04-A
傭兵になって2ヶ月が過ぎたある日、私は数日前に手紙の返事をくれたある人物に会うため、オルトリンデ南部へ向かう汽車に乗っていた。
「……楽しそうだね、フランカさん」
向かいの席で、ふわふわの茶髪を揺らしながら窓の外を眺めているフランカにそう言うと、彼女は「はい!」と元気よく返事をして、キラッキラの瞳をこっちに向けた。
「ティナさんは楽しみではないのですか? 5ヶ月振りにお会いするというのに」
「え? そりゃ楽しみだけど……」
「ですよねぇ」
そうしてまた、窓外の緑ばっかりの景色に視線を戻すフランカ。
あの人に会うのは久し振りだからワクワクもするけど、到着までまだ4時間はかかると思うと、今からそんなにはしゃぐ気にはとてもなれない。
……そして3時間経過。さすがのフランカも、おとなしくなっていた。
途中の駅で伸びをしたり、交代で外に出たりして気分転換をしていたものの、座っているだけというのは妙に疲れるものだ。
でも、あと少し。あと30分くらいで着くはず。
もう少しの辛抱だ……。
「――ぅわあっ!」
「ひゃぁっ!」
そんなことを考えていたら、突然、耳を劈くような音を立てて汽車が急ブレーキをかけた。
その衝撃で、私は前のめりにフランカの方へ倒れ、彼女の腕と胸に受け止められる。
汽車は金属を引っ掻くような音を立てながらスピードを落としていき、やがて停車した。
「なっ、なになに? 何が起きたの?」
「ティナさん、あれ!」
私が動揺に声を荒らげた時にはすでに、フランカは窓を開けて進行方向の様子を見ていた。
「あれは、……牛、ですよね?」
「牛?」
にわかに騒がしくなった車内。
私はフランカと同じ窓から顔を出し、彼女が指差す方向に目をやる。
「何あれ……」
複数の乗客が窓から顔を出し、その光景を見ていた。
その視線が集まる先、そこにいたのは、確かに牛だ。
でも、一頭だけじゃない。かなりの数の牛の群れが、ぞろぞろと線路を横断しているではないか。いや、たった今横断し始めたのか。
「おいおい、柵が壊れてるぞ」
ん?
「ホントだ。牛が壊したのかな」
「こりゃ時間がかかりそうね。もう少しで着くっていうのに」
反対側で窓の外を覗いている客らが、辟易とした声を上げている。
気になったので、通路を挟んだ反対側の空いてる席の窓を開けて、顔を出してみた。
「……ぁ」
なるほど。この辺りは放牧地なんだな。
広大な草原の中にいくつもの柵があり、その中には、ここから見えるだけで何十頭もの牛の姿がある。
そして、その柵の一つ、その一部が破壊され、牛の列が漏れ出てここまで続いていた。
見れば、牛飼いたちが大慌てで牛を連れ戻そうとしている。
「わぁ、大変そうですね」
「!」
いつの間にか、私の顔の下にフランカの頭があって、びっくりした。
「でもこれでは、汽車はしばらく走れそうにないですね」
その頭が動き、私を見上げる。
ふわふわの髪に、上目遣いの綺麗な瞳、小さな顔。
なんだ、この可愛い生き物は。
「ティナさん?」
「へっ? あ、なに?」
フランカの声に、我に返る。
「席に座って待ちましょうか」
そう言って、低くしていた体勢を元に戻すフランカ。私は「そだね」と応じて、2人で席に戻った。
汽車が再出発するに至ったのは、それから30分ほど経ってからだった。順調に走っていれば、今頃目的の街に着いていただろう。
牛飼いたちは、とりあえず汽車が通過する間だけは全力で牛たちを止めることにしたようで、線路の向こう側に渡ってしまった牛も含め、線路に近付けさせないように動き回っていた。
牛たちの横を通り過ぎる時、フランカは楽しそうに彼らに手を振っていた。
そうしてオルトリンデ南部の街オラーリャに、予定より30分ほど遅れて到着。
もうすっかり太陽は真上を通り過ぎ、そして私のお腹は空腹を訴えていた。
「とりあえず、先に食事を済ませてしまいましょうか」
フランカの提案に、私は一も二もなく「うん」と同意し、2人で食事ができる店を探すために駅前広場を歩き出した。
5ヶ月ほど前、私とフランカは傭兵採用試験を受験するため、オルトリンデの中心部にあるカランカへ行った。
そして、試験会場内の受験者寮にて、ある少女たちと同室になったんだ。
