。
こけた頬、青いを通り越してしまったどす黒い顔色、ひび割れた唇。
1ヶ月程前に会った時とは別人に成り果てていた。
「誰?」
ひび割れた唇から小さい声が漏れる。
よかった。まだ正気を保つ事は、かろうじて出来ているようだ。
「ジュリア。私はジュリア。あなたは誰? どうしてこんな事になってるの?」
「……どうして?」
女の顔に苦悩の表情が浮かぶ。
どうして? どうして? どうして?
小さい声で繰り返している。
「あの男が!!!」
突然激昂して、女がベッドから私に飛び掛ってきた。
押し倒されて首を絞められる。
「あの男が!あの男が!あの男が!」
唾を飛ばしながら私の首を絞め続ける女。
また、正気を失って……い……る……。
油断した。
そう思っても遅い。
私の意識は徐徐に、白い靄に包まれ消えようとしていた。