09-B
その女性は、ヘザー・ロリンソンと名乗った。
暗めの茜色の髪は短く、ややクセっ毛。歳は、たぶん私より上だろう。
身長は私よりやや低く、痩せ気味。どことなく、幸薄そうな印象がある。
でも、肌はきれいで結構美人だ。
「使用人って、もしかしてメイドさんですか?」
ヘザーは、西にあるお屋敷で働く使用人なんだという。私の問いに、彼女は「ええ」と頷いた。
「へぇ~」
メイドかぁ。
メイドと言えば、あの制服だな。
あのヒラヒラフリフリした服に、実は結構憧れていたりする。
母が死んで家事を一手に担うようになってから現在に至るまでの数年間、スカートなんか穿いたことが無かったし……。
でも、あんな格好でかなりの重労働をこなさなくちゃいけないんだよね。
まぁ、その仕事はおそらく家事の延長線だろうから、私でもできないことはないだろうけど。
ヘザーは、上司から買い物を頼まれて街へ行った帰りに、運悪くファミリアに遭遇してしまったようだ。
私がもう少し遅く街を出ていたら、きっと彼女は助からなかっただろう。
あの馬や御者のように、カマキリに斬殺されていたに違いない。
できれば誰も死なせずに助けたかったけど、悔いたってどうしようもない。
だからせめて、この人だけでも救うことができて良かったと思うことにした。
馬車はやがて森に入り、なだらかな上り坂を走り続け、ようやく開けた平地に差し掛かった時にはすでに、大きな三階建てのお屋敷が私の視界に入ってきていた。
どうやら、あれがヘザーの勤めるお屋敷のようだ。
「あんたのこと気に入ったよ。またどこかで会ったら声をかけてくれ。格安で乗っけてやるからよ!」
馬車を降りた私に、御者の男はニッと明るく笑ってそう言った。
そして、席を汚したことを謝るヘザーに「気にすんなって」とまた笑い、私たちに「じゃーなー」と明るく手を振りながら去って行った。
「あ、あの、ティナさん」
「ん?」
声をかけられ振り返ると、私が渡したタオルを握ったヘザーが困り顔で立っていた。
「えっと、このタオル、……処分した方が、いいよね?」
彼女のものでぐっしょり濡れたタオル。まぁ、洗って返すというのもどうかと思うもんね。
「そ、そうですね。安物なので、気にしないで下さい」
返答するのも、なんだか変な気持ちだ。とにかく話題を変えよう。
「……とても大きなお屋敷ですね」
するとヘザーは、「ええ」と応じて歩き出す。
「えっと、上司に事情を説明したいので、来てもらってもいいかな」
眉尻を下げ、遠慮がちに言うヘザーに、私は「はい」と後に続く。
様々な緑が広がる草原を望める、高台にそびえるお屋敷。
周囲には木々で構成された自然が広がり、ほかの住居は見当たらない。
別荘として使うならともかく、ここで暮らすとなると、結構不便な面もありそうだ。
街へ買い物に行かなくちゃいけないというのも、その一つだろう。
お屋敷の玄関へ向かって歩いていると、その玄関の扉が開いて女性が1人現れた。
あれは、……メイドだ!
メイドの制服に身を包んだ長い黒髪の美女は、腰に手を当ててこちらを見据える。
「おかえりなさい、ヘザー」
「あ、はい。ただいま戻りました、シャノンさん……」
シャノンと呼ばれたそのメイドは、ヘザーを見つめていた黒い瞳を私へ移動させる。
「そちらは?」
わずかに細められた瞳には、妙な威圧感がある。私、警戒されてる?
