03-A
「よぉし、もう少しこっちだ。そうそう。じゃあ、置くよ~。足元に注意してね」
「はい!」
運んできた大きな本棚を壁際の床にそっと置き、大きく一息。
「ほれ、休むな。次行くぞ~」
「うぅ、はい!」
そうしてまた、次の家具のもとへ駆ける。
私は今、引っ越し業者の手伝いとして客の家に来ている。馬車で次々に運ばれてくる家具などを、業者の人と協力して家の中へ運び込むんだ。
もちろん、これも傭兵として請け負った仕事。
そういえば最近、こんな力仕事ばっかりやってるなぁ。筋肉痛やら疲れやらが、溜まる一方だ。
日が沈みかける頃、ようやく全ての作業が終わった。
「おぅ、姉ちゃんよ。あんた若ぇクセに根性あるな。気に入ったぜ」
馬車の荷台の縁に座ってぐったりとしている私に、業者のおじさんたちが次々に声をかけていく。
「そんなほっそい腕して、なかなか力あるなぁ」
「いやぁ、助かったよ。最初は、どうなるか心配だったんだが」
「またここらで仕事があったら来てくれな。待ってるぜ」
私はそれらに、「はい」とか「へぃ」とか短い返事を返すことしかできないでいた。
……あれだけの作業をしたにもかかわらず、元気に笑ってベラベラと談笑できるおじさんたちに、私は感心するばかりだ。全員、私より20は歳上だろうに。
やっぱり、経験ってのは大事なんだな。こんなキツい仕事でも、ずっと続けていればあんなふうに平気でいられるようになるんだもんね。
私も、もっと頑張らないとな。
業者の人たちと別れ、協会支部で報告を済ませて帰路についた私は、服のポケットから手帳を取り出して開いた。
そこには、今日の予定やこれまでにやった仕事が記してある。
明日からの予定はまだ真っ白だ。また明日、仕事を探しに行かなきゃいけない。
そういえば、まだ二日以上かかる仕事をしたことがないな。これまでやってきたのは、手伝いやお使いみたいな一日で終わる仕事ばかりだったから。
でも、まだまだ新人だし、そういう仕事は任せてもらえない。
ああ、剣を思いっきり振るえる仕事を早く請け負えるようになりたいものだ。
「ティナ!」
「!」
商店街に差し掛かった時、突然声をかけられて視線を上げると、見慣れた顔がそこにあった。
「アレット」
文房具屋からちょうど出てきたらしい少女――アレット・フランクが、笑顔で手を振りながら駆け寄ってきた。学校帰りかな?
彼女はいつも、前髪を横に分けてピンでとめている。そうして露わになっているちょっと広めのおでこはツルツルのツヤツヤで、とっても綺麗だ。
「仕事終わったの?」
「うん。ついさっき終わったとこ」
私の横に並んで歩き始めたアレットは、私の顔をまじまじと見つめてから口を開いた。
「なんか、すっごく疲れた顔してる。大丈夫なの?」
心配してくれるのは嬉しいけど、疲れてるのは今日に限ったことじゃない。
「大丈夫だよ。こんな疲れなんて、一晩寝れば吹き飛ぶから」
「いや、そうじゃなくて、勉強の方」
「え?」
ハッとしてアレットの顔を見れば、じと~っと細められた彼女の双眸と出会う。
……そうだった。
「また途中で寝ちゃったりしないでよ?」
「あ、……うん」
傭兵になってからというもの、私は学校を休みがちになっていた。
今のところ、傭兵候補生だった時よりも、学校へ行く頻度が落ちているんじゃないだろうか。
それはマズいということで、アレットが前にも増して私に勉強を教えに来てくれるようになった。
さすが優等生なだけあって、教え方はかなりうまいと思う。
スラスラと頭に入ってくるし。
でも疲労のせいで、すぐに眠たくなっちゃうんだよね。
それでこれまでに、何度怒られたことか。
「今日は大丈夫。まだまだ、体力有り余ってるし」
本当は、今すぐ帰って眠りたいくらい疲れてるけど。
「嘘。死ぬほど疲れたって顔してるじゃない」
「うっ」
やっぱり、お見通しか。
「ティナ。定期試験はちゃんと点数取れるようにしておかないと、ホントにヤバいよ? 仕事も大切なのはわかるけど、勉強もしっかりやらなきゃ」
「うん。わかってる」
仕事の頻度さえ落とせば、勉強に使える時間はぐっと増える。そんなことはわかってる。
でも、今月には父の貯金も底をつくだろうし、本格的に私の稼ぎが重要になってくるんだ。
