10-A
突然、使用人として働いてくれなんて言われても困る。
だけど、傭兵としての私への仕事の依頼ってことなら、無下に断るわけにもいかない。
……仕方ないよね、うん。
ルイスの話によると、このお屋敷は随分前に持ち主が亡くなって以来、ずっと空き家として管理されていた物件のようで、それを、彼がつい先日購入したということらしい。
問題なのはその後で、どうにか数人の使用人を雇うことができたものの、人手が全く足りずに、掃除がなかなか進まないまま現在に至っていた。
そこへ、ちょうど現れた私が偶然傭兵だったことから、それなら使用人として掃除を手伝ってくれと依頼しようという話になったようだ。
ルイスと、メイド長シャノンの話し合いで。
私にそんな依頼をするより、さっさと使用人の数を増やせばいいのにと思ったけれど、どうやら難しいようなので、文句は言わないでおいた。
「……」
そして今、私は姿見の前にいる。
鏡に映っているのは、使用人の制服を着た1人のメイド。……私だ。
ルイスからの依頼を受けてすぐに、シャノンによって衣裳部屋へ連れて行かれ、そこで下着姿になって上から下まで身体のサイズを測られた後、ちょうどいいサイズの制服を渡された。
それを、着方を教わりながら着てみれば、メイドさんの出来上がり。
自分で言うのもなんだけど、結構似合ってると思うんだ。
……これ、ホントに私?
「似合うわね」
シャノンは満足げにそう言うと、「さ、次行くわよ」と衣裳部屋を出て行く。
「え? は、はい!」
もうちょっと自分の姿を見てたかったんだけどな。慌ててシャノンを追って廊下へ。
次に連れて行かれたのは、衣裳部屋の向かいにある使用人用の休憩室。
そこにはすでに、このお屋敷の使用人全員が集められ、くつろいでいた。
……シャノンと私を入れても、たったの6人しかいない。
しかも、全員女性だ。
じゃあ今までは、この大きなお屋敷をメイド5人で掃除してたってこと?
そりゃなかなか進まないわな。
部屋の中心付近にある丸いテーブルを囲んでいたメイドたちは、シャノンと一緒に部屋に入った私へ、一斉に好奇の目を向けてきた。
「突然ですが、今日から4日間、この子にここで働いてもらいます」
そう言った後、シャノンは私に「じゃあ、自己紹介して」と促してきた。
私は一歩前に出て、ちょっとだけ緊張しつつ口を開く。
「えっと、はじめまして。ティナ・ロンベルクといいます。普段は傭兵として働いています」
すると、「傭兵?」と誰かが発し、ざわざわし始める。
「お屋敷の主人に依頼され、ここで使用人として働くことになりました。みなさん、少しの間ですが、よろしくお願いします」
そして、一歩下がる。
すると、メイドたちは一斉に立ち上がり、私に歩み寄ってきた。
その中には、あのヘザーの姿もある。
「ティナさん、本当にここで働くの?」
ヘザーの問いに、私は「はい」と苦笑しながら頷く。
困惑の表情を浮かべるヘザーを、押し退けるようにして割り込んできた3人のメイドたちは、いずれも私より10センチは背が低く、私を見上げる瞳は、なぜか輝いているように見えた。
「あなたが、ヘザーを助けた傭兵さん? へぇぇ~」
3人のメイドは、私を上から下まで動きを揃えて眺め回し、さらに一歩近寄ってきた。
「スラッとしててカッコいい! でも、なんか逞しい!」
「うわ見てよ、腰の高さが全然違う!」
「脚なっが! えっ? 背ぇ170以上あるよね?」
「え、えぇっと……」
目の前でキャーキャー騒ぐ3人に、私はどうしたらいいのかわからず、ただ立ち尽くすのみだった。
そして、部屋に響き渡る乾いた音。
それは、シャノンが手を叩く音だった。
「話は仕事が全部終わってからにしなさい。さ、早く持ち場へ行く!」
鋭利な刃物のような眼光に対し、悲鳴混じりの返事を放った3人は、ものすごい勢いで休憩室を出て行った。
よっぽどシャノンが恐ろしいんだろう。私だって、心臓バクバクだ。
「ヘザー。あなたはティナと一緒に三階を掃除しなさい」
「はっ、はいぃ!」
ヘザーも、相当怯えてる。足が生まれたての子鹿みたいになってるもん。
「ティナ」
名を呼ばれ、ドキッとする。
「三階はほとんど手をつけていないから汚いわよ。あなたのお手並み拝見といきましょうか」
「は、はい……」
あれ? なんか私、すごいできる奴みたいな感じになってない?