「あ、えっと、この人は……」
ヘザーが慌てて私を紹介しようとした瞬間、シャノンが「ヘザー、どうしたのそれ」と声を上げた。
彼女が見ているのは、ヘザーのスカートにできた染みだ。
つかつかと近寄ってきたシャノンは、身を屈めてその染みをじっと見つめる。
「あの、その、これは……」
言いにくそうなヘザー。助け舟を出した方がよさそうだ。
「あの、私が説明します」
そうして2人の間に割って入った私は、簡潔に事情を説明した。その中に、自己紹介も含みつつ。
「……なるほど、話はわかりました。ヘザー、あなたはさっさと服を着替えてきなさい」
「は、はい!」
シャノンの指示を受け、ヘザーはぎこちない歩き方ながらも、慌ててお屋敷の中へ入っていった。
それを見送った後、シャノンは再び私の方へ顔を向ける。
美人だけど、ちょっと怖い。
見た目で判断するのは良くないけれど、とても気が強そうで、怒らせると絶対に怖いであろう雰囲気を纏った女性だ。
「ティナさん、といったかしら」
「あ、はい」
返事をすると、「こちらへ」とお屋敷の方へ進むことを促される。
「部下の命を救って下さった方を、タダで帰すわけには参りません。どうぞ上がっていって下さい」
それは、遠慮を許さぬ強い口調と眼光だった。
だから私は、「はい」としか言えなかった。
思いの外狭い客間に通された私は、ソファに腰掛け、長いテーブルの上に出された紅茶を静かに啜っていた。
シャノンには、ここの主人を呼んでくるから待っているようにと言われている。
「……」
よくよく見渡せば、この部屋はそれほどきれいではないことがわかる。
壁も天井も床も、それなりに歴史がある感じだ。
居心地が悪くなるような汚さではないけど、金持ちが暮らしている割りには、高級感というものが感じられない。
思い起こせば、エントランスや、そもそもこのお屋敷の外装もきれいではなかった。
建物自体の大きさに惑わされたけど、どうもイメージしていた“お屋敷”とは少し異なるようだ。
紅茶を飲み終えた頃、客間のドアがノックされた。返事をするとドアが開き、綺麗にセットされた短い茶髪の男性が、さっきのメイド、シャノンを引き連れて入ってきた。
年齢は、私の父と同じくらいだろうか。背も高い。
白いシャツにネクタイ、そしてグレーのベストを着た、スラッとした紳士。
でも、よく見ると結構体格がいい。太い首に胸筋の膨らみ、シャツの袖に包まれた太い腕。
ただの金持ちのおじさんには、とても見えないな。
「君が、うちの使用人を救ってくれたという傭兵か?」
落ち着いた声でそう問われ、私は立ち上がって「はい、そうです」と答える。
「礼を言うよ。本当にありがとう」
物腰柔らかで、金持ち独特の横柄さはどこにも無い。
紳士に「どうぞ、掛けて」と着席を促された私は、すぐにそれに従う。
テーブルを挟んだ向かいのソファに腰を下ろした紳士は、その茶色の瞳で私を見つめ、微笑した。
「俺はルイス・キルマイヤー。この屋敷の主だ、よろしく。……え~っと、ティナだったかな」
「はい、そうです」
差し出された大きな手を掴み、握手。
「ところで、君の姓はロンベルクだそうだが、もしかして、クレイグ・ロンベルクの娘か?」
「え? そうですけど、父を知っているんですか?」
まさか、こんなところで父の名を聞くとは思ってなかったから驚いた。
するとルイスは、「そうか、やはりな」となぜか嬉しそう。
「クレイグのことはよく知っているよ。昔、何度か2人で組んで仕事をしたことがあるからな」
「じゃあ、あなたも?」
口の端を上げながら頷くルイス。
「ああ。俺も傭兵だ」
ということは、この人はそれなりのランクの傭兵ってことだ。じゃなきゃ、こんな大きなお屋敷には住めないし、使用人だって雇えないもんね。
「クレイグは元気かい、ティナ」
「はい、今は元気です」
そう答えると、ルイスの笑みがやや薄まる。
「今は、か。そうだな、あんなことがあったんだ。……あいつ、大丈夫だったか?」
父が右腕を失って傭兵を辞めてからの1年が、瞬時に脳裏をよぎっていく。
「……はい。一時期荒れてましたけど、今はもう立ち直っています。傭兵を目指す私を鍛えてくれるようになってから、元の父に戻ったんです」
ルイスは、安心したように「そうか」と言い、私を見つめる。
「あいつが鍛えたなら傭兵になれて当たり前、と言いたいところだが、腕が立つ師について死に物狂いで鍛錬しても、なれるかどうかわからないのが傭兵だ。並外れた努力と元々の才能があってこそなれるものだと、俺は思ってる」
それってつまり、私には才能があるってこと?
「まぁそれでも、まさかあいつの娘があいつと同じ傭兵になっているとは思わなかったな。驚いたよ。しかも、こんなところで会えるとは」
言い終わるや、ルイスは両手を頭の後ろで重ねて、ソファの背もたれに深々と身を委ねる。
「……そういえば、君が生まれたことを聞いて以来、あいつとは会ってないな。もう、15年くらいか。お互い忙しかったからなぁ。時間ができたら、会いに行ってみるかな」
「ぜひ、そうしてやって下さい。父もきっと喜びます」
私の言葉に、ルイスは微笑を浮かべながら「ああ」と応じた。
「ルイス様」
ルイスと一緒に部屋に入ってきてからずっと、彼が座るソファの横に立ち続けていたシャノンが口を開く。
「そろそろ本題に……」
本題?
「ああ、そうだそうだ」
シャノンに言われ、思い出したようにソファの背もたれから身を起こすルイス。
そして私の目をじっと見て、ニッと微笑む。
「ティナ、君に頼みがあるんだが」
「頼み、ですか? 何でしょう」
突然のことに戸惑う私の前で、ルイスはシャノンと顔を見合わせる。
そして、2人揃って再び私を見て、口を開くのはルイスだ。
「少しの間、ここで使用人として働いてくれないか」
「…………?」
自分が何を言われたのか、なかなか脳に浸透してこなかった。
「え……?」
だけど、じわじわとその言葉の意味を理解していき、自分の目が大きく見開かれていくのを感じた。
「ええぇっ?」
ここで使用人として働け?
私に、メイドになれって言うの?