簡単な仕事しかさせてもらえない以上、数をこなすしかない。だから、一日にいくつか仕事を掛け持ちすることだってある。
今日も、引っ越しの手伝いの前に別の仕事を一つこなしてる。そのせいで、もうクタクタだ。
……悪循環だなぁとは思うけど、どうにかうまくやっていくしかない。
だけど案の定、勉強開始から30分も経たないうちに、睡魔が私の意識を踏み潰そうと襲いかかってきた。
首がカクンカクンとなるたびに、アレットの手刀が私の頭部に振り下ろされる。
結構な衝撃なんだけど、それくらいされないと起きられないのだから仕方ない。
ここは私の自室。風呂で全身の汚れを落とした後、私はアレットの生徒になっていた。
「じゃあ次、この問題ね」
「はい」
アレットは私の先生。だから私は、勉強中は生徒になりきる。
「えっと、……こうですか?」
「そうそう。じゃあ、これがこうなったらどうなる?」
「これとこれがこうなって、……こうですか?」
「うん。じゃあ次。これはちょっと難しいと思うけど、まずは自分でやってみて」
「はい」
……こんな感じで、アレットとの勉強は2時間ほど続く。
そうして勉強が終わると、アレットを交えた夕食の時間となる。
「いただきます」
「どーぞー」
彼女の時間をわざわざ私のために使ってもらっている以上、タダで帰すわけにはいかない。
せめてものお礼にと、妹ミリィの作る夕食を振る舞っているというわけだ。
「ん~、美味しい! 私、この味付け好きだなぁ」
野菜がゴロゴロ入ったスープを美味しそうに食べるアレットに、ミリィは嬉しそうに微笑む。
「ちょっと多めに作ったから、たくさんおかわりしてね、アレットさん」
「うん。ありがとー」
幸せそうなアレットを横目で見つつ、私も一口。
……確かに美味しい。料理に関してはそれなりに自信がある私だけど、実力的にはもう妹に追い抜かれてしまっているかもしれない。
それがちょっと悔しかったりする。
「ところでアレットちゃんよ。こいつの勉強はどうだ、捗ってるかい?」
明るい表情で問う父に対し、アレットは口の中の物を飲み込んでから、「はい」と頷いた。
「一度教えたら忘れないでいてくれるので、結構順調に進みますよ」
それを聞いた父は、「へぇ~」と私に怪しげな笑みを向ける。
「お前、勉強の方も、結構物覚え良かったんだな」
それは褒めてるの? まぁいいや。
「アレットの教え方がいいからでしょ。私1人だったら、こうはいかないよ」
「だよねぇ~」
割り込んできたのは、弟のスヴェンだ。腹立つな。
ジロッと睨んでやると、スヴェンは慌てて食事に戻る。その顔は笑ったままだ。
「でも、ティナ自身にやる気がなかったら、私がいくら上手く教えても頭に入らないでしょ? 仕事で疲れてるのに、ホントすごいと思うよ」
そう言ってもらえると、嬉しいな。だからこそ、頑張れるのかもね。
「言ったでしょ? まだまだ体力は残ってるんだって」
握り拳を作って見せると、またスヴェンが「じゃあ、食べ終わった後も勉強したら?」と余計なことを言う。
すかさず言葉を重ねるのはミリィだ。
「もう無理でしょ。だって、姉ちゃん疲れきってるもん。目なんか真っ赤だし」
アレットも「確かに」と同意見。
それが一番わかってるのは、ほかの誰でもない自分自身。
うん。さすがにもう無理。
気を抜いたら、熱いスープにどぼんと顔を沈めちゃいそうなくらい、眠気が私の全身を蝕んでいる。
だからこうして、口に入れたものを必要以上に噛んで脳を刺激して、どうにか意識を保っているんだから。
「ちょっと姉ちゃん! どこ刺してるの」
「へ?」
ミリィに指摘されてようやく、私はテーブルをフォークでガツンガツンと刺していることに気がついた。
……ああ、もうここで眠ってしまいたい。
翌日の朝、私はまた学校を休んで、協会支部へ仕事を探しに出かけた。
「ん?」
支部の小さな建物の前に、一台の大きな馬車が停まっている。
近寄ってみると、これがまた随分綺麗な馬車で、客車を引く2頭の馬も落ち着いていて、どこか気品を感じさせる。
支部の出入口の横で、腕を組んで立っている男が1人。私はその前を通って支部のドアを開き、中へ入った。
そして、こちらへ振り返ったその人物と目が合う。
「……ティナ?」
「? ……――あっ!」
そこにいたのは、数ヶ月前に出会った、あのAAAランク傭兵の少年だった。