その内の1人、イライザ・ヴィッカーズに会うために、私たちはこのオラーリャの街を訪れた。彼女は、この街で一人暮らしをしているのだという。
まずイライザに、会いに行ってもいいかなという内容の手紙を出し、同時にフランカにもその旨を伝えた。
そして数日前にイライザからの返事が届き、フランカと予定を合わせて今日に至ったというわけ。
イライザからの手紙には、彼女が暮らしている集合住宅の住所と、駅からそこへ至るまでの道のりがとても簡素な絵で記されていた。
小さな食堂で遅い昼食を済ませた私たちは、道行く人に集合住宅の住所を見せて行き方を教えてもらいつつ、イライザの手書き地図も駆使してオラーリャの街なかを進んでいった。
やがて、妙に賑やかな狭い通りが目に入り、足を止める。
「商店街でしょうか」
「だろうね。なんかいろいろ売ってるし」
地図を見れば、ここは迂回するようにとわざわざ注意書きがある。
そしてもう一度通りに目をやれば、なるほど確かに、これだけ混雑している中を進むとなると、余計な時間がかかってしまうだろうことが容易に想像できる。
「どうする? 迂回しろって書いてあるけど」
「お店を見ながら進むのも楽しそうですが、イライザさんをお待たせするわけにはまいりませんね」
「そだね。ただでさえ、汽車の到着が遅れたわけだし」
ということで、もう一本向こうの道へ行こうとした、その時だった。
「誰かー! その男を捕まえて―!」
「!」
踏み出そうとした足が止まり、戻る。
「何?」
女性の叫び声が、商店街の通りのどこからか上がった。続いて、人々のざわめきが届く。
「バッグを盗られたの! 早く捕まえてっ!」
その声と共に、遠くの方で人ごみが左右に分かれていっているのが見える。
そしてそれは、じょじょにこちらへ向かってきていた。
「……強盗のようですね」
フランカの言う通り、こちらに向かって逃げてきているのはナイフを持った男だ。
左手には、奪った物であろうハンドバッグを握っている。
「どけどけー!」
強盗はナイフを振り回して威嚇しながら、立ちはだかろうとする者たちを退けて走ってくる。
強盗に飛びかかろうとした男性たちも、奴の雑なナイフ捌きに怯んで手が出せない。
「……」
私はおもむろに、肩から斜めに掛けていたバッグを外してフランカに差し出す。
「ティナさん?」
「ちょっと持ってて」
フランカはきょとんとしながらも手を出し、バッグを受け取る。
次の瞬間には、私は商店街の中、こちらへ走ってくる強盗に向かって駆け出していた。
「どけや、おらぁっ! 斬っちまうぞぉ!」
強盗はナイフをぶんぶん振り回しながら、声を張り上げ続けている。うるさい奴だ。
だけど、このまま放っておけば逃げられてしまうし、誰かが斬りつけられてしまう危険性がある。ここで捕らえるべきだ。
そして、強盗の目が前方から迫る私を捉える。
奴は一瞬驚いたような顔を見せたものの、私が女と見るや余裕を取り戻し、口の端を吊り上げる。
「死にてぇのか、ガキぃ!」
醜い笑みの強盗との間合いが、詰まる。
「怪我しても知らねぇぞぉっ!」
そう叫びながら、ナイフを振り上げる強盗。
「よっと!」
その瞬間を逃さず、私は一瞬速度を上げて大きく一歩踏み出し、袈裟懸けに振り下ろされるナイフの下を体勢低くくぐり抜けると、その勢いのままに強盗に足払いを食らわせる。
「おわっ!」
強盗の身体は一瞬浮き上がり、直後、べちゃっと顔面から地面へ激突。
「ふん!」
「うがっ!」
それから強盗の右手首を思いっきり踏みつけ、ナイフを手放させ、奪い取る。
「――ひぃぃっ!」
そうして、すでに抜き放っていた剣を、起き上がろうとする強盗の鼻面に突きつければ終わりだ。
私たちを取り巻いていた人々から、拍手と歓声が上がる。
「くっ、くそがっ!」
それでも男は周囲に目を走らせ、逃げる算段を始める。
「やめとけよ、おっさん」
「ひっ!」
立ち上がろうとする強盗の後ろから、もう一本別の剣が突き出された。
「え?」
その聞き覚えのある声に、私は顔を上げる。
「イライザさん!」
そこにいたのは、紅褐色の髪の少女――イライザ・ヴィッカーズだった。