使用人初心者、なんだけどなぁ。
お屋敷の三階は、なるほどシャノンが言っていたことに偽りは無いようで、そりゃ相当な有り様だった。
私たちの足音に反応したネズミが数匹、廊下の奥へ駆けていく。
私とヘザーは、持ってきた掃除道具をとりあえず壁際に置いて、鼻と口を覆うように顔に白い布を巻き、まずは廊下の全ての窓を全開にした。
それによって入ってきた風は穏やかだったけれど、そんな風ですら大量に巻き上げられるほどに、廊下にはホコリが堆積していた。
目の痒みに耐えながら、私たちは天井の汚れから手をつけることを決める。掃除は、上からやっていくのが基本だからね。
効率を上げるために二手に別れ、黙々と作業をしていく。
それが終わったら、次は壁と窓ガラスだ。
壁は水拭きするたびに色が白に近付いていき、窓ガラスにはヒビが入っているものも多かった。
そして、最後に廊下。箒でゴミを掃き、雑巾で水拭きしていく。
バケツに汲んだ水はすぐに真っ黒。そのたびに、私は一階と三階を何度も行き来して水を変えた。
そうして数時間。気付けばもう日が沈み始めていた。
「ふぅ~……」
どうにか終わったな。……私の担当した半分だけだけど。
「すごいねティナさん。私なんか、まだ全然……」
見れば、ヘザーが担当していたもう半分は、まだ壁さえきれいになっていなかった。
そしてヘザーはと言えば、見るからにぐったりとしている。押せばそのまま倒れていきそうなくらいに。
その力の抜けきった彼女の顔が、突如として引き締まる。
そうなった原因は、階段の踊り場にあった。
シャノンが、その鋭い眼光で私たちを射抜いていたんだ。
彼女はカツカツと階段を上がってきて、ヘザーが担当していた部分と、私が担当した部分を静かに見比べてから、私たちの方へ向き直った。
「……こっち側は誰がやったの?」
シャノンがくいっと指差したのは、私がやった方だ。
「ティナさんです」
手を上げようとした時には、ヘザーが答えていた。その顔は、ガチガチに緊張している。
それを聞いたシャノンは、もう一度私が掃除した方を見て、「ほ~ぉ」と口の端を上げた。
そしてそのままの表情で私へと一歩踏み出し、腕を組む。
……な、なんだ? 何か気に入らないところがあったのかな。
「やるじゃない、あなた」
「へ?」
あれ? 褒められた?
「それに、見たところ、疲れてる様子も無い」
まぁ、いつもやってる仕事の方がこの何倍もキツいし。
「仕事はできるし、体力もある。使用人としてはかなり優秀だわ。傭兵にしておくのが惜しいくらいね」
そして腕組みを解き、私の肩に手を置いて、にんまりと笑うシャノン。
おそらくだけど、私はこの人に気に入られたようだ。
「今日はもう暗くなるし、仕事は終わりよ。道具を片付けて下りてきなさい」
そう言い残すと、シャノンはまたカツカツと足音を立てて階段を下りていった。
掃除道具をしまい、身体のホコリを落として手を洗っていると、そこへあの3人のメイドがやってきて、「ごはんできてるから、食堂に来てね~」と言って足早に去って行った。
一階奥の食堂へ行けば、すでに私とヘザー以外の5人が揃っていた。
そう、そこにはルイスの姿もあったんだ。
いつもこうなのかと問う私に、いつもこうだよと返すヘザー。
主人と使用人が一緒に食事をするなんて、あんまり聞いたことないな。
まぁ、それは私の先入観なのかもね。
実際は、結構そうしているところもあるのかもしれない。
ちなみに、食事は日によって当番が決まっており、今日はシャノンが作ったのだという。
そのせいか、みんな必要以上に料理を褒めていた気がする。
ルイスでさえ、美味い美味いと繰り返していた。
食事の次は入浴だ。
正面からは見えなかったけど、お屋敷の裏には廊下で繋がった離れがあって、使用人の寝室もそれぞれそこに用意されているようだ。
浴室は離れ一階の端にあり、中はそれなりに広い。
5人程度なら一度に入っても問題は無い、というか、今ちょうどその状態なんだよね。
シャノンを除く5人が、今ここにいる。
私の裸を見るや、またあの3人が騒ぎ出す。
スタイルがいいって言われたのは初めてだからそりゃ嬉しかったけど、腕やお腹、背中や脚などの引き締まった筋肉がすごいって言われた時の方がもっと嬉しかった。
そんな私は変なのだろうか。
離れ二階の廊下、自分に与えられた部屋の前の窓を開け、長風呂で火照った身体を夜風に当てていると、「あら」という声が耳朶を打つ。
振り返ると、濡れた黒髪の美女が立っていた。
「あんまり風に当たっていると、湯冷めするわよ」
シャノンは静かにそう言いながら、私の横に並ぶ。
夜空を見つめるその横顔を見て、本当に綺麗な人だなと思った。
「明日は今日以上に頑張ってもらうから、覚悟なさい」
彼女の口調は、びっくりするくらい優しかった。
「はい。頑張ります」
だから私も、穏やかにそう答えた。するとシャノンは私へ顔を向け、口の端をわずかに上げる。
「おやすみ」
それだけ言って、シャノンは廊下の奥へ歩いていく。
その背中に「おやすみなさい」と返し、私も自分の部屋に戻った。
……さぁて、明日からの3日間も、頑張りますか。




